偉大なるイノベーター逝く
スティーブが死んだ。
残念なことだ。まことに残念でしかたがない。
私の人生という長い道のりに多大なる影響を与えてもらったのは「マック」だ。
一人はマクドナルドの藤田田だ。
一人はスティ―ブ・ジョブスだ。
二人ともいなくなってしまった。
以下・・・彼の功績を振りかえりながら、起業家として学ぶべき点を自分なりに考察してみた。
Part2まで含め読破するのにトータルで25分ぐらいはかかる。三連休のあなたの貴重な時間は潰れるが・・・起業家なら彼の歴史を読んでおいて損はない。 (そのへんのクソ情報商材の何倍も為になる(笑)
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スティーブ・ジョブスは、シリア人の政治学者(父)と大学院生(母)の間に生まれる。
生まれてすぐに養子に出される。
ポール・ジョブスとクラリスジョブスのところである。
なのでジョブスと言う名はそこから来ている。本当の母とは30歳になるまで会っていなかった。
スティーブのイノベーターとしての人生の最初の一歩を手助けしたのは、ヒューレット・パッカードである。
ご存じシリコンバレーの始祖だ。
スティーブはヒューレット・パッカードで高校生の時、バイトをしている。
その時に悪友のウォズと知り合い違法な長距離電話のシステムをこともあろうかスタンフォード大学の図書館にしのびこみ、AT&Tの情報を得ると、ブルーボックス(無料で長距離電話をかけられるシステム)を作り上げてしまった。
スティーブはそれをカルフォリニア大学バークレー校で高値で売りさばきまくってかなり儲けた。
この当時で思う事は、ヒューレット・パッカードという当時最先端の会社にすでにバイトとはいえ働き始め、最先端の技術にすでにふれていたこと。
「ウォズ」という自分より上の技術者と仲良くなっていたこと。
そして、長距離電話を無料でかけられるシステムを売りさばいて儲けたというのだから結構若いころから商売の才能があったと言う事か・・・
ちなみにこの長距離電話の無料にかけられるシステムは不法行為だが・・・多くのIT起業家の初期の資金源になっている。
この違法システムを売りすぎて・・・やりすぎたスティーブは、良からぬ輩に眼を付けられ銃で脅され・・・その商売をなんなくギブアップ。
その後、オレゴンのリード大学に進むと大学の教授は俺よりバカじゃん・・・と思うようになりあっさり中退。
コーラの空き瓶を売りながらの放浪生活をし、哲学やカリグラフィー(西洋の書道だな。)まぁ・・・アートの世界に走ってしまう。
スティーブのアーティストとしての匂いは、この頃、身に着いたのであろう。
若いころにアートを学ぶのは起業家には大変大事なことだと思っている。
その後「アタリ」というみんなも知っているゲーム会社に下っ端エンジニアとして入社し、社内の仲間とインドを放浪するは、坊主になるは・・・風呂に入らないは、はだしで社内をうろつくはの変態ぶりを発揮していたそうだ。
アタリ社の有名なブロック崩しというゲームがあるが、その改良をスティーブは会社から命じられたが、そのほとんどは上記したウォズに実際のプログラミングを泣きついて頼みこんでいた。
スティーブはすでに自分より優秀な技術者を使う能力を持っていたと言うことだ。
そのウォズはアルテア8800という世界初の個人向けコンピューターを見ると・・・もっと良い物をオレなら創ると気合いを入れて半年で設計してしまった。
ウォズが働いていたヒューレットパッカードはそれを見たが・・・当時・・・個人向けコンピューター・・・?
何それ?
と無視してしまった。
ゲーム屋のアタリはどうかと言うと・・・
何それ?
ヒューレット・パッカードと同様な返答だった。
なので、ウォズとスティーブは金を苦労して集め・・・ガレージで自分らでその画期的なコンピューターを売りだした。
これが666.66ドルで売りだされたApple comupterの第一号である。
当時コンピューターは個人向けではない代物だった。
どこかの過去記事でも書いたが、タイムシェアリングといって時間を分けて大勢の学者が交代で使うようおな大規模な「機械」としてはじまったコンピューターは、学者の大変貴重な「実験器具」にすぎなかった。
そんな実験器具を「個人が使いこなす時代がくる」と思って、自分たちで作って、うってしまうのだから・・・起業家のやることは無茶苦茶だ。
今から考えれば当たり前のことと映るかもしれないが、当時の人間にとってそれは、イノベーションどころか「頭のおかしいやつら」と映ったことだろう。
大企業はギャンブルできない。だから起業家がそのすきを突く。
ちなみにAppleという社名はビートルズのレコード会社 「アップル」から取ったとされるという説が有力だ。
さて、売れたアップルコンピューターの利益8000ドルを手にスティーブは、インテルのストックオプションで金持ちになったマイクと言う人物と知り合う。
マイクはスティーブの才能を見抜き自身の資産92000ドル(当時で言えば3000万円ぐらいか・・・)を何だかわからない若者たちの夢に突っ込んだ。
腕に良い投資家だったのだろう。すぐに金の匂いをかぎ取った・・・私もVCとして見習わなきゃな・・・
というわけでウォズ、スティーブ、マイクの三人でアップル社が創設される。
ウォズは、アップルコンピューターを再設計。
処理能力向上とディスプレー表示のカラー化、拡張スロット、内蔵キーボード、データ記録用カセットレコーダという今日では当たり前な超画期的なことを全部で一人でやってのけた。
そうやって1298ドルで売りに出された革新的な個人向けアップルコンピューターは爆発的に売れ、1980年に10万台、1984年には200万台に上った。
スティーブは1980年にはIPOをしている。
この時点で2億ドルに近い資産を手にした。
もちろん、いいことばかりではない。
ほどなくして、当時のコンピューター業界の巨人IBMがこの・・・萌芽し始めた・・・うまそうなパーソナル・コンピューター市場に乗り込んできた。
あッちゅうまに窮地に追い込まれたスティーブは次の手を打つ。
Lisa (リサ)というプロジェクトを立ち上げる。次世代コンピューターの開発プロジェクトである。
ご存じ・・・私の彼女ですと過去記事で私が嘘をついたリサはここから名前を拝借させていただいている。(笑)
そして、次世代の画期的なコンピューターを模索していたスティーブは
コピーで有名なゼロックス社のパロアルト研究所(今のコンピューター文明を猿からホモ・サピエンスにしたコア技術の固まりのようなITの聖地である)をふらりと見学した際、グラフィカル・ユーザーインタフェースに
「キラリ!」
閃(ひらめ)いたスティーブは、その後、このリサプロジェクトにその画期的な表現方法を用いることとなる。
ここでの重要な点は、そのゼロックスがアップル社に出資を持ちこんだ際に、逆にスティーブらが、パロアルト研究所の最先端の技術を見せること・・と条件で出したことだ。
ゼロックスに出資させて・・・イコール提携して、仲間になって・・・今でいえばコラボか・・・
研究開発費をかけずに世界最高峰の技術に触れる機会を得ていることは勉強させられる。
この点は、ベンチャーが飛躍する極めて重要な点だ。みんなも覚えていて損はない。
金を出させて技術もくれと言っているスティーブの起業家としての才能に見習おう。
・・・・・・・にも関わらず・・・・
独断専行の織田信長のようなスティーブは、社内で・・・はぶんちょにされ、このプロジェクトから外される・・・ハメに
「あひぃ!」
となったスティーブは、突如として同時並行していた社内の「Macintoshプロジェクト」に参画を決めることになる。。
「Macintoshプロジェクト」とは誰でも扱える・・・ノートのようなコンピューターを目指す!
と言うものだ。
もともとアーティストのスティーブである。
そのプロジェクトに後から参画したにもかかわらず「異常とも思えるこだわりをみせ」
それは社内の相当な反発を招いたようだ。
「美しくなければダメだ」
芸術家たるスティーブは何回も製品の仕様をやりなおした。
やっとの思いでMacintoshがデビューしたのは、1984年1月。
IPOから4年後のことだ。
この時スティーブは全く新しいコンピューター像を創造した。
そして・・・・そのMacintoshは、当時のいかなるコンピューターをも凌駕するソフィスケイト・・・つまり洗練されていた。
その当時できうる最高の芸術を目指したのであろう。スティーブは。
すでに、この時点でアップル社はかなり大きな企業になっている。
しかし、当時のIBMの巨人ぶりといったら・・・当時すでに20歳を超えていた私には鮮烈に焼き付いている。
笑っちゃうほどガリバーだった。
当時の「コンピューター」は資金を大量に持つ研究所や官庁・・・そして企業しか持てない代物といして発明されていた。
設備産業用向けの・・・巨大プラントのようなイメージだ。いまでは想像もつかないだろう。
ガリバーIBMが作ったビジネスモデルがそうだった。
ちょっと昔のコピー機だって、会計ソフトだって・・・会社に売りつけると誰もが思っていた。
そう言う商売なのだと思い込んでいた。
だって・・・コンピューターを創ったのはIBMだぜ。
だから・・・アップルやマイクロソフトやその他の新参者は・・・当時まだ海とも山とも思えない「個人」というマーケット(市場)を狙うしかなかったのだ。
個人にコピー機売るようなものだぜ・・(笑)誰がそんなこと儲かると思う・・・。
いや・・逆か・・・
企業向けを狙っていたコンピューターベンチャーはことごとくIBMに踏みつぶされていったということかもしれない。
初期のアップル社の反逆者のイメージは、ガリバー「IBM」に向かう無謀なシリコンバレーのドンキホーテとして作り上げられていった。もちろん、後半の敵はマイクロソフトだが。
この反逆者・・・メジャーでない・・・アウトサイダーというイメージは今日もアップル社・・・
いやいや・・・スティーブについて回る。このイメージが一部の熱狂的なマック信者を作ったといっても良い。
起業家にとって極めて重要な点だ。
一番儲かるマーケットを狙わず・・・NO.1シェアを取らず・・・いつも貪欲に戦って入るイメージ・・・
その「匂い」は最初は少ない人数でも、いずれ時代が変わり多くのファンが生まれ、支持者が生まれ巨大なうねりになる。
オバマ大統領ももこの手法だ。
小泉元首相もこのイメージ戦略だった。
カリスマのイメージをを創りたければ、いつの時代も・・・そうだが
大英帝国を打ち負かしたと言うフランスの英雄ジャンヌダルクのように、物凄く大きな者に打ち負かされるのではないかというリスクを冒して戦うイメージを作ることだ。
これはご存じナポレオンが後に民衆の気持ちを掴むために使っている。
スティーブは、アップル社のブランディングをこの反逆者のイメージを常に纏(まと)わせた。
そのイメージを更にカッチョヨク良くするため、スティーブは次に
「お前は一生砂糖水を売って生きるつもりか?それとも世界を変えるほうを選ぶか?」
とペプシコーラの社長を引き抜いた。
そのスカリーはマーケティングの腕利きだった。
当たり前だが、「コーラ」関係の事業は、商品開発より・・・マーケティングの会社と思ったほうがいい。
飲料メイカーではなくマーケティング会社と思ったほうがいい。同様にビール会社もマクドナルドもマーケティングの会社である。
その後、スティーブは、自ら引き抜いてきた、そのスカリーによって、Macitoshの売上不調と赤字を招いた件をネタにアップル社のほとんどの仕事から干されてしまう。
信長だったからな・・・・いつの時代も・・・国も関係なく・・・独断専行型タイプのトップは下剋上にあう運命だ。
会長とは名ばかりで・・・何もできなくなってしまった。
起業家にとって・・・何もできない・・と言う事は死に等しい。
絶望にくれたスティーブは、例のごとく放浪を始める。金はあるが・・暇もある。
いやぁ・・・分かるな・・・時間つぶしにフラフラしていたのだろう。
そんな「迷いの時期」に
スタンフォード大の有名な生物学の教授・・・ポールバーグと昼飯を食った。その際教授の高度なDNAシミュレーション研究にコンピューターを使うことを勧めた。
それにまた「キラリ!」となった。
着想を得たスティーブは、「教育」という分野にコンピュータを使うことを考え始める。
「キラリ!」の後は早かった。
アップル社長のスカリーに辞表を叩きつけると・・・自身の持っていたアップル社の株650万株を1株を除き全部売っぱらってしまった。
1株残したのは、株主報告を聞くためものだ。
資金を作ってすぐに「NeXT」というかっこいい名前の会社を創った。
自身の資金700万ドルを突っ込み・・・凝りに凝って・・・次世代型のコンピューターを発表するまでに4年かかっている。
こだわりにこだわったコンピューター開発は・・・あっという間に資金を食いつぶしていく・・・
膨大な金が飛んだ。
ロゴもすごくカッコ良かった。
コンピューター本体は、加工の難易度がかなり高いマグネシュウム合金、フロッピードライブの代わりに光磁気ドライブを使うなど・・・先進的だった。
価格も当時のサン・マイクロシステムズのワークステーション並みと言う高価な代物になった。
物凄くかっこよかったのを私も覚えている。
そして、その発表時の彼のプレゼンも良く覚えている。天才的に上手かった。
NeXT社のNeXTcubeという製品は世界初のウェブサーバーとなり、Web object は世界初のウェブ用アプリケーション開発の環境を提供することとなった。
今日のMac OSにも多大な影響を与えている。
スティーブは、斬新でカッコよく・・・素晴らしいコンピューターの新しいモデルを作ったが、すぐれた映画がいつも興行的に上手くいくとは限らないのと同様、その画期的なおもちゃは興行的に上手くいかなかった。
NeXTの従業員は半分以上がレイオフされ、ハード部門は出資をしていた日本のキャノンにM&A(売却)され、ソフトウエア専門の会社として生きながらえることとなる。
このころ、NeXT社を優秀な映画は作ったが興行成績が思わしくない映画会社に例えたが、文字通り、スティーブは、映画会社(?と言っていいかどうか・・・)の経営にも乗り出している。
ご存じモンスターインクなどで有名なアニメーション製作会社の「ピクサー」なのだが、もとはあのジョージ・ルーカスのフィルム会社のCG部門を買収したのが始まりだ。
ジェラシック・パークなどのCGなどを担当して技術は当時最高峰だった。
スティーブの発想は・・・常にコンピューターの可能性に向けられていたのであろう。
このコンピューターという画期的な機械をどう使うか・・・どんなことに使うか・・・それを常に考えていたのだと思う。
時に教育に、時に映像の世界に・・・
彼にとっては機械ではなくおもちゃだったのかもしれない。
コンピューターとは。
ゲイツやIBMや、世界最高のコンサルタント集団は、金のなる木としか思わなかったかもしれないが(笑)
その後ピクサーはディズニーにM&Aされ、スティーブもディズニーの取締役になる。
彼は、ディズニーの取締役は合っていたのであろう。創造的職場だ。今のディズニーのCEOボブ・アイガ―も彼とは仲が良かったと話を残している。
あいもかわらず・・・エキサイティングな事を考えるスティーブは、その後・・・なんと経営の傾いていた古巣アップルのM&Aを考えるようになる。
こういう時に・・・
シリコンバレー人脈がモノをいう。
オラクルのラリーエリソンに、「一緒にやらない?」とその買収話しを持ちかける。
どちらも・・・その時は妥当ゲイツだったからね。このラリーエリソンも私は好きな人物の一人で、何度もおっちにかけた地獄の底からゾンビのようによみがえった不屈の起業家だ。
このM&A話は結局流れている。
アップル社は、次期MacのOS開発に苦労していた。というより完全に暗礁に乗り上げていたと言っていいだろう。
それを聞きつけたスティーブは、当時のアップルのCEOギル・アメリオに
一本の電話を入れる。
自身のNeXT社の製品NeXTSTEPをMac OSの基礎技術として売り込むためだ。
壇上(テーブル)に上がったのは
サン・マイクロのソラリス
WINDOWSNT
Be社のBeOS
そして、スティーブの新会社 NeXTのNeXTSTEP
の四つ。
最初にサンのソラリスとwindowsNTが脱落。
Be社のBeOSとスティーブのNeXTSTEPの一騎打ちになった。
アップル社のCEOアメリオ以下取締役陣、技術陣の前で最後のプレゼン勝負となった。
最初はスティーブのプレゼンだった。
スティーブは、自社のNeXTSTEPの弱点も強みも腹を割って話した。
そして自身で説明しきれないところは、NeXTのエンジニア二人に丁寧に説明させた。
熱心な・・・そして心のこもったプレゼンだったと後にアメリオは語っている。
一方、Be社は、CEOのジャン・ルイ・ガぜーが一人でアップルに来た。
完全に勝った!
と思いこんでいたガぜーは余裕綽々(しゃくしゃく)で、アップルの経営陣に「BeOSの良さはすでにみなさんお気づきでしょう。」
とだけ述べてプレゼンを終えてしまった。
こうして・・・・アップルはNeXTSTEPを採用した。
これは、アメリオの決断で・・あとにも先にも最高のジャッジだっただろう。最悪のジャッジか。
会社にとって最高であり、アメリオ自身にとって最悪であった。
なぜって?
その後・・・アップルはNeXT社を4億ドルでM&Aするのだが・・・同時にスティーブも復帰させたからだ。
アップルに復帰したスティーブのそれからの行動は・・・M&Aを生業にする私の・・・たくさん勉強させられたところだ。
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いつものようにアメブロの40000文字の制限がきてしまった。
私の勉強させられたM&Aの見事な手法はpart2 へ続く。この下だが(笑)
ちなみにいろいろ設定の都合で、記事と記事との間がかなり広くなってしまっている・・・気にしないでくれ。・・・