始発ペペロンチーノ
始発電車を利用する人は限られている。
まだ暗い空の下。その日はじめて運行する電車が
来るのを待つ顔ぶれは、ほとんど毎日同じものだ。
それどころか、服装も決まっていることが多い。
まず学生服。こんな朝早くから学校に行って、一体
何がはじまるっていうんです。次に、お仕事っぽい
格好。
始発電車の中で知人に合うことなんて、よっぽど
イベントでもない限りはまずありえない。そもそも
人の数が少ないから。

全粒粉のパスタ(小麦粉を殻ごと挽いたもの、米でいえば
玄米に相当する)を選びました。ミネラルなどの栄養分に
加え、食物繊維が豊富に含まれています。舌触りはやや荒
目ですが、豊かな風味が特徴です。たっぷりのお湯に塩を
加えて、普通よりも長い時間茹でてください。
それともうひとつ、早朝の独特な空気が開放感に
つながるから?その人たちは恐らく、作業着を着た
ままなのだと思う。
作業着を着たまま電車に乗るなんて、それは反則
では?「現地に着くまでコスプレ禁止」という鉄の
掟を守るレイヤーの方が常識的だって思う(…こう
書くとコスプレイヤーさんが非常識みたいですが、
そういうつもりではないんです。ごめんなさい)。
スーツはセーフ。作業着はアウト。それが運命。
運命と書いて「さだめ」と読む。世界はそんな風に
まわっている。
青っぽいツナギの人が多い。毎朝見かける水色の
ツナギを着たお兄さんに、私は「阿部高和さん」と
あだ名をつけた。

エクストラバージンオイルを弱火で熱し、水で戻した乾燥
にんにくを焦げないように丁寧に炒めます(生のにんにく
でもいいですが、均等にスライスしないと加熱にばらつき
が生じて焦げやすいです)。オイルと同量の茹で汁を加え、
フライパンを揺すって乳化させます。そして中火に上げて
からパスタを投入します(香りの飛びを防ぐため、輪切り
唐辛子はやや遅らせて加えます)。
ほとんどの人が、ひとりで電車が来るのを待って
いる。たまに二人組みも見かけるけど、ヒソヒソ声
で申し訳なさそうにしゃべっている。何人かで待ち
合わせをしているらしいグループは、なぜか電車が
来るギリギリの時間までホームに上がってこない。
だから早朝のホームは、いつもひっそりと静まり
返っている。

さらに激しく小刻みにフライパンを揺すり、乳化と同時に
パスタの表面にも熱を通してあげます。普通のパスタの場
合はアルデンテ(芯が残った状態)の状態を残しますが、
全粒粉の場合は十分に熱を加えても歯ごたえのある食感が
残るので大丈夫です。火を止めたら荒挽きブラック・ペッ
パーと岩塩で味を整えます。最後に少量のエシュレバター
を加えることで、コクのある風味に仕上げます。
私がいつも待ち合わせをしている友人のウサは、
私より10分ほど遅れてやってくる。
顔を合わせると、私たちもヒソヒソと会話をはじ
める。
「(あ、おはよう)」
「(あっ、おはよう)」
「・・・」
「・・・」
会話が止まる。これが私たちに許された最大限の
コミュニケーションだ。これ以上沈黙を崩すと、し
ぬ。間違いなくしぬ。
私は思う。ウサが毎朝ここに来るのはわかりきっ
ていることなのに、なぜ「今気付きましたよ!」と
示すかのように、言葉の先頭に「あ、」とつけなけ
ればいけないのか。私たちは普段からそうだ。
そんな不可解を抱えながら、私たちはこれからも
ずっと「あ、」をつけ続けると思う。
それはそうと、私は今朝ウサに相談すべきことが
あった。
「(ちょっといい)」
「(うん?)」
「(微生物が見える)」
「(?)」
首をかしげるウサに、私は説明した。
「(なんか視界に、つまり目に見える景色の中に
微生物が浮いてる。めっちゃ浮いてる)」
ウサは首を縦に振ると、こう言った。
「(それは微生物じゃなくて、秘文章だよ)」
「(…秘文章?)」
「(うん、それって、網膜剥離の疑いがあるかも
しれない。はやく病院行かないと)」
私はイライラして、思わず声を荒げてしまいまし
た。ウサの真剣な表情の意味がわからなかったから
だと思います。怒鳴りました。
「はァ?モーマルハリってなに?秘文章って!?
もっとハッキリ言ってくれない!?」
ウサは怯えたように周囲を見まわすと、ゆっくり
小さな声で何か言いかけました。私はそれを待たず、
ウサの目をチョキのカタチをした指で突きました。
「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”ッッーー!!」
ウサはヨロヨロ数歩後ずさると、線路とホームを
隔てる防護柵に背中をぶつけ、お湯につけたエビの
ように背を反らせて線路側に落ちてゆきました。
そのあと、ウサはミンチになりました。

”アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ”(にんにく
とオリーブオイルのパスタ)の完成です。バジルを中心と
したイタリアンハーブで彩りを添えてあげても良いと思い
ます。
そして私は、秘文章の謎を追いかける旅に出るの
でした。