そうして、再び授業を受ける為に教室へと勇気を振り絞って、私はその扉を開きました。

多くの友人が、大丈夫だった?もう平気?

携帯繋がらないから本当に心配したよ。

と優しく出迎えてくれました。

 

しかし、保健室登校の原因となった友達は、その中には居ませんでした。

教室を見渡すと、窓際から私を見つめるその友達。

目が合った瞬間、視線を逸らされました。

 

その日から、彼女は私に一切話しかけては来ませんでした。

理由はわかりませんでしたが、私は内心心底ホッとしました。

 

もうあの子と関わるのはやめよう。

 

そう思いました。

 

それから、私のその子に対する恐怖感と不安感は徐々に薄れていき、毎日悩んでいた吐き気も治まりました。

しかし、次に私を襲ったのは、どうしようもない食への不安感でした。

嘔吐を繰り返して痩せた分、それ以上増えることに嫌悪感を覚えました。

 

そして私は、何故かとんでもない行動に移りました。

それは、食べたら自主的に吐く行為です。

食事をしたら、すぐにトイレに行って吐こうとしました。

それでも吐けないとなると、自分で指を喉の奥に突っ込んで無理やり吐くようになりました。

所謂自傷行為の一つです。

食事の摂取量も異常に増えました。

とにかく目の前にある物を胃に押し込むようになりました。

そして自ら吐く行為を繰り返しました。

吐くと何故か安心感がありました。

 

そうこうしている間に、私の身長は159cmですが、46㎏あった体重は一気に落ち、36㎏まで落ちました。

流石にこの短期間での体重減少は親に気づかれ、病気じゃないか、と心配されました。

それでも、大丈夫だと言い張って、親には何も言いませんでしたが、そこで親も流石に引き下がってはくれませんでした。

 

病院へ行こう。

 

そう親に強く言われ、私はそれを拒否することは出来ませんでした。

 

次の日、学校を休み、係り付けの内科を受診しました。

待合室で私は、自主的に吐いていることを言ったらどうなるんだろうか。

怒られてしまうのではないか。

本当のことは言わなければいいのではないか。

そうだ、ただ食欲が無かったということにしてしまおう。

そう思いました。

 

しかし、いざ診察となった時、いつもは待合室で待っている母が診察室の中まで付き添って入ってきてしまいました。

それでも私は嘘をつくことばかり頭にあって、食欲が無いだけです、と答えました。

でも、そこで母がそんな筈はない。

家ではきちんと食事を摂っています。

と。

 

私は黙って俯くしかありませんでした。

そこで流石といいますかお医者様です。

私の指の甲に出来た吐きタコを指摘されてしまいました。

そして、

 

自分で無理やり吐いたりしていない?

 

と直球に言われ私は逃げ場もなく泣きそうになりました。

母はその先生の言葉を聞いても黙っていました。

今後ろに立っている母はどんな顔をしているのだろうか。

怖くて私は後ろにいる母に顔を見ることが出来ませんでした。

 

先生は、暫く時間を置いてから、保健室の先生と同じ言葉を言いました。

 

心療内科に行くことをお勧めします。

 

私は泣きそうになりました。

何で皆心療内科に行けって言うの?

私は心の病気じゃないのに。

 

帰りの車の中、母は一言も言葉を発しませんでした。

その日は、私はそのまま自分の部屋に引き籠り一晩中泣きました。

 

私は病気なの?

そんな筈ない。

 

ずっとその言葉を頭の中で繰り返していました。

 

次の日の朝、学校に行こうと起きてリビングに行くと、母からこう言われました。

 

今日は学校を休みなさい。病院に行くってことでお父さんと話がついたから。

 

私はその場で俯き黙り込みました。

そんな私に苛立ったのか、母は声を荒げて、仕方がないでしょう、と一言私に背を向けたまま言い放ちました。

 

それから、午前中のうちに私は母と心療内科のある大きな病院に行きました。

とても怖かったのを覚えています。

 

病気だったらどうしよう。

でもなんで病気なの?

確かにちょっと前までは友達のことで悩んで疲れてはいたけれど。

 

病院の待合室でずっとそのことを頭の中で繰り返し考えていました。

 

そしてその時ショックだったのが、母が心療内科の待合室では無く、隣の科の待合室で待っていたことです。

あぁ、娘が心療内科を受診するだなんて恥ずかしいんだ。

私はそう思いました。

 

そしていざ私の名前が呼ばれた時、助けを求める様に母を見ると、私が呼ばれたのに気づかなかったのか持ってきていた雑誌に視線を落としたままでした。

泣きそうになっている私に再度診察室に入るようアナウンスが流れました。

重い身体を引きずるように私はアナウンスの指示に従うしかありませんでした。

 

診察室に入ってまずした事は、身長と体重の測定でした。

その後は、また別の部屋に通され、50代くらいの男性の先生と話しました。

ちょっと何を話したのか今では覚えていません。

緊張していたからでしょうか。

確か20分程話して、私はその時の自分の状態をなんとか先生に伝えられたのだと思います。

結果先生の口から出た単語は、

 

「過食症」

 

きっと私はその後、過食症についての説明を受けたと思います。

ただなんとなくしか覚えていません。

今でも記憶にある先生の言葉は、

 

ストレスからくる過食行為。

それを自主的に吐いてしまう自虐行為。

 

という二つの行いのことです。

あとのことは、本当にぼんやりとしか覚えていません。

その後、母に私はなんと言ったのか。

そんな私に母はなんと言ったのか。

母はどんな顔をしていたのか。

わかりません。

 

ただ、その後も定期的にその心療内科には行った記憶があります。

薬も今では何の効果のある物だったのか覚えていませんが処方されていました。

なので、私は一応は母に「過食症」だったということを伝えたのだと思います。

 

今現在は、何の気なく通院している精神科ですが、昔の私にとっては、そういう場所はとても抵抗のある場所だったんですね。

 

それから秋になり、受験勉強の真っただ中。

私は、自然と自ら吐くという行為をしなくなりました。

心療内科にも気づいたら行くことをやめていました。

親はそんな私に特に何も言ってこなかったと思います。

ただ、自虐行為はやめたのですが、その代わり食べたものを噛んでは味わっては口から出して捨てる、という行為をするようになっていました。

チューイング。

噛み吐き行為ですね。

過食も続いていました。

 

私は痩せた姿の自分を本当の自分として受け入れてしまったのだと思います。

痩せた体重から増えることが嫌でいやで仕方がありませんでした。

その時過食症はまだ治っていなかったのに、心療内科への通院を私は自己判断でやめてしまったんですね。

今では、あの時ちゃんと病院に通い続けていれば、なんて思います。

 

それから、冬になり、私は推薦で大学に受かったので学校へは遊びに行くような感覚で通っていました。

相変わらず、チューイング行為は続いていました。

でも、その行為ももう私の生活の一部となり、それ以外は一見普通の女子高生として生活していました。

 

しかし、その後今度は違った現象が私を襲うことになりました。