「川上の嘆(By論語」ならぬ、「女の世間話に嘆」。
何故よどみなく、ハイテンションで延々と話し続けられる?こうして昼と夜は流れ続ける。
私は会話を終わらすのが大の得意である。
そして「暗い」と言われ、真剣に傷つく。というか皆から放置されてる。
全て私の努力不足でそうなる。
これも孔子の教えだ。だがしかし論語は嫌いだ。
共感できるのは韓非子。これは15歳の頃に韓非にいたく共感してから、どうしても変わらない。韓非を好む自分の性格は大嫌いだ。
孔子や孟子は尊敬できない。
人間はそんなに簡単じゃない。
複雑で、綺麗事では生きられない。
韓非子が好きだと、明らかに反感を買う。
だからいつも要らぬ情に生きようとして疲れる。
「職分を堅守」せず、そこにいない嬢の悪口を言いまくるドライバーがいても、上には言わない。でも本来ならあってはならないことだ(既にチクられたことがあるなら改めようよ)。悪口を言いふらすなよ。おっさん何歳?自分に非がないなら本人に言おうや。
私は彼の悪口を冷笑で切断する。ゴシップに乗ってあげない私も、いずれ裏でいろいろ言われるんだろうな。
言われてる彼女が哀れだ。確かに彼女にも非はある。でも決して彼女は、裏で誰かを悪く言ったりしない。
いつも皆を肯定することに徹している。
それなのにヒドイよ。あまり言うようなら、食ってかかるかもしれない。でもそうすれば「優等生ぶって何様だ」とか言われるのが想像つく。逆恨みされるだろう。
だから私は鼻で笑って、冷たい口調で「そうね~」と流すしかない。
そんな私は、やはり論語を習うべきだ。
「学びてこれを習うことまた楽しからずや。」だっけ?
孔子はバランスのとれた発言をする。
一番心に届くのは
孟母「断機の戒」。けっきょく情に勝るものはないのかな。別に孟母は万人に何か言おうとしたわけじゃない。ただ我が子だけに思いを伝えたかっただけ。
自分なりに努力しなくちゃならない。
変わるべき時期だ。
努力すら出来なければ、もう飛び下りてもいい。
自分が嫌いで仕方ない。
尊敬する人ならたくさん居る。
何故よどみなく、ハイテンションで延々と話し続けられる?こうして昼と夜は流れ続ける。
私は会話を終わらすのが大の得意である。
そして「暗い」と言われ、真剣に傷つく。というか皆から放置されてる。
全て私の努力不足でそうなる。
これも孔子の教えだ。だがしかし論語は嫌いだ。
共感できるのは韓非子。これは15歳の頃に韓非にいたく共感してから、どうしても変わらない。韓非を好む自分の性格は大嫌いだ。
孔子や孟子は尊敬できない。
人間はそんなに簡単じゃない。
複雑で、綺麗事では生きられない。
韓非子が好きだと、明らかに反感を買う。
だからいつも要らぬ情に生きようとして疲れる。
「職分を堅守」せず、そこにいない嬢の悪口を言いまくるドライバーがいても、上には言わない。でも本来ならあってはならないことだ(既にチクられたことがあるなら改めようよ)。悪口を言いふらすなよ。おっさん何歳?自分に非がないなら本人に言おうや。
私は彼の悪口を冷笑で切断する。ゴシップに乗ってあげない私も、いずれ裏でいろいろ言われるんだろうな。
言われてる彼女が哀れだ。確かに彼女にも非はある。でも決して彼女は、裏で誰かを悪く言ったりしない。
いつも皆を肯定することに徹している。
それなのにヒドイよ。あまり言うようなら、食ってかかるかもしれない。でもそうすれば「優等生ぶって何様だ」とか言われるのが想像つく。逆恨みされるだろう。
だから私は鼻で笑って、冷たい口調で「そうね~」と流すしかない。
そんな私は、やはり論語を習うべきだ。
「学びてこれを習うことまた楽しからずや。」だっけ?
孔子はバランスのとれた発言をする。
一番心に届くのは
孟母「断機の戒」。けっきょく情に勝るものはないのかな。別に孟母は万人に何か言おうとしたわけじゃない。ただ我が子だけに思いを伝えたかっただけ。
自分なりに努力しなくちゃならない。
変わるべき時期だ。
努力すら出来なければ、もう飛び下りてもいい。
自分が嫌いで仕方ない。
尊敬する人ならたくさん居る。