隕石の衝突から地球を救わないで欲しい。 | ◆広島公立入試プロ◆ クラフトワーク

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ワタクシが人の「死」に初めて身近で触れたのは小学生の頃ですが、その当時から今に至るまで、様々な種類の「死」に接していろんなことを感じてきました。今日はそうした1つ1つの中から、大切なこと、深く傷ついたりショックを受けながら気が付いたこと、或いは今のうちに考えておかなければならない重要なことをすべて排除して、「つまらないこと」と「どうでもいいこと」についてのみお話ししたいと思います。

「果たして最期は、どんなふうに死ぬのがいいか。」

人間はいつか死ぬわけですから、このテーマ自体は誰にとっても大きな問題です。苦しみながら死ぬのは嫌だし、恐怖のどん底で死を迎えるのも嫌ですね。また、周囲にものすごく迷惑を掛けるのも嫌なので、脳をやられたり、意識を失って植物人間になったりするのも何とかして避けたいところです。ワタクシは高校時代に「不健康のススメ」という小論文を書いたことがありますが、内容を簡単に説明すると、「健康ブームでみんなケンコーケンコーと言っていますが、もし万が一脳を先にやられて体が丈夫だったら、その後ずっと意識がないままケンコーな体で長生きすることになります。そういうのは考えただけでも恐ろしいので、ワタクシはむしろ体に悪いものを積極的に摂取して、こうした悲劇を避けたいと思っているのです。」といったものでした。これは少々乱暴で悪ふざけが過ぎますが、「周りの人に迷惑をかけたくない」という点では今も思いは同じです。ではどんな死に方が良いかと言えば、例えば飛行機で旅行から帰る最中に、ミサイルで撃たれたりするような死に方です。死んだのかどうかもわからないまま、一瞬で消えてなくなりますサイコーです。或いは、隕石が衝突して人類全体が滅びるようなのはどうでしょう。これは周りの人も一緒に亡くなるので、誰も悲しまず、誰にも迷惑がかからずとても理想的です。

そう考えると、「隕石の衝突から地球を救う」というのはトンデモナイ話ですよね。かつてそういう映画がいくつかありましたね。よく考えてみると、むしろ隕石の衝突から地球を救わないでいただきたい。隕石にもいろいろ事情があるんだろうし、そのままそおっとしておいてあげてほしい。そんな気持ちにすらなってきますね。


ああ、今はしかしまだしたいことがあるので生きていたいけど、「そのとき」が来たら隕石こないかな。隕石も出発してから到着するまではちょっと時間がかかるだろうし、そろそろ出発の身支度ぐらいはしといてくれないかな。「あと3年で衝突の危機!」とかじゃなくて、いきなりフッと現れてドカンと衝突するのがいいな。



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