作らなければ、という意識から解放されたい。まともに就職する未来は、しっかりと想像した事が一度も無い。未来の選択が強迫観念を作り出したのか、あるいはその逆なのかはわからない。ただ、いいギターのフレーズを忘れた時や、カメラを持たずに素晴らしい一瞬に出会った時、ひどい間違いを犯しているような気分になる。
実際はそのフレーズが鳴った事や、その一瞬が存在した事に本質があるのだけど、僕の思考はその本質を見つめる事を、どこまでもおろそかにしてしまう。
作品を作るのに、作らなければという意識は不要だ。言語の論理ではなく、感覚の論理で考えたらそんな結論に至った。感覚の論理って矛盾した言葉のようだけど、でも、たしかに僕は実感している。作らなければいけないものは商品で、その代価が金銭であろうと賞賛であろうと自己実現であろうと、代価と交換できる、商品でしかない。だからこそ、無価値な作品を作りたいと思う。価値や意味は、ただの飾りだ。
実際はそのフレーズが鳴った事や、その一瞬が存在した事に本質があるのだけど、僕の思考はその本質を見つめる事を、どこまでもおろそかにしてしまう。
作品を作るのに、作らなければという意識は不要だ。言語の論理ではなく、感覚の論理で考えたらそんな結論に至った。感覚の論理って矛盾した言葉のようだけど、でも、たしかに僕は実感している。作らなければいけないものは商品で、その代価が金銭であろうと賞賛であろうと自己実現であろうと、代価と交換できる、商品でしかない。だからこそ、無価値な作品を作りたいと思う。価値や意味は、ただの飾りだ。