こんばんは。

HSP*HSCメッセンジャー・カウンセラー 上埜 典子です。


前回に引き続き、
嗅覚に焦点を当てて思い出した出来事、
HSCの息子達に起きた出来事も綴ります。


大学卒業後、
塾講師を半年で辞めたわたしは、
島根県石見町(現在は邑南町)にある
"香木の森公園"の研修生として、
1年間、研修生活に行きました。

塾を辞めて、フラワーアレンジメントのディプロマを取得し、
この先どう生きていこうか、と考えている時、
「ハーブと農村生活3期生募集」という新聞の見出しを見つけて、即、応募。
 
大阪で阪神大震災に遭った年の春、
島根に移住しました。 

そこからの1年は、
ハーブガーデンでの学びや農作業を中心に、
町の中で体験できることを、どんどんさせていただきました。


夏のある日、
菊農家さんへ、下葉取りのお手伝いにいく機会がありました。 

菊の花は、中学時代から華道(池坊)の花材として扱ったり、
祖父母が畑で育てていたりで触れてはきましたが、
何百本の菊を目の前にしたのは、
その日が初めてでした。

ご指導いただいた通り、
茎の下部の葉を、指でそぎ落としていきます。
あまり風通しのよいとはいえない作業場で、淡々と、黙々と。

視界には、菊しか映らない作業時間。
そのうち、胸の辺りがむかむかし始め、
暑さで出てくる汗とは違う汗が出てきました。

むせかえる菊の強いにおい。
こみ上げてくる吐き気。

いよいよ、顔面蒼白になってきて、
呼吸が乱れてきました。
冷や汗が止まらなくなり、
立っていられなくなりました。 

その後の記憶は曖昧なのですが、
とにかく菊のにおいから逃れたかった。。

外に行き、新鮮な空氣を吸って少し休ませてもらっていた時、
心の中はザワザワしていました。

思うようにお手伝いできなかった罪悪感、
「ご迷惑をかけてしまった…」
と、自分を責める気持ち。

菊農家さん、研修生の面倒を見てくれている職員の方、一緒に作業している研修仲間に、なんて思われるだろう。と。

鎮まらない吐き気で苦しみながらも、
周りにセンサーを向ける自分。

菊のにおいは、
そんな感情も連れてきたのでした。
 

苦手なにおいというのは、
こんなにまで心身に影響を及ぼすものなのだ、と、
今、あの夏を振り返ってみて、
深く感じています。


HSCの息子達にも、
嗅覚で思い出す出来事があります。

 
長男が小2の時、
図工の粘土の時間に吐き気と頭痛を訴えた、と、保健室から電話をいただいたことがありました。

「早退をしたい」と訴えているというので、急いで迎えに行くと、
まだ青白い顔で、力なく休んでいた長男がそこにいました。

その姿を見た時、
自分も小学生の時、粘土の時間が苦手だったなぁ…と思い出しました。

教室中に充満した、
あの油っぽい(=流動パラフィン(鉱油))のにおい。

一刻も早く、教室から飛び出したい。
早く休み時間にならないかな…と、
こねながら時計ばかり見ていた時間。。

あのにおい、確かに苦手だなぁ…
そう思い起こしておられる方、
おられるのではないでしょうか?

 
次男は、スーパーの鮮魚コーナーが苦手で、幼少期は走って行ってしまうので、落ち着いて品定めできないということがありました。

かくいうわたしも、
あの売場の生臭さはものすごく苦手で、
鼻から吸い込むのを瞬間的に止めながら、品定めするのが常でした。
その時はめっちゃ苦しいんですけど、
生臭さが体内に入ってくるよりはマシでした。


小さい頃、冷蔵庫内に牡蠣が入っているだけで察知した瞬間、秒で閉めた、
という記憶がよみがえってきました。
今でも牡蠣は超苦手。
オイスターソースは大丈夫なのですが、
牡蠣貝のにおいは、どうにも受け付けないのです。

そんな感じで、次男も苦手なんだろうなぁ、と思ったのでした。



嗅覚は、ダイレクトに脳の嗅覚野に入り、
思考や感情、行動という反応へと繋がっていきます。

嗅いだ瞬間、
過去にそのにおいに出会った時の記憶を
連れてくるということも。

生き延びるためにも、とても重要な感覚です。 

 
苦手なにおいで、
心身にストレスを感じること、
ダメージを受けること、
この先も、きっとあると思います。

そんな時は、まずはその場から離れ、
新鮮な空氣の中で深呼吸をしたり、
心地よい香りを嗅いでみる。

自分の心身が打ちのめされる前に、
少しでも早く、
快を感じられる方へと連れていこうと思います。 
 

嗅覚の敏感さも、いとおしい自分の一部。
 
違和感を感知したらすぐに、
自分で自分を守ってあげようと、
あらためて思いました。


ここで出会えたあなたに、ありがとう。

明日も、
愛と感謝に満ちた一日を^^