22時18分。
だらだらと好きな曲を聴きつつ、とある方のブログを読んでいたら無性に「ブログを書かなければ」という気持ちが湧いてしまい、モバイル通信すらオフにし、パスワードを思い出すこともできないAmebaを新規会員登録し、急遽iPhoneのキーボードをひたすらに打っている。
この投稿に着地点はない。
ただただ、私は小学生の頃から文章を書くのが好きだ。マラソンの授業は常にビリのくせに、作文か絵を描く授業だけは、誰よりも早くかき終える子供だった。(23歳になった今でも自分を大人と思ったことは一度もないくせに、過去の自分を子供と記すのはとても違和感を感じる。)
しかし、小説などの本を読んだ記憶はほとんどない。
漫画は、毎月姉と妹と担当を決め、買っていた記憶がある。
朝、小学校特有の読書タイムという(たしか15分間ぐらいだったか)、各自家から持ち寄った本を読む時間があった。
私は、家に小説のような本が一冊もない家庭だったため、母が当時読んでいた浅見帆帆子さんのエッセイをひたすら繰り返し読んでいた。
当時私はたった8年ぐらいしか生きていなかった故、本の内容は全くわからなかった。
とにかく退屈だったその15分間が、私にとっては苦痛でしかなかった。
しかし、自分でお金を稼ぎ、自由に使える身となってからは、毎月本を3〜5冊買い、図書館にも通うほど、本が身近な存在になっている。
とにかく私は感情的であるため、本を読みながら号泣することもあるくせに、著しく記憶力がないため、ポンポンと本の内容や登場人物の名前を忘れてしまう。
だからか、オススメの本は?と聞かれても、思い出せないから困ってしまう。
自分で購入した本は家で何回でも読み直せるが、図書館で借りた本は読み直せないため、すぐ本のタイトルを忘れてしまう私にとっては、まさに一期一会なのである。(本当に素敵な本は、忘れないようにメモしたりする)
そんなこんなで、歳を追うごとに本の世界に引き込まれた私は、読むだけに収まらず某小説サイトで作品を出したりもした。
とても人に読ませられるクオリティではないが、やはり時間をかけて育てた自分の作品は、とても愛着が湧くものである。
最近はなかなか別のことに時間を費やしてしまっていて、作品を途中で放置してしまっていた。
運動していないと身体が鈍るのと同じで、文章を考え、形にする機会がないと腕が鈍ってしまう。
突然の焦りを感じた私は、今に至る。
まあこれからもなんとなく文章を書きたい気分の時だけ書こうかなと思う。句読点の打ち方も言葉のチョイスもまだまだだが。これも練習。
おわり