今朝は、くるまのニュース からの抜粋受け売り記事です。

今では当たり前なモノの先駆者たち! 日本初となった車5選

https://news.yahoo.co.jp/articles/57981b1051967b7413131c5cf1e0fd4f8783db7f

 

今では広く普及している技術を初めて採用した日本車を振り返る

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 また、装備についてもコストダウンが図られ、かつては高額なオプションだったようなものが、今では標準装備となるなど、快適かつ安全なドライブが可能になりました。

 そうした技術や装備も、当然ながら初めて採用したクルマが存在します。そこで、日本車初の装備・技術を搭載したモデルを、5車種ピックアップして紹介します

 

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 1960年代になると日本でも高速時代に突入していたことで、クルマの高性能化が一気に進みました。そんななかトヨタは、世界に通用するスポーツカーをつくるという目標を掲げ、1967年5月に発売されたのが「トヨタ2000GT」です。

 外観のデザインは、英国製スポーツカーの伝統的なスタイルであるロングノーズ・ショートデッキを採用し、抑揚のある曲面で構成された流麗なファストバックスタイルで、スポーツカーにふさわしいフォルムとなっています。

 内装はウッドをふんだんに使ったインパネやセンターコンソールに、7連メーターを搭載するなど、外観と同様に英国調かつ豪華に仕立てられていました。

 このトヨタ2000GTには数多くの国産車初となる技術が搭載され、エンジンは直列6気筒DOHC、足まわりでは4輪ダブルウィッシュボーンと4輪ディスクブレーキなどが挙げられます。

 また、海外のスポーツカーで採用が始まっていたリトラクタブルヘッドライトも、日本車では初でした。

 エンジンは2リッターから最高出力150馬力を誇り、最高速度220km/h、0-400m加速15.9秒、0-100km/h加速8.6秒と、トヨタの目標どおり世界トップクラスの動力性能を実現。

 発売当時、トヨタ2000GTの新車価格は238万円で、初代「カローラ」が約50万円からだったことを考えると、これだけの装備は必然的だったといえるでしょう。

 その後、フロントマスクのデザイン変更などマイナーチェンジがおこなわれ、1970年までの3年ほどで生産を終了。海外にも輸出されましたが、生産台数はわずか337台でした


 

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 現在、スバルが自社生産するクルマのエンジンは水平対向のみで、世界的に見ても4輪自動車用はポルシェとスバルだけが量産しています。

 この水平対向エンジンを初めて搭載したのが1966年に発売された「スバル1000」で、記念すべき日本初のFF小型乗用車(登録車)でもありました。

スバル1000のボディは当初4ドアセダンのみをラインナップし、コンパクトなサイズながらもFFの利点から広い居住空間を確保。

 エンジンは1リッター水平対向4気筒OHVで、最高出力55馬力とスペック的には平凡でしたが、水平対向エンジンならではの低振動かつ低重心化が可能となり、車重はわずか695kgと軽量な車体と相まって、優れた乗り心地と高い走行性能を実現していました。

 また、4輪独立懸架の採用や、フロントブレーキをホイール内ではなくエンジン側に配置したインボードブレーキとするなど、先進的な技術が盛り込まれています。

 その後1970年代にスバルはこの水平対向エンジンに4WDシステムを組み合わせ、現在まで続く「シンメトリカルAWD」の原点となりました。


 

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 近年、欧州車から始まったダウンサイジング・ターボエンジンは広く普及し、国内メーカーも数多くのモデルで採用しています。

 このターボエンジンを国産車で初めて搭載したのは、1979年に発売された日産「セドリック/グロリア」です。

ターボは大気圧以上の圧力に圧縮した空気をエンジンに送り込むことによって、出力向上を図る装置で、技術的には第二次世界大戦で航空機に用いられるなど新しいものではありませんでしたが、自動車では1970年代に量産車でも搭載が始まりました。

 セドリック/グロリアに搭載されたエンジンは、2リッター直列6気筒SOHCターボの「L20ET型」で、最高出力145馬力、最大トルク21.0kgmを誇り、2.8リッター自然吸気エンジンと同等の走行性能を実現。

 昭和の時代は、3ナンバー車の自動車税が3リッター以下で8万1500円と非常に高額だったことから、2リッター車で高出力なモデルは経済的にも優れていました。

 しかし、アクセルを踏み込んでからパワーが出るまでに時間が掛かる「ターボラグ」が顕著だったことや、異常燃焼を防止するためにガソリンを濃く噴射する必要があり、市街地での実燃費は悪かったといいます。

 技術的にはまだまだ改良の余地がありましたが、セドリック/グロリアが登場したことで、ターボの急激な普及が始まることになりました。


安全性の向上に大きく貢献した技術とは!?

 

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 1982年に発売された三菱「スタリオン」は、海外市場を見据えて開発されたモデルで、発売当初からターボエンジンをメインユニットとするなど、本格的なスポーツカーとして誕生。

 外観ではフロントフェイスにリトラクタブルヘッドライトを採用し、直線基調のシャープなデザインと相まって、アメリカや欧州ではドイツ製スポーツカーがライバルとなるほど人気がありました。

当時の国内ではメーカー間でパワー競争が勃発しており、スタリオンもマイナーチェンジの際にパワーアップが図られ、1984年には国産車で初の2ステージ型可変バルブ機構を採用したトップグレード、「GSR-V」が登場します。

 GSR-Vに搭載されたエンジンは、「シリウスDASH 3×2」と呼称された2リッター直列4気筒SOHCターボで、最高出力は200馬力(グロス)を発揮。

 スタリオンの可変バルブ機構は、直径とカムプロフィールが異なる2本の吸気バルブの作動を回転数によって切り替えるもので、低回転域では吸気1、排気1の2バルブでトルクを稼ぎ、高回転域では吸気2、排気1の3バルブで出力向上を図る画期的なシステムでした。

 なお、三菱はバルブ休止機構を1982年には実現し、初代「ミラージュ」の気筒休止エンジンに採用しており、シリウスDASH 3×2はその技術を応用して開発されました。

 その後も三菱は可変バルブ機構の開発を続け「MIVEC」へと進化し、高性能化と低燃費化には欠かせない技術となります。

 ちなみに、1988年に登場した最終モデルでワイドボディの「GSR-VR」は、フロント205/55R16、リア225/50R16と、国内初となる扁平率50%のタイヤが装着されたモデルです。