QTC-Japan.Comによりますと、LA3KY Mr.K.M.Hauglandがサイレントキーされたとのことです。享年92歳。
 1947年に行われたトール・ヘイエルダールによるコンティキ号 (Kon-Tiki)の大航海の無線担当クルーでした。
 南太平洋の諸島に住むポリネシアの起源について南米のインカ文明とポリネシア文明との相似点が多いことから、 南米からポリネシアに移住したのではという仮説を実証するために、インカを征服したスペイン人たちが描いた図面を元にして、バルザや松、竹、マングローブ、麻など、古代でも入手が容易な材料のみを用いて一隻のいかだを建造しました。唯一違うのが無線機を載せたわけで、無線担当がLA3KYだったわけです。といっても鉄の船でも一枚板の下は地獄なのに、古代の材料での航海ってもっと凄い冒険だったようですね。
 船名はインカ帝国の太陽神ビラコチャの別名から命名されました。
 1947年4月28日にペルーのカヤオ港をより漂流を開始した。コンティキ号はフンボルト海流にのって、ヘイエルダールらの予想通りに西進し、102日後の1947年8月7日にツアモツ諸島のラロイア環礁で座礁して大航海は終了。航海した距離は4,300マイル (8,000km弱) に及びました。
 この航海の出来事をヘイエルダールが本にまとめたのが、1948年出版されたに『コンティキ号探検記』なんです。筑摩書房のちくま文庫で文庫本になっているようですが、偕成社文庫では「コンチキ号漂流記」が出版されています。どちらもヘイエルダールの著作なんですが、ちくま文庫の方は水口志計夫さんの翻訳で、偕成社文庫の方は神宮輝夫さんの翻訳です。本によってコンティキ号になったりコンチキ号になったり、QTC-Japan.Comではコンーチキ号と表記されていました。
 その後の研究やDNA調査等によりますと、ポリネシア人はアジアを起源として移民した人々の子孫であることが定説ということがわかりました。アジアを起源として移住するにしても、当時は命がけの大冒険の移住だったのは間違いありませんが。
 ご冥福をお祈りします。