偉大なるイノベーター逝く Part2
続き・・・
先ず・・・当時の役員の多数を味方につけるやいなや・・・当時のCEOアメリオ・・・NeXTSTEPを採用し
てくれた人だぜ(笑)・・・の首を取ることに成功。
辞任したアメリオの代わりにスティーブに役員たちはCEOに就任要請している。
これをスティーブは一度断っている。
M&Aのプロとして驚嘆するのは・・・・
ここからだ。
先のNeXT社の売却で得ていたアップル社の株式150万株を1株を残して売却している。経営権をひそかに狙っていた彼からすれば、通常ならアップルの株を売るバカはしない。
しかし、売った。
そして得た実弾(現金)で当時の役員達を直接買収した。これは生半可にできることではない。
アメリオをおんだすと返す刀で、アップルの従業員の士気が上がらないのはストックオプションが高すぎるからだと因縁をつけ、反対した役員・・・自分に味方したやつらだぜ(笑)
ほとんどを辞任に追い込んだ。
創業時に金を入れてくれたマイクまで首を取った。
うーむ・・・信長だな。
後任にはエリソンといった・・・スティーブの「仲間」をごっそりと役員に入れた。
経営独占体制を固めると、長年の敵であったゲイツと握手を電撃的に行い。
オフィスとエクスプローラーをMacに搭載することに成功。
金食い虫のPDAの開発やどうでもいいプロジェクトをカット。
同時に大幅なおバカ社員の首を切った。
そして利益率の高いMac G3といった商品に絞り込んだ戦略に切り替えた。
そして・・・資金をためたのち・・・
1998年
あのヒット商品 「i MAC」を市場に投入したのである。
ぶでぶで・・・だったアップル社をもとの反逆のリーダー・・・
いやいや・・時代を切り開く先駆者の位置に戻すことに見事に成功した。
2000年には・・・いままでかたくなに拒んでいたCEOに満を持して就任。積年の思いであったアップル奪還に成功した。
このら一連の会社という組織の天下取りの腕は勉強になる。巧(たく)みだ
ここまでくれば・・・みんな後のスティーブのすごさはご存じだろう。
尊敬するとする盛田昭夫のSONYの革新的商品ウォークマンを死に追いやったipodを開発。
同時にiTuneseを立ち上げ、音楽という世界に参入する。
このビジネスモデル・・・SONYのベータの失敗を教訓にしている。
ソフトを取ららければハードも殺られるという業界の掟だ。
このプラットフォームビジネスのやり方は後のiphoneでも行われた。
すごいのは音楽ビジネスをパソコン事業と同じぐらいにアップルの収益源にしたことだ。
同時にアートな会社としてのイメージは更に増した。
それまで革新で神であったウォークマンを「古い」と思わせたipodは真のイノベーションである。
従来の延長戦であるSONYの作ったMOやCDはイノベーションでなかった。
単なる技術の進化でしかない。すでにベンチャーからガリバーになっていたSONYは甘んじた。
延長線であることを・・・だって・・・ウォークマンはあまりにも成功した製品だったからだ。
スティーブの創ったものは・・・まさにイノベーションである。
概念を覆した。SONYは概念まで覆すことを自ら躊躇した。もちろんSONYの資金力と開発力なら・・・
充分にipodは作れただろう・・・でも・・・作らなかった。いや作れなかった。
盛田昭夫が偉大すぎたからか・・・成功しすぎたからか・・・
それに・・・リスクの匂いを感じたからであろう。
リスク取らなくなった企業は・・・IBM同様・・・反逆児ではない。
SONYも松下幸之助率いる天下の松下電気を叩き潰すジャンヌダルク的反逆児として世界のトップメーカーにのし上がった。そして自らが天下を取ってしまうとただの普通の一流企業になってしまった。
いまやSONYというブランドに反逆児のイメージはない。
スティーブの才能は爆発を加速していく。
Iphoneという携帯端末・・・携帯電話じゃない。
ここでも全く新しい・・・「定義」を創りだしている。
日本ではdocomo・・・米国ならセルラーの作り出した携帯電話というマーケットに・・・スマートフォンという・・・全く新しいルールを持ちこんだ。
前記事で書いたとおり・・・
スティーブは・・・ポーカーのテーブルに着くとディーラーになり・・・そしてポーカーのルールそのものを変えてしまった。
ポーカーのルールを変える。長年続いてきたカードゲームのルールを変える。並大抵のことではない。
ディーラーになるのはまだできる。
しかし、・・・ゲームそのもののルールを変えてしまうのは並大抵ではない。
余程の心惹かれる・・・人々をひきつける「何か」がなければならない。
2004年
このころには、スティーブは肝臓癌という次の敵と戦うことを余儀なくされる。
肝臓の移植手術も受けている。
それでもなお・・・イノベーターであり続けた。
昔アップルが諦めた・・・PDA・・・ノートンに変わる「Ipad」を発表。
PDAの概念を変えて見せた。
2009年11月には、アメリカの経済誌フォーチュンによって、
「過去10年間の最も優れた最高経営責任者」に選出されている。
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2011年8月24日
「残念ながら・・・・とうとう・・・その日が来たよ」と役員会に辞任を表明した。
辞任した8月。小さなガレージから始めたベンチャー企業はエクソンモービル(ご存じロックフ〇ラーの創った会社)を抜き世界第1位の株式時価総額の価値を持つ会社となった。
それは石油というエネルギーから情報と言うものが人類の歴史の中で価値が上だと変わった事でもある。
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2,011年10月5日
スティーブ・ジョブスは死去。享年56歳という若さであった。
経営者として見たとき
重要な点はいくつかある。
自分より優秀な技術者を雇い、仲間にし、コントロールできた。
敵・・・例えばビルゲイツ。必要とあれば手を結ぶ勇気を持っていた。
資金調達の才能があった。
上記した彼の人生において、技術に置いては「常に」世界最高峰の場を求めた。これは重要である。
必要な人材を口説くスピーチ能力が抜群だった。引き抜きの天才だった。
プレゼン能力はぴか一。
常人を越えたこだわりを持っていた。特に自社製品に対しては、尋常ならざるこだわりを持っていた。
デザインしかり・・・機能しかり・・・それでいて・・・ビジネスであるから・・・損切り・・・つまり・・・どこまでこだわるかという最も重要な妥協をもっていた。
彼は、稀代のイノベーター(改革者)であり、ときに織田信長であり、「何か」にこだわり続けるアーティストでもあった。
彼は経営者としてではなく、ゲームのプレーヤーとして、抜群の才能を持っていた。
ジョーカーは、何のカードにでもなる。
そのジョーカーを巧みに使った。
イノベーターとは、ゲームのルールを・・・モノの定義を変えることのできるプレーヤーである。
私の好きなスノーボーダーにジェイミーリンというプロボーダーがいる。
彼は一発のジャンプに「スタイル」を持ちこんだ。
そのことによって・・・スノーボードというスポーツは単なるアスリート集団の筋肉を競い合う場ではなくなった。
スティーブもテクノロジーと言う分野に文化を持ちこんだ。
逆に言えば、「おもちゃ」や「芸術」に持っているべきであることの意味・・・そして使うべきあると言う必然性・・・「機能」と言うモノを付加させることに成功した。
それは「スタイル」である。
スタイルとはオリジナルであることをいう。
そして死してなお、これだけの人々に惜しまれる経営者と言うのも珍しい。
それは彼自身が「ipod」ならぬ・・・「icon」だったからに他ならない。
彼の死に追悼を込めて多くの人が言葉を送った。
私がipodを買って初めてiTunensでダウンロードした曲でもBGMにでもして読んでおくれ
(いつものパターンだが、youtubeが開くがブログの記事のほうを再度クリックしてくれれば曲を聴きながら記事は読める)
スティーブがきっと何百回も聞いた曲だ。
スティーブと初めて会ったのは、30年近く前だ。それ以来、ともに人生の半分以上にわたって、同僚であり、競争相手であり、友人だった。
スティーブほど世界に大きなインパクトを与えた人は、ほぼいない。
彼の影響はこの先何世代にもわたって残るだろう。
ビル・ゲイツ
スティーブは米国のイノベーターの中で最も偉大な一人でした。違う考えを持つことに勇敢で、世界を変えられるという信念に大胆で、そしてそれを成し遂げることに十分優秀でした。この星で最も成功した会社の1つをガレージから作り上げることで、彼は米国の独創性の精神を実証した。スティーブは毎日が最後の日であるかのように生き、私たちの生活を変え、全産業を再定義し、私たち一人一人が世界を見る方法を変えました。
バラク・オバマ
ジョブズには1000マイル先の水平線が見えていた。しかし彼にはそこに到達するまでに通らなければならない道の詳細は見えていなかった。それが彼の天才性であり落ち度でもあった。
ジェイ・エリオット
他人の脳みそを盗むのはジョブズにとって普通のやり方さ。まず人のアイデアを鼻であしらっておいて、その1週間後には、素晴らしいアイデアを思いついたなんていいながら戻ってくる。そのアイデアというのは、もちろん1週間前に誰かがジョブズに話したアイデアなんだ。我々はジョブズのことを現実歪曲空間と呼んでいたのさ。
ジェフ・ラスキン
スティーブはまさに刺激的な存在だ。放漫で、暴虐で、激しく、無い物ねだりの完全主義者だ。彼はまた、未成熟で、かよわく、感じやすく、傷つきやすくもある。そして精力的で、構想力があり、カリスマ的で、さらにおおむねは強情で、譲らず、まったく我慢のならない男だ。
ジョン・スカリー
人は私がクソ野郎についての本を書いていると聞きつけるや否やスティーブ・ジョブズについての話を話し始めただろう。シリコンバレーでいかにジョブズが恐れられているか、そのレベルには驚嘆するものがある。彼は人を震え上がらせ、悲嘆にくれさせる。だが、彼はほとんどいつも正しく、たとえ間違えている時でも、その創造性の豊かさには目を見張るものがある。
ロバート・サットン(スタンフォード大教授)
民主主義に沿ってたんじゃ、素晴らしい商品なんて創れっこない。闘争本能の固まりのような独裁者が必要なんだよ。
ジャン・ルイ・ガセー(Be社創業者)
どんな言葉を使っても、スティーブの死の悲しさをうまく表現することはできない。
また、ともに仕事ができたことへの感謝も言葉にし切れない。
彼がとても愛した仕事を継続することで、スティーブをしのびたい。
アップルCEO ティム・クック氏
スティーブは日々カリフォルニア・ドリームを生きていた。世界を変え、すべての人に刺激を与えた。
アーノルド・シュワルツネッガー
今日、世界は先見の明のあるリーダーを失い、テクノロジー業界は伝説的人物を失い、そして私は、友人であり起業家仲間である人を失った。
彼が残したものは、何世代にもわたって記憶に残るだろう。
マイケル・デル
これほど悲しいことはない。
彼は特別な人だった。
彼はまわりに自分を支持する人を集めたから、あそこまでの地位に
達したのではない。
ビジョンと目的があったからできたのだ。
人を喜ばそうとするのは簡単だが、彼は自分の考え方に忠実だった。
ヤフー前CEO キャロル・バーツ
スティーブ・ジョブズが残したのは、製品やビジネスだけではない。何百万もの人々に刺激を与え、人生を変え、文化を定義した。
スティーブは完璧にクリエイティブで想像力に富んだ「オリジナル」な人だ。
あれだけのことを成し遂げたが、彼がまだ何かを始めたばかりのような気がする。
ディズニーは仲間を失い、私は大切な友人を失った。
ディズニーCEO ボブ・アイガー
最後に彼の名言集を載せておこう。
海軍に入るくらいなら海賊になった方がいい
残りの人生も砂糖水を売ることに費やしたいか、それとも世界を変えるチャンスが欲しいか
(ペプシの社長をヘッドハントした時の言葉)
イノベーションは費やす開発予算が大きいからと言っておこるものじゃない。アップルがマックを開発した頃、IBM は少なくても百倍の開発予算を持っていた。金じゃない。どういう人材をもっているか、彼らをどう率いるか、どういう問題意識をもっているかだ。
美しい女性を口説こうと思った時、ライバルの男がバラの花を10本贈ったら、君は15本贈るかい?そう思った時点で君の負けだ。
方向を間違えたり、やりすぎたりしないようにするには、まず「本当は重要でも何でもない」1000のことに「ノー」と言う必要がある。
あなたの時間は限られている。だから他人の人生を生きたりして無駄に過ごしてはいけない
ドグマ(教義、常識、既存の理論)にとらわれるな。それは他人の考えた結果で生きていることなのだから。
発案者が信念を持っていない意見やアイデアは無視すると決めている。例えば"iPod"という名称も採用する前に2度却下している。
仏教には「初心」という言葉があるそうです。初心を持っているのは、素晴らしいことだ。
製品をデザインするのはとても難しい。多くの場合、人は形にして見せて貰うまで自分は何が欲しいのかわからないものだ
消費者に、何が欲しいかを聞いてそれを与えるだけではいけない。完成する頃には彼らは新しいものを欲しがるだろう。
iPodより高いスニーカーもある(300ドルは高いのではないか、という記者の質問に対して)
アップルのシェアは自動車産業におけるBMW・ベンツ・ポルシェよりも大きい。BMWやベンツであることの何が悪いんだ?
画面にはとても見た目のよいボタンを配した。思わず舐めたくなるだろう・
私たちはいつも偉大なアイデアを臆面もなく盗んできた・
30代や40代のアーティストが斬新なものを生み出して社会に貢献できることはめったにない
私はまだ30歳だ。もの作りを続けるチャンスが欲しい。
日本製品が海岸に押し寄せてきた。海岸がまるで死んだ魚で埋め尽くされるようだ(日本のパソコン製品について)
ポルノが欲しい人はAndroidケータイを買えばいい。
彼の言葉で私の最もすきなモノは
世界で最も優秀な起業家を多数輩出する大学
スタンフォードのスピーチで言った言葉だ。
Stay hungry, stay foolish
ハングリーであれ。バカであれ。
私はいつまでもそうありたい。
Good-Bye. Innovator
さようならだ。最高のアウトサイダーそしてスタタン大学の講師・・・
スティーブ。