差別問題ならば、特別扱いしないことが一番の目標に
なり得るが、虐待被害者の場合はかなり状況が違う。
それが延々と世間が勘違いしていると強く思うので
この記事を書くことにした。単純に特別な支援が
必須だからだ。そこで当たり前のことを説明のために書く。
車椅子が必要な人に対して、特別扱いしないために
健常者と同じ条件を強いることは差別なのか否か?
そんな当然のことを認識していないのが日本という国だと思う。
これは障害者支援を考えている人々にも
すべて当てはまる愚行です。目に見える障害しか認識できない
からこんな過ちを犯すのだ。しかもこれは、身体障害関連でも
決して他人事ではない。身体障害だって条件を満たせば
「見えない障害」となり得る場合がある。そこで他人事では
無いと思い知る人も少なくないはずだ。
話を本題に戻すが、当事者として語るために児童虐待を視点として
虐待被害者の苦悩を書くことにしたい。児童虐待被害者は
現実には様々なケースが存在しており、女性の人権とは別物である。
児童虐待被害を訴えるのがフェミニズムだという言動は迷惑極まりない。
児童虐待の人権問題は男女共通の問題です。女性特有ではない。
更に言えば、性的虐待だけが児童虐待ではない。
だから、いじめ被害者として日本ユニセフの無責任なやり方に激怒した
理由はここにある。今はオタクとしての立場は殆ど無関係だからね。
児童虐待の傷は大人になっても残ります。それはユニセフが
豪語したのは紛れもない事実だと当事者として強く痛感させられる。
しかし、それは性的虐待だからではない。
余計な歪曲が一つ余計である。
児童虐待被害者をケースにより身勝手に分別して、
当事者同士を対立させるなど愚の骨頂である。
必要なのは当事者同士が寄り添い、医学的な治癒を
目指していくことなのに、どうしてこんな無益なことをやるのか?
児童虐待の被害者は、大人になっても後遺症が強く残る。
これはいじめ被害者も当然のように児童虐待被害者に加わるので
特別な支援が必要なのは当たり前だ。健常者と同じ条件で
生きることはもう無理なのが当たり前で、一部の運の良い成功者
だけを持ち上げて、感動ポルノとして食いものにするのは、
本気で殺意を覚えるし、流石に防衛手段を取るだけのこと。
または、私みたいに一時的に成功しても、転落して二度と
立ち上がれずに苦しむ場合だってあるし、理不尽さに絶望しやすい。
人間不信になるのも当たり前で、人間不信になることを批判する
人ほど愛を偉そうに語る。こういう人って、拉致監禁をやらかした
性犯罪者とまるで変わらん思考回路だと思うほどです。
児童虐待の被害者には適切な支援と復興の道さえ用意されていれば
良いと思う。被害者のためにポルノ規制なんて無意味で馬鹿げたことを
する必要は全く無いし、そんな無意味な運動を断じて容認したくない。
防止するという観点でも、縦社会の支配構図と道徳の歪みに
起因するので、児童虐待の防止策はブラック企業の防止策と
かなり似ていると思う。結局のところ、風紀に走るのは無意味と考えてます。
