今年中には、対岸側から向かいが来そうなので、今日は専門分野の??土木橋梁部門で、
からの受け売り特別記事です。![]()
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田園風景の中で圧倒的な存在感、浦村鉄橋の分身たち
https://news.yahoo.co.jp/articles/a5c3c753a2dd6b71b0a5a24c0df142a543ef6bfe
![20210103-00063498-jbpressz-000-1-view[1]](https://livedoor.blogimg.jp/cr71/imgs/3/f/3f5760a9.jpg)
「越路河川公園(新潟県長岡市)内の池に架かる赤い橋」
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【写真】田畑の中を歩いて行くと、突然鮮やかな色の橋が
記事冒頭の写真、公園内にある橋なのだが、何かおかしいことに気づいただろうか。
まず、人が渡るだけの橋にしては橋桁がちょっと立派すぎる感じがする。さらに写真をよく見ると、橋の向こう側に岸がみえる。つまり、池の端に設置されているので、橋としての役割をあまり果たしていないのだ。
まず、人が渡るだけの橋にしては橋桁がちょっと立派すぎる感じがする。さらに写真をよく見ると、橋の向こう側に岸がみえる。つまり、池の端に設置されているので、橋としての役割をあまり果たしていないのだ。
橋の欄干には「旧浦村鉄橋(旧越路(こしじ)橋)」として「土木学会選奨土木遺産」に認定されたというプレートがある。使わなくなった橋を保存用に移築したようなのだが、単に古い橋というだけで「土木遺産」と言えるのだろうか。
■ 鉄道橋を道路橋に転用
この橋はたしかに、日本の近代を象徴する“遺産”と言えるのだが、その理由を説明しよう。
この赤い鉄橋は、もともとは浦村鉄橋という鉄道橋の一部だったのだ。JR信越本線(建設当時は北越鉄道)がまたぐ信濃川は川幅が広いので、浦村鉄橋は橋桁6つをつなげたものだった。橋桁は、鋼材を三角形につなぎ合わせ必要に応じて縦材を入れて強度を強めた「トラス構造」と呼ぶものだ。
浦村鉄橋は1898年(明治31年)に架けられたが、信越本線の複線化をきっかけに1952年(昭和27年)に架け替えられた。このとき、すでに50年以上経っていた古い鉄橋の橋桁は廃棄されず、再利用されることになった。 使われたのは、信越本線の浦村鉄橋のすぐ南(信濃川上流)に架ける道路橋「越路橋(こしじばし)」だ。
越路橋も橋桁6つなのだが、必要な長さが浦村鉄橋と微妙に違うため、両端の2つの橋桁は新設した。それにより2つの古い橋桁が余ってしまったので、それも別の場所で再利用したのだ。
■ 田んぼの中にある橋桁の存在感
2つの橋桁を再利用したのは、信濃川の西を流れる渋海川(しぶみがわ)に架ける道路橋だ。「岩田橋」と「不動沢橋」という。 渋海川は大きく蛇行しているため、洪水や土砂崩れが頻繁に起こる「あばれ川」だった。増水しても流されない丈夫な橋の必要性から、頑丈な鉄道橋を利用することになったのだ。
川沿いに点在する製菓工場や秋色の田畑の中を歩いて行くと、この写真のように突然視界に鮮やかな色の橋が飛び込んでくる。岩田橋は1958年(昭和33年)に設置された。以前は赤色だったが、2017年、翡翠をイメージするエメラルドグリーンに塗り替えられた。
一見すると鉄道の線路が通っているようだ。道幅の狭い生活道路に、鉄道橋に使われていた存在感のある橋桁、という取り合わせが独特の景観を作り出している。
岩田橋からさらに南にある不動沢橋は、1959年(昭和34年)に設置された。2013年に塗り替えられた赤色の橋を、のんびりと車が通り過ぎて行った。
近くには普通のコンクリート橋もあるが、それらに比べると岩田橋と不動沢橋の勇姿は際立っている。最初に作られてから120年を経過しているが、定期的なメンテナンスを受けて現役で活躍する、地元にとってなくてはならない橋となっているのだ。
■ 役割を終えたが一部を保存
浦村鉄橋のメイン部分を再利用した越路橋はどうなったか。
浦村鉄橋は単線の線路用だったので幅が3.6mしかなかった。これでは上下2車線(片側1車線)の道路に使えないため、約6mまで幅を広げて再設置した。
1959年に設置したこの橋は老朽化のため、2002年に新しい橋に架け替えられ引退。その際、地域住民の熱意ある要望から、橋桁の一部が近くの越路河川公園に移設・保存された(次の図を参照)。それが冒頭写真のちょっと違和感のある橋なのだ。
120年以上前に作られた橋が分割され、一部が今でも現役の橋として使われている。これが、2019年に「土木学会選奨土木遺産」に指定された理由だったのだ*1。 *1 「選奨土木遺産 旧浦村鉄橋」、土木学会、https://committees.jsce.or.jp/heritage/node/1040「【長岡】旧浦村鉄橋が土木学会選奨土木遺産に認定されました」新潟県長岡地域振興局 地域整備部、https://www.pref.niigata.lg.jp/site/nagaoka-seibi/kyuuuramuratekkyou.html
一度作った橋を再利用することは、大正時代から昭和時代中期ごろまでを中心に、割と行われていたようだ。鋼材が豊富ではなかったこともあるだろうし、「使えるものは使う」という「使いまわし」の考え方が浸透していたからかもしれない。
移設して再利用している現存の橋を調査した論文がある*2。論文では、1つの橋を2つまたは3つに分割して再利用している例もあることが紹介されている(論文中では「姉妹橋梁」と呼んでいる)。 *2 梶川康男,「鋼橋移設,既存ストックの有効活用」,第9回 鋼構造と橋に関するシンポジウム論文報告集(2006年8月),http://library.jsce.or.jp/Image_DB/committee/steel_structure/book/55132/55132-0015.pdf
橋を3つに分割し、しかもそれぞれが現存している例は少ない。旧浦村鉄橋がその一例なのだ。ただ、残念ながら一部は現役でなくなり、一部は廃棄されている。
牧村 あきこ
そぉ~ せば !!! ![]()
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またねぇ~~~~ ![]()
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