昭和33年あたり、僕が、小学生に上がる前、妹が生まれ、妹を背負って、僕と手をつないで大須のパチンコ屋さんに毎日母は通ってた、
お金がなかったんだとおもう。この形で、(後で気づいたのだが)質屋も通ってたとおもう。
大須の今のコメ兵あたり、名前はわすれた。
まだ、左手で玉を入れて右手で弾く。すごい手さばきだ!
僕は、ちょろちょろしてて、パチンコやってるおばさんやおじさんに、お菓子屋、ジュースをもらってました。
パチンコ台の後ろは今と違って、すきまがあり、中におばさんが入っていて、詰まった玉なんかをはずしたり、うえからのぞいて、台叩かないで!なんて言ってた、なかにいれてもらったことも。
帰りに母から、必ずあまり玉でもらえるお菓子を楽しみにしてた、ビスコとかチョコなど。
これも後々気づいたことだけど、万年筆が箱に入ってて、それが交換所でお金に変わる、法律上玉とお金は直接変えてはいけないらしい、
今も昔も、パチンコは、きっと、時間つぶしではなく、人々の生活の支えになってるのかも。
余談!最高の儲けは、7マンぐらい?仮面ライダー!
でもとっくに、損出の方が、むちゃくちゃ多い!
ようし!テルミクラブの損した55万、取り戻すぞ!
無理か、、、、