今まで書いてきたブログを見てて、いやいや懐かしい。
例によって、また1年も放置してしまったな。
母の介護はまだ続いている。
だが、それも今月中には終わりを迎えそうだ。
また順を追って、去年の8月からの事を書かなきゃな・・・・
本格的に在宅介護が始まった頃、
ベッドをバンバン叩いたり、自分の手を叩いたりして
バイアスヒリンを服用してるせいもあって、
ちょっとした事でひどい内出血になった。
完全に幼児退行していて、子供の頃
よく行った不動様へお参りしている体で、
手をパンパン叩いたり叫んだり・・・
これがまた、いい音がして
うるさいのなんの・・・・
昼間ならいいが、夜中の3時頃とか頻繁にやるので
先生に相談したら、抑肝散を処方してくれた。
ただ、先生もヘルパーさん達も
「抑肝散は、飲ませるのが大変だから・・・」
と、口を揃えて言っていた。
あまり抑肝散に期待しない方が・・・・
という空気だった。
ヘルパーさんの話では、早く効果が出るとしても
2週間くらいかかると言っていた。
うちの場合、食後必ずきっちり飲ませた。
いくら本人が嫌だと言っても、怒鳴りとばしてでも
朝昼晩きっちり飲ませた。
その効果があったのか、見事に2週間後効果が出た。
本当におとなしくなった。
ただ、あまりにもおとなしすぎて、
微動だにせず、じっと寝てるだけになってしまった。
死んでるのか・・・・と思うほどだった。
先生に、状況を見ながら
抑肝散を調節するようにと言われた。
朝晩だけにして・・・・・
それでもおとなしいので、
夜だけにした。
すると今度は、前のように叫ぶようになってしまった。
抑肝散は、漢方だから即効性はないはずなのに、
ピタリと量で変化してくる。
なので最近は、朝晩2回にしている。
ベッドをバンバン叩いたり、自分の手を叩いたりして
バイアスヒリンを服用してるせいもあって、
ちょっとした事でひどい内出血になった。
完全に幼児退行していて、子供の頃
よく行った不動様へお参りしている体で、
手をパンパン叩いたり叫んだり・・・
これがまた、いい音がして
うるさいのなんの・・・・
昼間ならいいが、夜中の3時頃とか頻繁にやるので
先生に相談したら、抑肝散を処方してくれた。
ただ、先生もヘルパーさん達も
「抑肝散は、飲ませるのが大変だから・・・」
と、口を揃えて言っていた。
あまり抑肝散に期待しない方が・・・・
という空気だった。
ヘルパーさんの話では、早く効果が出るとしても
2週間くらいかかると言っていた。
うちの場合、食後必ずきっちり飲ませた。
いくら本人が嫌だと言っても、怒鳴りとばしてでも
朝昼晩きっちり飲ませた。
その効果があったのか、見事に2週間後効果が出た。
本当におとなしくなった。
ただ、あまりにもおとなしすぎて、
微動だにせず、じっと寝てるだけになってしまった。
死んでるのか・・・・と思うほどだった。
先生に、状況を見ながら
抑肝散を調節するようにと言われた。
朝晩だけにして・・・・・
それでもおとなしいので、
夜だけにした。
すると今度は、前のように叫ぶようになってしまった。
抑肝散は、漢方だから即効性はないはずなのに、
ピタリと量で変化してくる。
なので最近は、朝晩2回にしている。
学生の頃、笹塚の駅の側のレンタルレコード屋で、
何となく、ジャケ借りしたのが
The Kazu projectの「Standing In The Wings」というアルバム。
中々良くて、後にパイオニアのcmにも使われてた。
この松居和さん、尺八奏者でアメリカで活躍。
やたらとすごいミュージシャンと親交があるらしい・・・
というのは、知っていた。
数年前、久々に聞きたくなって
何とか集めてた途中で、「松居慶子」って人のアルバムに遭遇。
誰かと思いきや、和さんの奥様でピアニスト。
慶子さん、和さんよりもかなりの数のアルバムを出してて、
何枚か聞いたら中々良いので、かなり集めた。
和さんのアルバムにも登場した聞きなじみのある
ボーカリストもいて、おそらくアレンジも和さんなんだろうと想像がついた。
最近、仕事をしながら
スマホでネットラジオを聞いている。
最初は、'70sやRockのチャンネルを聞いてたが、
今はいわゆる「smooth jazz」を聞く事が多い。
Brian CulbertsonとかChuck Loebや
Dave Koz、Euge Groove、Paul Hardcastle
Peter White・・・・・
jazzっていうか、聞きやすいfusionって感じかな・・・・
jazzではないと思うが・・・
時々、慶子さんの曲もかかって、
「おぉ~」
やっぱり、慶子さんの曲、音がいい。
和さんの仕事なんだろうが、
他と比べて、タイコの音がやはりいい。
で今日は、久々に慶子さんのアムバムをずっと聞いていた。
で今は、「Standing In The Wings」を聞いている。
何となく、ジャケ借りしたのが
The Kazu projectの「Standing In The Wings」というアルバム。
中々良くて、後にパイオニアのcmにも使われてた。
この松居和さん、尺八奏者でアメリカで活躍。
やたらとすごいミュージシャンと親交があるらしい・・・
というのは、知っていた。
数年前、久々に聞きたくなって
何とか集めてた途中で、「松居慶子」って人のアルバムに遭遇。
誰かと思いきや、和さんの奥様でピアニスト。
慶子さん、和さんよりもかなりの数のアルバムを出してて、
何枚か聞いたら中々良いので、かなり集めた。
和さんのアルバムにも登場した聞きなじみのある
ボーカリストもいて、おそらくアレンジも和さんなんだろうと想像がついた。
最近、仕事をしながら
スマホでネットラジオを聞いている。
最初は、'70sやRockのチャンネルを聞いてたが、
今はいわゆる「smooth jazz」を聞く事が多い。
Brian CulbertsonとかChuck Loebや
Dave Koz、Euge Groove、Paul Hardcastle
Peter White・・・・・
jazzっていうか、聞きやすいfusionって感じかな・・・・
jazzではないと思うが・・・
時々、慶子さんの曲もかかって、
「おぉ~」
やっぱり、慶子さんの曲、音がいい。
和さんの仕事なんだろうが、
他と比べて、タイコの音がやはりいい。
で今日は、久々に慶子さんのアムバムをずっと聞いていた。
で今は、「Standing In The Wings」を聞いている。
ケアマネは家族から状況を聞き、ケアプランを立てる。
ケアプランはケアマネしか立てられない。
ピラミッドの頂点であり、絶対的存在だ。
うちのケアマネは、施設専従のケアマネだ。
ケアプランの選択肢として、最初はデイサービス。
ヘルパーの存在など、微塵も出さない。
結局は入所させる事を目的にしてるようだ。
利用者家族の多くには、
「お風呂に入れてあげたい」という声があると思う。
ケアマネに相談すると、
訪問入浴は、1200円程度。
デイ1日も同じくらい。
デイでもお風呂に入れてくれるから、
その方がいいと言う。
この時点で、ヘルパーの「身体2」の入浴介助380円の話しは出してこない。
利用者にとって、本人も家族も自分の家でお風呂に入れるし、
金額も安いし、選択するならこっちだろうと思う。
極力、ヘルパーよりはデイ・・・・
自分の成績になる施設専従ケアマネのクズなところだ。
デイなんて所詮は入所の予行演習で、
本人自体、回復改善など望めない。
「どうせあそこは3ヶ月も保たないと思うけど、よろしくね」
うちのケアマネがヘルパーの事業所へ発注した時、こう言ったそうだ。
どういう意味なのか?
あの家族に在宅介護など続けられるはずがないという事なのか?
ずいぶん、ナメられたもんだ。
残念だが、現時点でもう3ヶ月以上経ってるんだがな・・・・
そもそも月に1度だけ、印鑑を押してもらうために来るだけのケアマネなどに
ケアプランなど立てられるはずがない。
特にうちのケアマネは、その月に1度来る時でさえ、
本人の顔を見ようともしない。
ご立派なケアマネさんだ。
まぁうちでは、
てめえ自身が介護されるような歳のケアマネなんぞに何も期待しないし依存もしないがな。
本来なら、ケアマネを変えてもいいんだが、
そのあまりの立ち振る舞いを観察させてもらう事にする。
ケアプランはケアマネしか立てられない。
ピラミッドの頂点であり、絶対的存在だ。
うちのケアマネは、施設専従のケアマネだ。
ケアプランの選択肢として、最初はデイサービス。
ヘルパーの存在など、微塵も出さない。
結局は入所させる事を目的にしてるようだ。
利用者家族の多くには、
「お風呂に入れてあげたい」という声があると思う。
ケアマネに相談すると、
訪問入浴は、1200円程度。
デイ1日も同じくらい。
デイでもお風呂に入れてくれるから、
その方がいいと言う。
この時点で、ヘルパーの「身体2」の入浴介助380円の話しは出してこない。
利用者にとって、本人も家族も自分の家でお風呂に入れるし、
金額も安いし、選択するならこっちだろうと思う。
極力、ヘルパーよりはデイ・・・・
自分の成績になる施設専従ケアマネのクズなところだ。
デイなんて所詮は入所の予行演習で、
本人自体、回復改善など望めない。
「どうせあそこは3ヶ月も保たないと思うけど、よろしくね」
うちのケアマネがヘルパーの事業所へ発注した時、こう言ったそうだ。
どういう意味なのか?
あの家族に在宅介護など続けられるはずがないという事なのか?
ずいぶん、ナメられたもんだ。
残念だが、現時点でもう3ヶ月以上経ってるんだがな・・・・
そもそも月に1度だけ、印鑑を押してもらうために来るだけのケアマネなどに
ケアプランなど立てられるはずがない。
特にうちのケアマネは、その月に1度来る時でさえ、
本人の顔を見ようともしない。
ご立派なケアマネさんだ。
まぁうちでは、
てめえ自身が介護されるような歳のケアマネなんぞに何も期待しないし依存もしないがな。
本来なら、ケアマネを変えてもいいんだが、
そのあまりの立ち振る舞いを観察させてもらう事にする。
以前、ケアマネに勧められて、2回ほどデイサービスを利用した事があった。
しかし、2回とも本人が
「もう2度と行かない・・・」
というので、ストップ状態だった。
ケアマネが言うには、
「認知症の改善になるからデイを利用した方がいい」
あまり言うので、3度目を利用。
あろう事か、呂律が回らない状態で帰ってきた。
勿論、デイに行ったからといって、
すぐに認知症が改善するとは思わない。
しかし、悪化した状態になるとは思わなかった。
どういう事か聞いても、特に問題はなかったとの事。
デイとは別の選択肢があるのか聞くと、
「ヘルパー」さんに来てもらう事も出来ると言う。
早速、1日30分のコースを月~土のプランで依頼。
作業の流れは、トイレ誘導→口腔ケア。
ヘルパーさんは、ケアマネとは別の事業所で
最初、契約時に色々と教えて貰った。
ヘルパーさんの作業ぶりは、本当にプロで
感心して惚れ惚れしてしまうほどだった。
トイレでの処理など、
プロの方法を教えて貰った。
毎日、緻密に観察してくれるので、
先生に看てもらった方がいい・・・・とか、
こういう薬を処方してもらった方がいい・・・・とか、
いつも、ありがたい助言をしてくれる。
本人の状態も良くなり、
我々、家族の負担も軽くなった。
何故、もっと早くこの方法をとらなかったのか・・・・
何故、もっと早くこの方法を教えてくれなかったのか・・・・
悔いと憤りを感じていた。
しかし、2回とも本人が
「もう2度と行かない・・・」
というので、ストップ状態だった。
ケアマネが言うには、
「認知症の改善になるからデイを利用した方がいい」
あまり言うので、3度目を利用。
あろう事か、呂律が回らない状態で帰ってきた。
勿論、デイに行ったからといって、
すぐに認知症が改善するとは思わない。
しかし、悪化した状態になるとは思わなかった。
どういう事か聞いても、特に問題はなかったとの事。
デイとは別の選択肢があるのか聞くと、
「ヘルパー」さんに来てもらう事も出来ると言う。
早速、1日30分のコースを月~土のプランで依頼。
作業の流れは、トイレ誘導→口腔ケア。
ヘルパーさんは、ケアマネとは別の事業所で
最初、契約時に色々と教えて貰った。
ヘルパーさんの作業ぶりは、本当にプロで
感心して惚れ惚れしてしまうほどだった。
トイレでの処理など、
プロの方法を教えて貰った。
毎日、緻密に観察してくれるので、
先生に看てもらった方がいい・・・・とか、
こういう薬を処方してもらった方がいい・・・・とか、
いつも、ありがたい助言をしてくれる。
本人の状態も良くなり、
我々、家族の負担も軽くなった。
何故、もっと早くこの方法をとらなかったのか・・・・
何故、もっと早くこの方法を教えてくれなかったのか・・・・
悔いと憤りを感じていた。
父の葬儀も終わり、49日、新盆、1周忌も過ぎた今、
母の在宅介護に奮闘している。
母はすでに2年ほど前から介護認定されていて
現在は要介護1。
ただ、今年の2月くらいから、状況が悪化して
おそらく今年の更新では要介護3くらいになるだろう。
父の時、在宅を決意したのもつかの間、
1週間くらいで逝ってしまったので、拍子抜けしたが
その分、母の時はちゃんとしてやろうとカミさんと再度決意。
だが、この介護という事・・・・
まだまだ、情報が開示されてないというか、
知らない事が膨大にある。
「うちは、訪問介護を使っていて、
週に身体1が4回、身体2が2回、
ベッドなどのレンタル料も含めても、
7級地なので、月に1万以下で済む」
↑この文章を利用者家族が見ても、
すんなり理解出来る人は、きっと少ないと思う。
頂点に君臨するケアマネの資質も含めて、到底理解出来ない事が多すぎる。
まっ、そのへんはまだ後日。
母の在宅介護に奮闘している。
母はすでに2年ほど前から介護認定されていて
現在は要介護1。
ただ、今年の2月くらいから、状況が悪化して
おそらく今年の更新では要介護3くらいになるだろう。
父の時、在宅を決意したのもつかの間、
1週間くらいで逝ってしまったので、拍子抜けしたが
その分、母の時はちゃんとしてやろうとカミさんと再度決意。
だが、この介護という事・・・・
まだまだ、情報が開示されてないというか、
知らない事が膨大にある。
「うちは、訪問介護を使っていて、
週に身体1が4回、身体2が2回、
ベッドなどのレンタル料も含めても、
7級地なので、月に1万以下で済む」
↑この文章を利用者家族が見ても、
すんなり理解出来る人は、きっと少ないと思う。
頂点に君臨するケアマネの資質も含めて、到底理解出来ない事が多すぎる。
まっ、そのへんはまだ後日。
いずれそうなる事は分かっていたが、
またもや展開の早さに愕然とした。
「おそらく、この後、呼吸が深くゆっくりなって
きますから、その時、また連絡ください」
と先生は帰って行った。
急いで仕事に出てるカミさんに連絡。
親戚達にも声をかけた。
皆が集まり、父に声をかける。
言葉は発しないが頷いていた。
事態の急変に親戚達も驚いていた。
そこへケアマネが業者と一緒にやって来た。
エアマットを持って来たのだ。
ケアマネも、この事態に驚いていた。
「エアマット、どうしましょうか・・・」
「せっかくだから、設置して下さい」
とお願いした。
親戚の中に娘が看護士という人がいて、
今日は非番だからと、娘さんを呼んでくれた。
その看護士さんも、
「おそらく、先生の言うとおり、今夜か、
あるいはもっと早いかもしれないです」
との事だった。
エアマットの設置も終わり、
皆がまた声をかける。
親戚の一人が呼吸が変わってきたというので、
急いで先生へ連絡。
やって来た先生に、
「さっき先生が言ってた呼吸って、この事ですか?」
と訪ねた。
「そうです、間違いなくもうすぐだと思います。また連絡ください」
と帰って行った。
この時が午後2時。
当然、我々にはどうする事も出来ず、皆が、
「頑張って、まだ死んじゃダメ!」と声をかけるだけだった。
一人が、「どうしよう、息、止まりそうだよ・・・」
と俺を呼ぶ。
呼ばれても・・・・・。
そして、午後4時頃、その時が来た。
ついさっきまでしてた呼吸が止まっていた。
(本当に、死んじゃったのか・・・)
正直、そう思った。
泣き崩れる親戚もいた。
皆でよく観察・・・・・
確かに、もう動いていない。
先生へ連絡。
午後6時までは外来があるので、
それ以降に来るとの事だった。
誰かが、
「お葬式の準備しなくちゃ・・・」
と言う。
準備?
ベッドに寝てるから、布団に移したり、
とにかく部屋を片付けなくではダメと言われた。
エアマット、設置したばかりなのに・・・・・
親戚皆で手分けして、流れ作業で部屋にあるものを
仕事場へ運んだ。
運びながら、
(でもまだ、先生に死亡確認というか・・・・何も言われてないのに
いいのかな・・・)
と思いながら作業してた。
親、死んだんだよな・・・・
何だろう、この事務的な感じ・・・
正式に、死んだわけじゃない・・・・じゃないのかな・・・・
「葬儀屋へ連絡しなくちゃね」
と俺が言うと、
「いや、だってまだ先生に言われてないから、言われてからがいいよ」
じゃ、何故、部屋片付けさせたのさ・・・・・
悲しみが取り巻いたのは、ほんの一瞬で、
事務的な作業をして、後は先生が来るまで世間話。
隣の部屋ではさっきまで生きていた父が亡くなっている。
テレビドラマで見るような「それ」とは全く別な感じ。
こんなもんなのか・・・・と、自分でも不思議だった。
やっと、先生が来て、
「ご臨終です・・・・」
テレビで見た事がある「それ」だった。
死亡診断書には、「老衰」と書いていたので、
「老衰・・・・なんですか?」
と聞いたら、
「糖尿病による老衰という事になると思います」
と言っていた。
先生には何度も感謝のお礼をした。
短い間だったけど、この先生のおかげで、
父は自宅で逝く事が出来たし、
多くの親戚達に看取られながら、逝く事が出来た。
親戚の中には、
「自分もこういう死に方をしたい」と言う人もいた。
多くが、
「今時、自宅で亡くなるなんて事出来ないし、羨ましい。
これが一番いいんだから・・・・良かった、本当に良かった」
と言ってくれた。
全ては、静か先生のおかげだ。
泣き腫らした顔でカミさんが、
「おじいちゃん、きっと私達に迷惑かけたくなくて・・・
だから早く逝ったんだと思う・・・・」
とポツンと言っていた。
またもや展開の早さに愕然とした。
「おそらく、この後、呼吸が深くゆっくりなって
きますから、その時、また連絡ください」
と先生は帰って行った。
急いで仕事に出てるカミさんに連絡。
親戚達にも声をかけた。
皆が集まり、父に声をかける。
言葉は発しないが頷いていた。
事態の急変に親戚達も驚いていた。
そこへケアマネが業者と一緒にやって来た。
エアマットを持って来たのだ。
ケアマネも、この事態に驚いていた。
「エアマット、どうしましょうか・・・」
「せっかくだから、設置して下さい」
とお願いした。
親戚の中に娘が看護士という人がいて、
今日は非番だからと、娘さんを呼んでくれた。
その看護士さんも、
「おそらく、先生の言うとおり、今夜か、
あるいはもっと早いかもしれないです」
との事だった。
エアマットの設置も終わり、
皆がまた声をかける。
親戚の一人が呼吸が変わってきたというので、
急いで先生へ連絡。
やって来た先生に、
「さっき先生が言ってた呼吸って、この事ですか?」
と訪ねた。
「そうです、間違いなくもうすぐだと思います。また連絡ください」
と帰って行った。
この時が午後2時。
当然、我々にはどうする事も出来ず、皆が、
「頑張って、まだ死んじゃダメ!」と声をかけるだけだった。
一人が、「どうしよう、息、止まりそうだよ・・・」
と俺を呼ぶ。
呼ばれても・・・・・。
そして、午後4時頃、その時が来た。
ついさっきまでしてた呼吸が止まっていた。
(本当に、死んじゃったのか・・・)
正直、そう思った。
泣き崩れる親戚もいた。
皆でよく観察・・・・・
確かに、もう動いていない。
先生へ連絡。
午後6時までは外来があるので、
それ以降に来るとの事だった。
誰かが、
「お葬式の準備しなくちゃ・・・」
と言う。
準備?
ベッドに寝てるから、布団に移したり、
とにかく部屋を片付けなくではダメと言われた。
エアマット、設置したばかりなのに・・・・・
親戚皆で手分けして、流れ作業で部屋にあるものを
仕事場へ運んだ。
運びながら、
(でもまだ、先生に死亡確認というか・・・・何も言われてないのに
いいのかな・・・)
と思いながら作業してた。
親、死んだんだよな・・・・
何だろう、この事務的な感じ・・・
正式に、死んだわけじゃない・・・・じゃないのかな・・・・
「葬儀屋へ連絡しなくちゃね」
と俺が言うと、
「いや、だってまだ先生に言われてないから、言われてからがいいよ」
じゃ、何故、部屋片付けさせたのさ・・・・・
悲しみが取り巻いたのは、ほんの一瞬で、
事務的な作業をして、後は先生が来るまで世間話。
隣の部屋ではさっきまで生きていた父が亡くなっている。
テレビドラマで見るような「それ」とは全く別な感じ。
こんなもんなのか・・・・と、自分でも不思議だった。
やっと、先生が来て、
「ご臨終です・・・・」
テレビで見た事がある「それ」だった。
死亡診断書には、「老衰」と書いていたので、
「老衰・・・・なんですか?」
と聞いたら、
「糖尿病による老衰という事になると思います」
と言っていた。
先生には何度も感謝のお礼をした。
短い間だったけど、この先生のおかげで、
父は自宅で逝く事が出来たし、
多くの親戚達に看取られながら、逝く事が出来た。
親戚の中には、
「自分もこういう死に方をしたい」と言う人もいた。
多くが、
「今時、自宅で亡くなるなんて事出来ないし、羨ましい。
これが一番いいんだから・・・・良かった、本当に良かった」
と言ってくれた。
全ては、静か先生のおかげだ。
泣き腫らした顔でカミさんが、
「おじいちゃん、きっと私達に迷惑かけたくなくて・・・
だから早く逝ったんだと思う・・・・」
とポツンと言っていた。
おそらく、もうそんなに長くはないとは思っていた。
何も食べられない状態だし、
話す事もあまり出来ないし、
ギリギリ、トイレに自力で行っていたが
それも出来なくなっていた。
夜中に母が騒いでいるので、行ってみると
トイレの中で父が倒れていた。
何とかトイレには辿り着いたがそれまで・・・
だったようだ。
そんな日が何度かあった。
「オムツをしてるんだから、トイレには行かなくてもいいんだよ」
と言ってもダメだった。
下の世話をされるのが嫌なんだと思う。
特に男はそう思うらしい。
おそらく、俺もそうなると思う。
静か先生が往診に来てくれた。
自宅で点滴・・・・
本人の負担を考えると、これ以上の事はない。
何故、もっと早くこの方法をとらなかったのか。
悔やんでならない。
知らなかったからだ。
無知とはこれほど罪深い。
急展開したせいもあったが、
もっと早く情報を取っておくべきだった。
点滴には薄めのブドウ糖。
前の病院では、ダメと言われたが、
その事を訪ねると、
「血糖値が上がったら、それなりに対応します。栄養を入れないと
元気になりませんよ」
そうなんだよ、そうだよなやっぱり。
午後に近所の親戚達を呼んだ。
状況を説明した。
自宅で介護するのは大変だと言われた。
でも、親戚の中でヘルパーさんをしてる人がいて、
オムツの交換の手際などを教えてくれた。
施設へ・・・・という選択もあるだろうが、
まだ介護認定もされてないし、
俺が自営で家にいる事もあり、
カミさんと最後まで自宅で介護、看取る事の
覚悟を決めていた。
都内にいる長女も呼んだ。
長女は特にやさしい性格なので、
沈痛な面持ちだった。
父はさらに痩せてしまっていた。
背中の肋がはっきりと見えるようになっていて、
おしりの肉もなくなっていた。
ここまで骨と皮だけになってしまっても、
人って生きていられるのか・・・・・
と、驚愕していた。
床ずれの症状もみられたので、
ケアマネと相談して、エアマットを発注。
往診3日目のお昼頃、先生に
手の指が紫色に鬱血してチアノーゼになってる事、
血圧が計れない事、
点滴が入らない事を指摘された。
「えっ、それってどういう事ですか?」
「もうこの状態だと、今夜が峠になると思います」
何も食べられない状態だし、
話す事もあまり出来ないし、
ギリギリ、トイレに自力で行っていたが
それも出来なくなっていた。
夜中に母が騒いでいるので、行ってみると
トイレの中で父が倒れていた。
何とかトイレには辿り着いたがそれまで・・・
だったようだ。
そんな日が何度かあった。
「オムツをしてるんだから、トイレには行かなくてもいいんだよ」
と言ってもダメだった。
下の世話をされるのが嫌なんだと思う。
特に男はそう思うらしい。
おそらく、俺もそうなると思う。
静か先生が往診に来てくれた。
自宅で点滴・・・・
本人の負担を考えると、これ以上の事はない。
何故、もっと早くこの方法をとらなかったのか。
悔やんでならない。
知らなかったからだ。
無知とはこれほど罪深い。
急展開したせいもあったが、
もっと早く情報を取っておくべきだった。
点滴には薄めのブドウ糖。
前の病院では、ダメと言われたが、
その事を訪ねると、
「血糖値が上がったら、それなりに対応します。栄養を入れないと
元気になりませんよ」
そうなんだよ、そうだよなやっぱり。
午後に近所の親戚達を呼んだ。
状況を説明した。
自宅で介護するのは大変だと言われた。
でも、親戚の中でヘルパーさんをしてる人がいて、
オムツの交換の手際などを教えてくれた。
施設へ・・・・という選択もあるだろうが、
まだ介護認定もされてないし、
俺が自営で家にいる事もあり、
カミさんと最後まで自宅で介護、看取る事の
覚悟を決めていた。
都内にいる長女も呼んだ。
長女は特にやさしい性格なので、
沈痛な面持ちだった。
父はさらに痩せてしまっていた。
背中の肋がはっきりと見えるようになっていて、
おしりの肉もなくなっていた。
ここまで骨と皮だけになってしまっても、
人って生きていられるのか・・・・・
と、驚愕していた。
床ずれの症状もみられたので、
ケアマネと相談して、エアマットを発注。
往診3日目のお昼頃、先生に
手の指が紫色に鬱血してチアノーゼになってる事、
血圧が計れない事、
点滴が入らない事を指摘された。
「えっ、それってどういう事ですか?」
「もうこの状態だと、今夜が峠になると思います」
個人医院へ行って事情を話し、診察してもらった。
俺の話しを、「そうですか・・・」と聞いてくれた。
ここの個人医院では往診もしてくれるらしい。
毎日、往診してくれて自宅で点滴をしてもらう事に。
うちのジジィにとっちゃ、どれほど楽か。
この先生、40代と若く、
総合病院の高圧的なハゲ野郎とは対照的でとてももの静かだ。
以前、ハゲ野郎にこんな事を聞いた事があった。
「出来たら、自宅で死なせたいんですが・・・」
「自宅? 何言ってんの? そんな事したら、
警察も入って大変だよ、病院だよ病院、それが一番だ」
「でも、いつ入院させればいいんですか?」
「死にそうになったらだよ」
「死にそうって・・・・そんなの素人には分かりませんよ」
「だろうね・・・・・」
↑何なの? この空洞な会話・・・・
この事を静か先生に聞いてみた。
「警察? そんな事ないですよ、
掛かり付けの医師がいるなら、自宅で亡くなっても警察なんて入りません。
掛かり付けの医師もいない状態で亡くなると、不審死という事で警察が入るんです」
あのクソハゲ! 言ってる事がめちゃくちゃじゃねぇか・・・・
静か先生の話しをまとめてみと、
●うちの地域の現状では、病床に対して入院する老人が圧倒的多く、
そう簡単には入院できない事
●訪問看護士とネットワークのシステムを構築して
在宅医療を進めていて、その為に精力的に往診している事
●こうしなければ、地方の地域医療は崩壊してしまう事
もうね、泣きそうなくらい感謝した。
この先生の事を「神」だと心底思ったよ。
偉いよホントに、立派だよ。
あのクソハゲ白衣野郎に、この先生の
爪の垢を煎じて飲ませてやりたいくらいだ。
ただ、うちの場合は、俺がキレさえしなけりゃ
あの総合病院でも普通に入院出来ただろう。
なんたってあんなハゲでも主治医だからな。
「大体、何でいきなり2階のナースセンターへ行くのよ?
入院の手続きは下の受付でしょ?
そりゃ、キョトンとするでしょ。
自分が悪いんじゃないの・・・・」
自宅へ帰って、カミさんに散々言われた。
まぁ、確かに俺も悪い。
冷静に考えれば、そりゃそうだ。
だがしかし、仮に入院出来たとしても、
何されるか分かったもんじゃない・・・・
「まぁ、あなたがそう決めたんなら、私もそれでいいと思う」
カミさんは、そう言ってくれた。
俺の話しを、「そうですか・・・」と聞いてくれた。
ここの個人医院では往診もしてくれるらしい。
毎日、往診してくれて自宅で点滴をしてもらう事に。
うちのジジィにとっちゃ、どれほど楽か。
この先生、40代と若く、
総合病院の高圧的なハゲ野郎とは対照的でとてももの静かだ。
以前、ハゲ野郎にこんな事を聞いた事があった。
「出来たら、自宅で死なせたいんですが・・・」
「自宅? 何言ってんの? そんな事したら、
警察も入って大変だよ、病院だよ病院、それが一番だ」
「でも、いつ入院させればいいんですか?」
「死にそうになったらだよ」
「死にそうって・・・・そんなの素人には分かりませんよ」
「だろうね・・・・・」
↑何なの? この空洞な会話・・・・
この事を静か先生に聞いてみた。
「警察? そんな事ないですよ、
掛かり付けの医師がいるなら、自宅で亡くなっても警察なんて入りません。
掛かり付けの医師もいない状態で亡くなると、不審死という事で警察が入るんです」
あのクソハゲ! 言ってる事がめちゃくちゃじゃねぇか・・・・
静か先生の話しをまとめてみと、
●うちの地域の現状では、病床に対して入院する老人が圧倒的多く、
そう簡単には入院できない事
●訪問看護士とネットワークのシステムを構築して
在宅医療を進めていて、その為に精力的に往診している事
●こうしなければ、地方の地域医療は崩壊してしまう事
もうね、泣きそうなくらい感謝した。
この先生の事を「神」だと心底思ったよ。
偉いよホントに、立派だよ。
あのクソハゲ白衣野郎に、この先生の
爪の垢を煎じて飲ませてやりたいくらいだ。
ただ、うちの場合は、俺がキレさえしなけりゃ
あの総合病院でも普通に入院出来ただろう。
なんたってあんなハゲでも主治医だからな。
「大体、何でいきなり2階のナースセンターへ行くのよ?
入院の手続きは下の受付でしょ?
そりゃ、キョトンとするでしょ。
自分が悪いんじゃないの・・・・」
自宅へ帰って、カミさんに散々言われた。
まぁ、確かに俺も悪い。
冷静に考えれば、そりゃそうだ。
だがしかし、仮に入院出来たとしても、
何されるか分かったもんじゃない・・・・
「まぁ、あなたがそう決めたんなら、私もそれでいいと思う」
カミさんは、そう言ってくれた。
俺がいない時に、カミさんにも
「どうやってエンジンかけるんだっけ?」
と、同じ事を聞いたらしい。
カミさんと、
「おいっおいっ、認知症か? ヤバいな・・・」
と、話していた。
数日後、「食べられない・・・・」
と、食べる意思はあるようだが、
身体が受け付けないような事を言っていた。
ずいぶん前から糖尿病で、インスリンも自分で打っていた。
食も段々と細くなり、体重も見る見る減ってガリガリではあった。
二日間ほど食べない状態が続いたので、行きつけの総合病院へ連れて行った。
血糖値がかなり上がっていたので点滴をする事に。
点滴が終わると元気になったようだった。
毎日来るように言われて、母親も付き添い役として連れて行った。
何も食べない状態なのに点滴は何故か生理食塩水を入れている。
聞いてみると、糖尿なので糖類は入れられないという事だった。
素人の俺には、この処置が正しいのかすら分からない。
でも、水だけで元気になるはずはないだろうとも思っていた。
次第に歩くのも辛そうになってきた。
急いで手すりを買って来て、廊下に設置、
と同時に母親が要支援1の介護認定をされていたので、
そのケアマネージャーに相談。
すぐに来てくれて、様子を見て、
「すぐに介護申請の手続きをします」と言ってくれた。
認定師もすぐに来てくれて、
「特例で、早急に対応します」
と言ってくれた。
ケアマネは、認定前でも前倒しで
介護対応すると言ってくれたので、
車椅子を発注する事にした。
しかし、車椅子が届く前に歩けなくなった。
車椅子をキャンセル。
こっちはかなり先回りして対応しているのに、
軽くそれを超えて行く。
通院して1週間頃には、院内を車椅子で運ぶのもままならない。
「明日は、先生に診察してもらいますから必ず来てください」
と看護士に言われたので、
翌日、やっとの思いで連れて行った。
担当医が来たので、
「先生、診察してくれるんでしょ?」と訪ねたら、
両手をポケットに突っ込んだまま、点滴してる父を見下ろしながら、
「えっ? 診たってしょうがないでしょ、もう」
てめぇ、それでも医者か?
キレるのを押さえて、
「だって、診てくれるっていう事で連れて来たんですよ、
この状態じゃ、もう連れて来れないですよ・・・・」
「じゃ、明日、入院させましょう」
と、白衣のハゲ野郎は言った。
何なんだ、この病院は・・・・
翌日、俺独りでは無理なので、カミさんと二人掛かりで
病院へ連れていった。
父は、車の中でも座っていられる状態ではなく、
横になっている。
カミさんを病院の玄関に待たせて、
急いで2階のナースセンターへ。
「すみません、今日入院する事になっている○○なんですが?」
と言うと、ナース全員がキョトンとしてる。
「あの、もう車椅子にも座れないので、連れてくるのにストレッチャー貸してもらえますか?」
と言っても、特に急ぐ様子もなく、ダラダラしてる。
「昨日△△先生とお話して、今日入院という事になってるんですよ」
と、強く言った。
しかし、
「ストレッチャーは貸せませんよ」と言われた。
ここで、俺の血管は全てキレた。
「何だと? だったらもういい!! お前等には用はない」
と、怒鳴りとばしてエレベーターに向かった。
エレベーターの前で待っていたら、
若い看護士が走って来て
「待ってください、先生から聞いてますから」
と言った。
数日前、診察するから来いと言った看護士だ。
「うるさい!! 貴様等には用はない!! この、ひとでなしめ!!」
怒鳴り散らして、下で待っていたカミさんに
「帰るぞ」
カミさんは、
「えっ? ちょっと何言ってんの?」
「うるさい、ここはダメだ、■■医院へ行く」
と、以前、父が通っていた個人医院へ向かった。
昨年、2月に大雪が降った翌日だった。
「どうやってエンジンかけるんだっけ?」
と、同じ事を聞いたらしい。
カミさんと、
「おいっおいっ、認知症か? ヤバいな・・・」
と、話していた。
数日後、「食べられない・・・・」
と、食べる意思はあるようだが、
身体が受け付けないような事を言っていた。
ずいぶん前から糖尿病で、インスリンも自分で打っていた。
食も段々と細くなり、体重も見る見る減ってガリガリではあった。
二日間ほど食べない状態が続いたので、行きつけの総合病院へ連れて行った。
血糖値がかなり上がっていたので点滴をする事に。
点滴が終わると元気になったようだった。
毎日来るように言われて、母親も付き添い役として連れて行った。
何も食べない状態なのに点滴は何故か生理食塩水を入れている。
聞いてみると、糖尿なので糖類は入れられないという事だった。
素人の俺には、この処置が正しいのかすら分からない。
でも、水だけで元気になるはずはないだろうとも思っていた。
次第に歩くのも辛そうになってきた。
急いで手すりを買って来て、廊下に設置、
と同時に母親が要支援1の介護認定をされていたので、
そのケアマネージャーに相談。
すぐに来てくれて、様子を見て、
「すぐに介護申請の手続きをします」と言ってくれた。
認定師もすぐに来てくれて、
「特例で、早急に対応します」
と言ってくれた。
ケアマネは、認定前でも前倒しで
介護対応すると言ってくれたので、
車椅子を発注する事にした。
しかし、車椅子が届く前に歩けなくなった。
車椅子をキャンセル。
こっちはかなり先回りして対応しているのに、
軽くそれを超えて行く。
通院して1週間頃には、院内を車椅子で運ぶのもままならない。
「明日は、先生に診察してもらいますから必ず来てください」
と看護士に言われたので、
翌日、やっとの思いで連れて行った。
担当医が来たので、
「先生、診察してくれるんでしょ?」と訪ねたら、
両手をポケットに突っ込んだまま、点滴してる父を見下ろしながら、
「えっ? 診たってしょうがないでしょ、もう」
てめぇ、それでも医者か?
キレるのを押さえて、
「だって、診てくれるっていう事で連れて来たんですよ、
この状態じゃ、もう連れて来れないですよ・・・・」
「じゃ、明日、入院させましょう」
と、白衣のハゲ野郎は言った。
何なんだ、この病院は・・・・
翌日、俺独りでは無理なので、カミさんと二人掛かりで
病院へ連れていった。
父は、車の中でも座っていられる状態ではなく、
横になっている。
カミさんを病院の玄関に待たせて、
急いで2階のナースセンターへ。
「すみません、今日入院する事になっている○○なんですが?」
と言うと、ナース全員がキョトンとしてる。
「あの、もう車椅子にも座れないので、連れてくるのにストレッチャー貸してもらえますか?」
と言っても、特に急ぐ様子もなく、ダラダラしてる。
「昨日△△先生とお話して、今日入院という事になってるんですよ」
と、強く言った。
しかし、
「ストレッチャーは貸せませんよ」と言われた。
ここで、俺の血管は全てキレた。
「何だと? だったらもういい!! お前等には用はない」
と、怒鳴りとばしてエレベーターに向かった。
エレベーターの前で待っていたら、
若い看護士が走って来て
「待ってください、先生から聞いてますから」
と言った。
数日前、診察するから来いと言った看護士だ。
「うるさい!! 貴様等には用はない!! この、ひとでなしめ!!」
怒鳴り散らして、下で待っていたカミさんに
「帰るぞ」
カミさんは、
「えっ? ちょっと何言ってんの?」
「うるさい、ここはダメだ、■■医院へ行く」
と、以前、父が通っていた個人医院へ向かった。
昨年、2月に大雪が降った翌日だった。
