昔から低音が好きなことを思い出した。

 
最初の頃は曲を聞いてもベース音がどれかわからなかった。聞きとれるようになったら嬉しいのとかっこいいのとでベース音にはまった。
 
縁の下の力持ちって感じで、ベースの存在忘れられがちやけど、無くなると何故か物足りない。
 
そんな生き方に憧れもあったのかもしれない。
 
曲聞いてもベースとバスドラの音メインで聞いてるし、車のマフラー音も低音のが好き。
 
ウーファー好きやし。
 
ライブハウスのスピーカーからの爆音、低音が体に振動を与えてくれるので、生きてるなーって体感できる。
 
今思うと、死ぬことばかり考えてたときにも、心は生きていることを感じたかったのかもしれない。
 
今年2018/3/16にhappyちゃんのYouTube動画に出会って、今まで漠然と感じてた求めてた答の欠片を貰った気がする。
 
それから気分良くなるなら無駄なことでもしていいと、無駄なことをしはじめた。
 
また一つ無駄なことを始めようと思う。
 
昔弾いてたベース。断捨離でほとんど手放したけど、最後の一本だけは手放しきれなかった。
 
このために残してあったのかな。
 
たまたまYouTubeの自動再生で流れたMOMOYOさんのこの動画で

 

 

スピリットと繋がるのには、思考を止めると良いって


言ってた。
思考を止めるのには、ピアノが良いって。
左手と右手が別のことをするので、それに必死で思考が入り込む余地がなくなる。
 
なるほど、なら自分がすぐにできるのはベースだなと思った。
 
上手くなろうとすると弾くのが苦しくなるので、思考を止めるためと純粋に楽しむためだけに弾こうと思う。
 
上手くならなくていい。

「楽器を練習するなら上手くならなければいけない」というネガティブな観念を手放す。
 
しなければならないことは本当は何もない。
 
この解放感たるや。

ついでに、いつかhappyちゃんがバンドやるときにベースで参加できたら楽しそうだなという願望を宇宙になげておこうw