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Poincaré conjecture(ポアンカレ予想)

サンヘドリンのブログ-ペレリマン

「単連結な3次元閉多様体は3次元球面S3に同相である」1904年にフランスの数学者アンリ・ポアンカレによって提出された。以来ほぼ100年にわたり未解決だったが、2002年から2003年にかけてロシア人数学者グリゴリー・ペレルマンはこれを証明したとする複数の論文をarXivに掲載した。これらの論文について2006年の夏ごろまで複数の数学者チームによる検証が行われた結果、証明に誤りのないことが明らかになり、ペレルマンには、この業績によって2006年のフィールズ賞が贈られた(ただし本人は受賞を辞退)。
「2002年から2003年にかけて当時ステクロフ数学研究所に勤務していたロシア人数学者グリゴリー・ペレルマンはポアンカレ予想を証明したと主張し、論文をプレプリント投稿サイトとして著名なarXivにて公表した。そのなかで彼はリチャード・ストレイト・ハミルトンが創始したリッチフロー(Ricci flow)の理論に「手術」と呼ぶ新たな手法を付け加えて拡張し、驚くべきことにサーストンの幾何化予想を解決してその系としてポアンカレ予想を解決した(と宣言した)。
非常に単純に言えば、幾何化予想とは、多様体を8つのピースに分割し、そのピース毎に幾何的性質を調べるというものである。一方で、リッチフローを用いたときに、ピースから全体を構成し直すときに特異点が発生する可能性がある。ペレルマンはこの特異点の発生条件と特異点の性質を調べ、特異点が発生しないような手法を考えた。それが「手術」といわれる方法である。
それ以来ペレルマン論文に対する検証が複数の数学者チームによって試みられた。原論文が理論的に難解でありかつ細部を省略していたため検証作業は難航したが、2006年5 - 7月にかけて3つの数学者チームによる報告論文が出そろった。」from wiki

数学が苦手なおいらでも、ペレルマンはかなり興味を覚える。彼は宇宙の真理に迫る証明を、世間との交わりを一切拒否して部屋に閉じこもって独力で解いてしまった。まさに真の数学者であり哲学者。ポアンカレと何ら話題は変わるけどPS3とPSPの個人情報がだだ漏れしたらしいがしっかりしやがれ。

いちぱち

いつからだろう。一パチが定番になったのは。時代の流れと思う。羽ものの名機たちはスクラップになったのだろうか。。一パチで羽ものの名機ビッグシューター(平和)が置いてある店を友人に教えてもらったので打ってきた。大量生産、大量消費は資本主義(資産家の都合のいいように)がつくり出したものだが、その終焉を感じる流れだった。メーカーが次から次に開発し、送り込む台はその象徴だった。経済バブルはその初めから幻想だったはずだ。しかしかつての旧きよきパチンコメーカー群は、きつい規制にもめげず、資本主義の儲け主義に極度に走らず、なおかつドラッカーの理論など知らなくとも自然と顧客(ユーザー)のことを第一に考えておもしろ機種を続々と世に送り出してくれた。僕はロボットアニメで感情がないはずの無機質なロボットが涙を流すシーンが好きだ。そのせいだろうか役目を終えたパチンコの名機たちも勿論、携帯やPC、エフェクターなどの諸々の機械がスクラップになって海岸に山積みにされた光景を思うと切なくなり、胸が熱くなってくる。日本人は繊細である。たとえグローバルな全体主義へと世界が動いていても。独特でユーモアたっぷりなモノを作れる稀有な民族だと思う。別に国粋主義者(ナショナリスト)のようなことを言ってるのではなく。311以降思うところが個人的にたくさんある。一パチを打っていても終始心ここにあらずだった。ビッグシューターのアナログ電子音がひっきりなしに鳴り響き僕の聴覚を刺激し、鈍い電光が視覚を刺激した。たいてい弾ははじかれ、横に流れてゆく。たまに気まぐれで中央の回転する穴に吸い込まれる。ぱっぱらら~ぱららら~ん。弾が入賞口に溢れ出す。かつてならそれで満足だっただろうか。嬉しかっただろうか。
現状を眺めてみると、世はまさに黙示的(アポカリプス・ナウ)である。ただでさえ、先行きの見えない時代に追い打ちをかけるようにやってきた東北・関東大震災。パチンカーは悪者のような扱いである。僕は普段ポールモールライトを吸う愛煙家でもあるが、これもあたりがきつい。風潮や常識というものは時代によって変化するものだ。僕は居直りではないけれど、こんな時代だからこそと常に自分に言い聞かせる。このような時代だからこそ楽しんで生きてやれと。それは短絡的な独りよがりのわがままや快楽主義ではなく、強さに依拠している。軋轢に屈しない精神力を持たない限り、この不幸な時代を生きていけないのではと。悶々と腐敗して毎日を生きるより、やりたいことをやっていい意味で周囲を気にしない生き方や思考を持つことが重要ではないだろうか。一パチとゆうテーマから大幅に話が逸れてしまったけれど、結局個人の生き方の問題に帰結する。この状況の中、あえてパチンコ屋に出かける行為という意味から世界とは何であるかという根本命題について考えてみた次第であります。

ビッグシューター動画http://www.youtube.com/watch?v=UA3lbTWLqKs

母なる証明

グエムル-漢江の怪物-を撮った韓国の鬼才、ポン・ジュノの映画「母なる証明」を観る。
ストーリーはウィキより、「体に思考力の成長がついてゆかない息子・トジュンを、母親はつねに心配していた。トジュンには悪友・ジンテがおり、トジュンが轢かれかけた議員のベンツに復讐した際、協力したジンテからバックミラーを破損させた責任を転嫁されたことから、母親は彼との絶交をトジュンに勧めるほどであった。そんなある日、トジュンはナンパしようとした少女に逃げられた。そして次の日少女は死体となって発見され、トジュンは殺人容疑で逮捕された。息子が殺人など犯す筈がないと信ずる母は、警察や弁護士に追いすがるが、その努力も無駄と知り、自らの手で事件を解決しようと奔走する。」と大体こういった内容なのだが、全役者の役への入り込みの情熱が半端なく、得体の知れないテンションで画が歪んで見えるほど。トジュン役のウォンビンが意外と素晴らしかった。これがよんさまだったら失敗に終わっていたかもしれない。内容がとても暗く、重厚で、終始無機質でインダストリアルな印象。こうゆうテーマは嫌いではないが、重さ一辺倒だとおっさんの僕にはさすがに辛いものがあった。中和する為にも次はジャッキー映画でも借りてみよう。やはりバカ映画はゆずれない。もちろん、ジャッキーは小さい頃から僕のアイドル。愛おしい現役バカの一人だ。はうあ!話が逸れて結局ジャッキーを語ってしまった(/ω\)