病は気から・・・って言いますよね
病気は、気が病むから病気って書きますし。
じゃあ、「気」ってなんなんでしょう。
これが「気」ですよ!って、取り出して見せたりすることはできないので、
目には見えないもの、形のないもの、っていう感じですが、
どんな感じのものなのかは、どんな漢字かでわかります。
(これ、感じと漢字をかけてるんですよ。)
もともと「気」という字は、「氣」とい字でした。
そう、中は「〆」じゃなくて「米」なんです。
この「米」は、書き順を見てもらえばわかりますが、
まず外から内へ入ってきて、中心・軸を作って、
そして内から外へ広がっていく様子を表しています。
つまり、受け止めて投げ返す。
集めて、拡散する。
今使われている「気」という漢字では、
締めっぱなしで、広げる・広がるという意味が薄れてしまっています。
「気を引き締める」ことが良いことで、
「気を緩める」ことが悪いことのように思われてしまうことも多いですし、
「気合いを入れる」ことが良いことで、
「気を抜く」ことが悪いことのように思われてしまうこともあります。
でも、「気を緩める」ことも「気を抜く」ことも悪いことだとは思いません。
時と場合によっては、引き締めたり入れたりすることも大事ですけど、
時には緩めたり抜くことも大事です。
がんばり屋さんの多くは、締めることは得意でも緩めることが苦手な人が多いです。
本来「気」は「氣」ですから、締めるばっかりじゃなくて、
開放してあげること、広げて緩めてあげることも重要なんです。
自分自身の「氣」が、開放できる場所、緩められる場所を見つけること。
それが、「病んだ氣」にさせない秘訣だと、私は思います。
「氣」は、見えないものだけに、大事にそっと扱わなければ、
すぐに傷つき、病んでしまいます。
いつも気を引き締めて頑張っている人は、その小さな傷に気がつきません。
ダムの崩壊と同じで、溜め込んで溜め込んだものは、
ほんのわずかな傷やほころびで、崩れ壊れてしまいます。
その小さな傷やほころびを、繕ってくれる誰かを見つけるか、
その傷やほころびを、自分で気づいて繕える時と場所を確保できるか、
それが「元の氣」元気でいられる秘訣ですね。
私はおかげさまで、いつも「元氣」でいられていますよ。
あなたは、「元氣」でいられていますか?
病気は、気が病むから病気って書きますし。
じゃあ、「気」ってなんなんでしょう。
これが「気」ですよ!って、取り出して見せたりすることはできないので、
目には見えないもの、形のないもの、っていう感じですが、
どんな感じのものなのかは、どんな漢字かでわかります。
(これ、感じと漢字をかけてるんですよ。)
もともと「気」という字は、「氣」とい字でした。
そう、中は「〆」じゃなくて「米」なんです。
この「米」は、書き順を見てもらえばわかりますが、
まず外から内へ入ってきて、中心・軸を作って、
そして内から外へ広がっていく様子を表しています。
つまり、受け止めて投げ返す。
集めて、拡散する。
今使われている「気」という漢字では、
締めっぱなしで、広げる・広がるという意味が薄れてしまっています。
「気を引き締める」ことが良いことで、
「気を緩める」ことが悪いことのように思われてしまうことも多いですし、
「気合いを入れる」ことが良いことで、
「気を抜く」ことが悪いことのように思われてしまうこともあります。
でも、「気を緩める」ことも「気を抜く」ことも悪いことだとは思いません。
時と場合によっては、引き締めたり入れたりすることも大事ですけど、
時には緩めたり抜くことも大事です。
がんばり屋さんの多くは、締めることは得意でも緩めることが苦手な人が多いです。
本来「気」は「氣」ですから、締めるばっかりじゃなくて、
開放してあげること、広げて緩めてあげることも重要なんです。
自分自身の「氣」が、開放できる場所、緩められる場所を見つけること。
それが、「病んだ氣」にさせない秘訣だと、私は思います。
「氣」は、見えないものだけに、大事にそっと扱わなければ、
すぐに傷つき、病んでしまいます。
いつも気を引き締めて頑張っている人は、その小さな傷に気がつきません。
ダムの崩壊と同じで、溜め込んで溜め込んだものは、
ほんのわずかな傷やほころびで、崩れ壊れてしまいます。
その小さな傷やほころびを、繕ってくれる誰かを見つけるか、
その傷やほころびを、自分で気づいて繕える時と場所を確保できるか、
それが「元の氣」元気でいられる秘訣ですね。
私はおかげさまで、いつも「元氣」でいられていますよ。
あなたは、「元氣」でいられていますか?

衰え知らずなのかも。