もう10年くらいは経つでしょうか!?
ふと、読み直してみたくなり手に取りました。
司馬遼太郎「明治という国家」
12月16日投開票となる第46回衆議院議員総選挙
乱立する政党とそれぞれの主張、選挙の争点…
現時点でこの選挙は、商売をしている私から言わせれば、良い商品や良いサービスの追及とその商品によってお客様の生活・ステータスが向上することの努力ではなく、今ある在庫をいかに売ろうかと小さい違いを過大な広告宣伝文句で誇張し合っているように感じます。
そこからは、これから将来にわたって商品とサービスの品質向上、お客様の生活・ステータスの向上のために行う企業としての姿勢、ビジョンは見えないといった具合に感じます。
「明治という国家」…
同じことをやるべきだと言いたいのではありません。
ましてや、その後に軍国主義、戦争へと向かっていったことを連想させたいのではありません。
開国から世界の中で植民地化されずに自立した国家として、日本人の生活を守り向上させる。
そのために、なにをしなければいけないか。
多くの才能ある人たちが抱いた、経験したことがないことに挑んだ国家づくりへの強い使命感。
このことがもう一度、今の日本にも欲しいのです。
時代は変わったのですから、ただ勝てば良いのではなく、協調の中でのウィンウィンな関係でしょう。
戦力という暴力による成長戦略は否定しなければ、ナショナリズムの高まりに過ちを繰り返す恐れは十分あります。
また、経済成長戦略といっても、高度経済成長期に体験したようなことをそのまま連想してもノスタリジアの域を出ることは出来ないでしょう。
そして、これからは先進国に追いつけ追い越せというお手本のない世界で、日本が先頭をきって初めて創り出す国家の成功戦略が必要なのです。
このことと今聞こえてくる選挙の声を照らし合わせた時に、「当選」のために差別化しようと誇張する宣伝キャンペーンのように感じます。
今の日本がおかれている状況がわかっているのはだれ?
それを把握するにはどうしたらよいか方策が提案できるのはだれ?
これから必要な国家像を示せるのはだれ?
日本国民が総じて幸福感と世界に貢献できる存在の喜びを感じるために、必要な体制とルールが想定できるのはだれ?
それを実行するために、現在のルールで手順を明らかにして必要なルールに変えていけるのはだれ?
政治が…行政が…お茶の間の退屈しのぎの話題から脱して、息をのんで見守る、たまらず意見する、いや行動に出るといった「自分のこと」になるのはいつのことでしょうか?
不安にかられながらも世帯所得が下がっていても、目の前に世界と比べて豊かな生活がある限り無理なのでしょうか?
全体としては、まだ余裕があるのですよね。
これが、明治維新と戦後復興と大きく異なる危険な要素でしょう。
打開策が少なくなる前に選択肢がある間に、その先を想定して根拠をもって説明でき、手順を示せて、情報開示で実行する力。
新しく力強い、現実的なリベラル。
時代に必要な新しいチャレンジを自由な思想・意見が守られて行い、経済効果によって小さい政府を実現する。
ちょっと理想過ぎますかね。
でも、日本人にはできる能力あると信じます。
できれば、選択肢がある間にその能力を発揮したいです…
