日常と非日常と | cracking my ballsのブログ

日常と非日常と

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東京は寒いが、いい天気で、巨大な経済機能を蓄えた都市は人々を明日また同じ事をさせるためだけ

に、今日も機能維持に勤(いそ)しませるのに躍起だ。

たぶん同じであると思っているのは、昨日と比べている自分だけで、10年前の自身の写真や映像を見

れば、今の自分がいかに変わったかを思い知らされる。

日常に埋没する自分は、いつもの自分でいるほうが居心地がいいと訴え、生きることの「ものぐさ」

は、変化をことさら拒む。




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今回は、日常と非日常について語ろう.

私の良くみている 恋愛写真家 石野光一さんのブログがある。

モデルを恋人に持つこの方は、毎回恋愛をテーマに、人を愛することや人の生きることについて優しく

語りかけ、最後に自身の素晴らしい写真を一枚必ず載せる。

私のようにバカ長文でしか語ることのできない者にとって、さらりと数分で読み切れる文章と深い写真

の語りかけは、見事としか言いようがない。

石野さんのブログで、運命的出会いについて語っている時があった。本文は上のリンクをクリックして

いただくとして、運命的出会いは自然ではないとおっしゃっていた。ナンパ師はナンパすることが自然

で、出会いのない奴は、ないのが自然と語る。

物凄い良い女に六本木のスタバでコーヒーをぶっ掛けられて、「すみません」と謝られて、

「だいじょうぶですよ・・気にしないでください」と答え顔を上げたら、それが黒木メイサで、よくよ

く話を聞いたら、なんと私のブログの読者だった。

などというのは、運命的出会いというより、私の妄想でしかない。

実際に中目のampmで、雑誌を立ち読みしている時に、その雑誌の中の、ファンだったVIVIのモデ

ル、佐田真由美 さんが隣にいた。なんて事はあったが、彼氏(今のだんな)と一緒だった。

もちろんコーヒーなどかけられない(笑)


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資金繰りで困る日常   Daily life embarrassed because of financing

石野さんのブログでの恋愛を相談しに来る人ではないが、私のところにも、「資金繰りで」困っている

という人は良く来る。

その人にとって、資金難で、いつも金繰りを心配するのが日常となっている。

会社が大成功するのは、その人にとって非日常である。

東京地裁は、私にとって日常であるが、普通の人にとって非日常である。破産者にとっても裁判所に来

るのなんて最初で最後であろうから非日常だろう。

それが、資金難に陥っていた日常の積み重ねの結果である非日常であったとしてもだ。
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起業家は成功を非日常にしてはいけない。



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モデルの日常  Daily life of model



美人は、普通の女性や一般の男子にとっては非日常であるが、美人本人にとってはきれいであることは

日常である。

日常的に美人であることは努力を要するが、もちろん所属するモデル事務所に行けば、そこは美人が日

常となる。

日常の中で、自分もその日常に埋没すればそのモデルは売れない。

「美」を当たり前とするマーケットに所属しているのであれば、そこで非日常であらねば売れっ子モデ

ルにはなれない。

全員が100点で横並びであれば、自分が同じ物差しを使って、すなわち「美」の物差しで120点を

叩き出せないのであれば、他の付加価値で20点分を補わなければならない。

それは演技力で会ったり、歌唱力であったり、抜群の服飾センスであったり、英語力であったり、異性

に気に入られる特殊なコミュニケーション能力であったり、時に小顔であるということだったりする。

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ケイト・モスのように従来の背が高いという概念より、背はほどほどでも小顔という時代が味方に付く

場合もある。

それは単なる運というよりも、時代の方が、自分を非日常化させた事によるヒット法則である。

今まで背が高いことが売れっ子モデルになる重要な条件であると思っていたことが、ある日、小顔であ

れば、背は問題ないと、世間が変わる。特に雑誌において、それは顕著だ。雑誌で背の高さなどわから

ない。小顔であればきれいに洋服は着こなせることに気が付いた。

当たり前だが、時代・・・世間の認識・常識(日常)のほうが勝手に変化すれば、マイナスと捉えてい

た自分の欠点もプラスとなる。

このパターンは、モデルにとって・・・自分がモデルで食っていこうと思う時、はたして将来、時代は

自分に味方するだろうかと予測した場合・・・

ケイトモスが持っていた付加価値とは・・・先見の明・・・「時代の先を見る目」が・・・すなわち上

述した付加価値20点分ということである。

日常に付加価値を付けること。それが非日常を呼び込む。


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一晩で100万飲むバカ  Fool that drinks one million at night

毎日、六本木で100万使う輩がいる。

一般人から見れば、非日常だろう。

しかし本人取っては日常の風景だ。

知らないものから見ればバカと映るだろう。

しかし、本人はいたってまじめだ。

私の知り合いのIT社長は、月に300万円外食でカードを切る。

バカではない(笑)

その300万円の繋がりから、月にその10倍、20倍の売り上げを叩きだす。

一晩に100万円使っているやつがいたら、一晩に1万円使うのを恐れる者からすれば、「何たる浪費

家」と思うだろう。

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ほんとに浪費だろうか?

バカな奴なら、一晩に100万円を使う事を何年も続けられない。日常にできない。

競馬で当たったとか、宝くじに当たったとか、FXでマンの一つのバカあたりを引いたとか・・・とい

うものが一晩に100万使う。・・・・それは非日常での浪費である。

日常で100万円使うやつらは・・・・使うことが、その生活を維持する上でのシステムに組み込まれ

ている。往々にして浪費ではなく投資をしている場合が多い。

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日常の中の非日常ビジネス   Business in daily life in non-.. daily life

今日最も儲かるビジネスの一つは、日常の中の非日常を演出するビジネスだろう。

昔「ハレ」と「ケ」という表現があった。昔の日本人には、辛い農作業を続ける日々の「ケ」あり、盆

と正月や祭りといった「ハレ」という表現方法があった。

昭和の時代には、デパートの屋上や食堂は「ハレ」の象徴であり、茶の間と母親の焼いてくれたさんま

は「ケ」であった。ハレの火の洋服はこれ、ケの日はこれと決まっていた。

その頃のビジネスは二極化していた。

デパート、ホテル、レストラン、旅行、記念日、デートといったハレを相手にするビジネス。基本高級

化路線を走った。

スーパー、普段着、八百屋、魚屋、肉屋、国鉄、文房具屋、電気屋、喫茶店、レコード屋・・・・

ケのビジネスは、低価格路線で普段使いという生活の中に概念を置いた。

ハレのビジネスもケのビジネスも、当時、商店街という立地に位置したが、どちらもハレとケという前

時代的二極思想という概念から脱却できなかった者は今日シャッターアイランドの餌食となっている。

バブルの時代に空間プロデューサーなる物が、ハレを理念に置き、エンターテイメントレストランやデ

ィスコを多数作ったが、時代の波にことごとく粉砕された。

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20年前はファミリーレストランは「ハレ」の舞台だった。


信じられないだろう。

家族がそろって、各々の好きな好みで同じテーブルを囲め、それでいて手ごろなリーズナブルプライス

を実現したファミレスは、単なるデパートのロードサイド版というポジションを越え、文化になり得て

いた。

そしてハレを通り過ぎて、人々がそのシステムに慣れ親しんでくると、まさにファミレスの絶頂期が訪

れる。

この時期の、ファミリーレストランのビジネスこそが日常の中の非日常ビジネスのお手本だ。

今日「ハレ」と「ケ」の境目はあいまいになり、多様化がもたらした価値観の分散は、人にはハレでも

人にはケであるという生活をもたらした。

成熟した消費者を相手にするビジネスで成功するためには、日常の中の非日常を提供するということは

極めて重要な意味をなす。

カフェビジネスはそれに近い。

駒沢のバワリーキッチンは、すかいらーくの創業者である茅野氏が訪れ、すかいらーくを初めて開店し

た時の匂いがここにはあるといわしめた。

広尾のフランスバスク地方の料理を出すla pitchouli de loulouというこじんまりとしたレストランがある。

男同士でも、女性とのデートでもどっちで良く使う。使い勝手の良い店だ。

ここは、日常的にフランスのバスク料理を作る家庭などフランス人でなければ、まずいない。しかし、

外食を日常として成熟した者にとって単なるフレンチはつまらない。フランスの、それも地方の料理と

いうのが日常の中の非日常となる。

しかも、ありがたいことにしょっちゅう言っても財布はそうそう傷まないポピュラープライスでそれを

提供してくれる。雰囲気は抜群だ。

ちなみに、ここのメートルの浅沼という坊主の若者は、私は大好きである。

なぜかって?

「私の眼の黒いうちは、絶対に禁煙などということはしません」と言ってのけてくれていることだ。喫

煙のフレンチは東京にとって希少だ(笑)



ツタヤは、日常の中の非日常のビジネスとして好例だろう。日々の生活にひと時の夢を与えてくれる。

また、スタバもそうだ。

一度は、みんなも行ったことがあるだろう。一度は行ったことがあるという時点で、ディズニーランド

も日常の中の非日常を演出する優れた企業だ。

ユニクロの業績が伸び出したのは、単なる「ケ」のビジネスから日常の非日常を演出すると社の戦略を

転換し出してからだ。

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日常の中の非日常の演出手法。Production technique in non-daily life in daily life.

東京ハンズは、わざと特大のレンチを置いたり、バカでかいナットを並べたり、変わった時計を在庫と

して持つ。それらはめったに売れないことを彼らは知っている。

なぜ置くかと言うと、日常の物を買いに来た人に、非日常を見せ、「あそこに行けば何か面白い発見がいつもある」と演出しているのに他ならない。

起業家諸君が、ECサイトを構築する際、この理論は極めて為になる。ロングテールでもそうだが、普

通の人にとっての非日常は、それを日常としている者にとっては極めて集客力を持つ。そして、日常と

思うものには、新鮮な喜びとなってリピートを促す。



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どうしょうもない日常を脱却する手法  Method of getting rid of in bad daily life



10年目の自分の写真を見れば現在の自分がいかに変わっているかわかる。

わからないのは、比べる比較対象が昨日の自分であるからだ。

日常と非日常を分かつものは、実は頻度・・・つまり数である。

自身の生活に置いて頻度の多いことが日常に他ならない。毎日デニーズに入っていれば常連であるこ

と以上に自身が日常としてデニーズを欲している。

非日常である大成功を望むのであれば、日常に成功の回数を組み込まなければならない。

それは、非日常の回数を増やすことに他ならない。


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ディズニーランドは、進化し続け、新しいアトラクションを作り続け、日々顧客に非日常を与え続ける

ことに信念を持っている。なので成功を日常にしている。

昔、若い起業家は、1着30万円のスーツを着るべきだと書いた。少なくとも普段は、スーツカンパニ

ーでもいいが、ここぞの時には30万円のスーツで臨めと記した。

毎日30万円以上もするトムフォードのスーツで過ごすとどうなるか?

当たり前だが、良い生地のスーツは2、3カっ月であっという間にダメになる。それを日常としている者

は、だから何着も代えを用意している。

しかし、着なければ、素材がすごく肌触りがよく、デザインが己の欠点を絶妙にカバーし、ワンランク

上の自分に見せ、そして2、3か月でダメになることを知らずに過ごす。

高い物が必ずしもいいものであると言っているのではない。

良い者を着ることによって、それを日常としている者の視点が備わると言っている。


成功する上で極めて重要な視点だ。


2005年のビンテージのシャトー・ディケムというワインは1本50万を超える。

ワインで50万円とはばかげていると思うだろう。

しかし、資本主義経済において・・・需要と供給という原理において、その価値がなければ、当たり前

だが50万というバカげた値段は付かない。

世界はバカではない。

4545ユーロという値段には、私がいつも最も重要と言っている世界観がある。

クレイジーだろう。


しかし、自身の日常に少しでも非日常の世界観を取り入れていくこと以外に、「今の日常」を脱する方

法はない。




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最後に、普段見る日常の世界をその見事なまでの世界観で非日常にしたアーチストの作品を。種明か

しは画面を上下2分割して普段見ている風景を繋ぎ合わしただけだ。






世界を変えるのはいつも日常の中にあるコロンブスの卵を見つけようとする意志にある。


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表紙の写真含めて文章中の写真は全て two cute dogs' photostream
という方の物。たぶん日本人だろう。原則日本人を

避けている私だが、Flckrサイトで見つけ、シェアする事ができる用になっていたので使用を判断した。


なぜかって?

怒られても良いから紹介したいと思えるほど「カッコイイ」と思ったから。
街は人が作る。この人・・・TOKYOの「匂い」を切り取るセンスは明らかに世界レベルだと私は思う。


恐れ入る。


もちろん、削除依頼が来れば即座に消しますです。