西洋の宗教感でも東洋の宗教観でも古来より共通している
哲学的要素は意外に存在していたりする。
それは、間違った欲求が人々を破滅に追いやるリスクについて。
行き過ぎた欲望が人を破滅に追いやるのは事実だが、
今の時代ではそれをそのまま訴えるだけでは無意味だと感じている。
そもそも、ほしいのを買いたいという気持ちは当たり前であり、
それ自体を否定される筋合いはないからだ。
今の時代はマイノリティが不当な抑圧に苦しみ、
必要以上に欲しいものを買うことを否定され続けている。
だからこそ、その価値観はまさに「贅沢は敵だ」という
価値観にすり替わってしまい、それこそ破滅の入口となる。
そこで私は、良い欲求と悪い欲求を区別するための
考え方を提唱したい。何がほしいのかは個人差が大きいのだから。
アニメオタクの立場で言えばアニメDVD購入を強いられる状況は
かなり多い。そもそもテレビ放映されない、レンタルすら存在しない
ことも珍しくなくなった。そこでDVD買うのは贅沢だと言われるのは
事情を知らない愚か者が振りかざす暴論でしかない。
金銭価値だけで豊かさの水準を押し付けることはできない。
そもそも、DVDの価格は適正価格ではないのだから。
今の資本主義はまともに相場が機能していない。
資本主義の破綻と矛盾を指摘するには、この相場の歪みも
考える必要がある。相場についてはオンラインゲームから
学べたこともある。ユーザーの大半が大人の時代では、
相場はとても安定していたが、未成年プレイヤーが急増した
今の時代では、相場の安定性が崩壊した。ここからわかったこととは…
消費者の知的水準が相場の安定性に対して強い影響を
与える事実、それを明確に観測することができたのが大きなことでした。
これはネトゲにかぎらず実経済でも同じように説明できます。
現代日本は相場が徹底的に歪んでいる。消費者の知的水準が
低下したことで、相場の歪みが一気に加速しており、
ネトゲで見た光景と全く同じような光景を観測できる。
話がやや脱線したが重要な事である。今一度問い直したい。
私の意見としては、欲しいものはほしい、それを我慢する必要はない。
しかし、それを踏まえたうえで改めて問い直したいことがある。
あなたがほしいと思う商品、それはあなた自身が本当に心から
欲しいと思うものなのか。本当にその気持に偽りはないのか?
経済的余裕があれば毎年狂ったようにスマホの機種変更をする人は多い。
これはガラケー時代から変わっていないことだが、私から見たら
彼らが本当に欲しいものにお金を費やしているようには見えない。
ただの話題性やトレンドに走って自らの個性を投げ捨てているように見える。
あなたが買う商品は本当に自分自身が欲しいものなのか?
単なる話題作りのために無駄な商品を買い続けているだけではないのか?
好きでもない商品を話題性のためだけに買い続ける人生は虚しくありませんか?
単純にそういう命題になると考えていますが、
欲しいものを我慢させるのは私はダメだと思う。
だけど、不要なものを買い続けるのもダメだと思う。
今の経済世界は最上位の富裕層が9割もの富を世界から独占しているが、
この構図を生み出したのは、我々庶民にも致命的な甘えがあるからだと思う。
我々は心の何処かでこの歪んだ搾取構図を当然だと容認している。
それはなぜか?最上位の富裕層と同じ弱さを私達も持っている。
本当に好きでもないことに費やすことは、自らの欲求を永遠に
満たすことはない。他人の夢を食い物にしても、永遠にその飢えは
満たされることがない。当然といえば当然である。
だからこそ、不毛な欲求に苦しむ餓鬼道の定義の亡者の話を
しつつ、私は感動ポルノを批判し続けた。その根本的な原因は、
集団意識に依存するあまり、他人の夢を食いものにすることに無自覚に
なり、本当に自らの望みと欲求がわからなくなったからですよ。