さらば器量なき政治家『渡辺喜美』代議士…DHC・吉田嘉明会長独占手記 | 東京リーシングと土地活用戦記

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さらば器量なき政治家『渡辺喜美』代議士…DHC・吉田嘉明会長独占手記

政治家の器量といえば、即ち人心掌握術であろう。みんなの党が分裂した理由も、渡辺喜美代表(62)の器量のなさに尽きる。今度は、スポンサーの吉田嘉明DHC会長(73)が、渡辺代表に決別宣言をした。すると、カネに纏わる疑惑が次々と明るみに出て……。

あれは関東に大雪が降った翌日、2月9日のことです。その日、千葉県浦安の自宅に5人の来客があり、午後10時過ぎ、先に3人が帰りました。すると、我が家の警備員から「渡辺先生がお見えです」と連絡が入った。急いで玄関へ行くと、グレーのスーツ姿の渡辺さんが立っていました。彼はインターフォンを押しても門前払いされる、と考えたのかもしれません。そこで、家の門が開くまで、乗って来た車を塀に横付けにしてずっと待っていたのでしょう。

私は、突然の訪問に困惑しましたが、とにかく、残っていた客は妻に任せ、自宅地下のカラオケルームに渡辺さんを招き入れた。彼は憔悴し切った表情をしていて、私は、とりあえず、「酒でも飲みましょうか」と、バーカウンターに立ち水割りを作り始めました。すると、彼がいきなり土下座し、「会長、色々とご迷惑をおかけしました。許して下さい」と、蚊の鳴くような声で詫びるのです。私はびっくりして、すぐに「立って下さい」と彼の肩に手をやりました。土下座をしたくらいだから、その時は、てっきり私の話を聞き入れてくれるものと思いました。しかし、今思えば、それも私の怒りを抑えるための“芝居”だったのかもしれません。

吉田会長が1972年に創業したDHCは、化粧品・サプリメントなどを扱う総合メーカー。総売上高は約1140億円で、サプリは業界1位の売り上げを誇る。吉田会長自身は、かつて高額納税者番付の上位にランクされ、カリスマ経営者として知られている。

私の経営する会社は、主に化粧品とサプリメントを取り扱っています。その主務官庁は厚労省です。厚労省の規制チェックは他の省庁と比べても特別煩わしく、何やかやと縛りをかけて来ます。天下りを一人も受け入れていない弊社のような会社には、特別厳しいのかと勘繰ったりするくらいです。いずれにせよ、50年近くもリアルな経営に従事してきた私から見れば、厚労省に限らず、官僚たちが手を出せば出すほど、日本の産業はおかしくなっているように思います。つまり霞が関・官僚機構の打破こそが、今の日本に求められる改革であり、それを託せる人こそが、私の求める政治家でした。ですから、声高に“脱官僚”を主張していた渡辺喜美さんに興味を持つのは自然なこと。少なくとも、5年前はそうでした。

2009年初め、知人の経済評論家と政治談議をしていて、たまたま渡辺さんの話題になりました。「渡辺喜美っていう政治家はすごいね」という私の言に対して、彼は、「よく知っているから紹介しましょう」と言う。早速、東京・赤坂の『津つ井』という洋食屋で会うことになりました。その年の2月ですから、渡辺さんが自民党を離党した翌月のことです。第1次安倍内閣で行革担当大臣に任命された渡辺さんは、全力で行政改革に取り組んでいた。しかし、いかんせん次の福田総理も麻生総理も、本心は官僚が大好きですから、行革は口先だけで、官僚を守ることに腐心していました。

煮え切らない麻生総理に対して、渡辺さんは怒りの離党届を叩きつけ、自民党を飛び出してきたのです。そんな政治家に私が惹かれない訳がありません。実際に会ってみた渡辺さんは、私より一回り若く、童顔でもあり、潑剌としていました。これからの日本は、こういう若い人が頑張ってくれれば、少しは希望が持てるかもしれないと思ったものです。すっかり意気投合して、その日は別れました。以来、渡辺さんとの交流が始まるわけですが、記憶している限りでは十数回、もしかしたら実際は20回以上会っているかもしれません。渡辺さん一人の時もありますが、大抵は奥様のまゆみさんが一緒でした。私の自宅に招いて、みんなで政治談議に花を咲かせたものでした。

さて、交流が始まって、まだ間もない2009年春のこと。渡辺夫妻が私の自宅を訪ねてきて、まゆみさんがこう切り出したのです。「いよいよ新党を立ち上げますが、お金がなく困っています。地元の栃木に不動産があるので買っていただけないでしょうか。会長、助けて下さい」。みんなの党の結成はその年の8月ですから、本当に直前です。もちろん、当時の渡辺さんにお金が必要なことは、私も十分承知しておりましたので、言い値でその物件を購入することにしました。金額は1億8458万円。あまり高額で購入すると贈与にとられかねないので、そこは配慮した価格にしようと話し合った記憶があります。今、記録を見返すと、2009年6月26日に『渡辺美智雄経営センター』名義の物件を購入したことになっています。しかし、私自身、その物件がどこにあって、どんなものなのか、未だ見たことはありません。

吉田会長が買い上げたのは、JR東北本線・西那須野駅から車で3分ほどの所にある約877坪の土地。渡辺美智雄経営センターは、渡辺代表の父で税理士でもあった、元副総理の美智雄氏が立ち上げた会社で、現在も取締役には渡辺代表の実母が名を連ねている。「あの土地は、最初は渡辺家の資産管理会社の名義で、その後、経営センターに所有者が移ったんだ。美智雄先生のころからずっと更地です。今も大きなプレハブが2つ建っていますが、昔は選挙になると、そのプレハブを選挙事務所みたいに使っていましたね」(近所の古老)。地元の不動産業者が言う。「渡辺さんの土地が売られた2009年頃、この辺の土地は坪15万円くらいでした。つまり、877坪なら1億3000万円強の価値はあったと思います」

2009年夏の総選挙で、みんなの党は5議席を獲得。その頃には、すでに渡辺さんとの関係も深まっており、幾度となく、まゆみさんも招いて食事を共にしていました。ところで、まゆみさんのことがマスコミを賑わしているようですが、確かに、彼が彼女の尻に敷かれているのは明らかでした。まゆみさんは夫婦喧嘩をすると、私に電話をかけてきては、渡辺さんのことを激しく非難することがしばしばありました。喧嘩の原因はいつも党の人事に関すること。ただ、党内の細かな人事、さらには秘書の善し悪しの話など、私にされても返答に困るばかりです。彼女はとても性格の激しい人で、話し出したら自説を曲げませんから、彼女がひとしきり話すまでは、ただ聞き流すしかありませんでした。

また2009年の選挙の後には、こんなこともありました。それは、渡辺夫妻が江田憲司(当時、みんなの党幹事長)夫妻を伴ってわが家を訪れた時のことです。江田さんにお目にかかるのは、この時が初めてでしたが、お互いグルメということで話が盛り上がり、「今度、美味しいお店に行きましょう」という話になった。後日改めて、江田さんから連絡が入り、新橋の『京味』という日本料理屋に夫婦で招待されました。別に普通に食事するだけですから、いちいち渡辺さんに報告することもないと思うのですが、この食事会のことをまゆみさんはどこからか聞きつけたようで、私の妻に大変な剣幕で電話をかけてきたのです。私に対しては遠慮があったのでしょうが、妻も辟易していました。「あの人は怖い人だから、そっとしておきましょう」と江田さんと電話で話し合ったことを思い出します。おそらくは、まゆみさんにとって、私は渡辺喜美さんの支援者であって、他の政治家と親しくすることは決してあってはならないという、妙な独占意識があったのだと思います。しかし、そんな彼女でも、渡辺さんは心底惚れていて、何かあればいつも白旗を揚げていました。

ある時、まゆみさんが渡辺さんと女性番記者との仲を疑って離婚話にまで発展したことがあった。その時、渡辺さんはふらりと一人で私の家にやって来て、うちのカラオケルームで森進一の『冬のリヴィエラ』を熱唱していったのです。「男って奴は~」という節に力を込め、歌い終わったあと、彼は力なくこう言いました。「今はただ、お怒りが鎮まるのを待つのみです」。代表であり夫である渡辺さんがこれですから、党内の議員も秘書も、まゆみ夫人に嫌われたら万事休す、といったところだったのでしょう。ただ、そうでありながら、出会った頃の渡辺さんは、夫人の影響を受けつつも、私には確固たる夢と志を示していました。さらに、みんなの党の議員は、玉石混淆の他党とは違って精鋭ぞろいでした。立候補者の選抜試験も断トツの難しさで知られていたように思います。みんなが本気で脱官僚・中央集権打破に向かって奮闘していた。私は、この人たちを何としてでも支え続けてあげようと心に誓ったものです。

そして2010年7月の、結党以来2度目の国政選挙、参院選を控え、渡辺さんから選挙資金の依頼がありました。今度は不動産を介在させることもなく、「参院選のための資金を貸してもらえないでしょうか。3億円あれば大変助かります」と、申し出 があった。私は、これに二つ返事で応じることにしましたが、この時、彼が指定してきた口座が《りそな銀行衆議院支店 渡辺喜美》。パーティー券の購入や政党支部に行ってきた献金の振込先とは違う個人名義のものでした。6月30日、私は自分の個人口座からその口座に3億円を振り込みました。借用書は手渡しだったか郵送だったか忘れましたが、利息を併記したものを直後に入手しております。返済については、私も無頓着なもので、催促など、はなから考えていませんでした。それでも、この時は返済の実態はありました。通帳の記録を確認すると、2010年末の12月29日が初めての返済で、一気に8000万円超。翌年も不定期ではありますが、10月まで3度に亘り5000万円ずつ返済がありました。しかし2012年に入ると、どういうわけか13万円とか6万円と、額が極端に小さくなっていきました。

さて、東日本大震災の翌年、2012年に、日本の政治は大きく変わりました。政権を取った民主党は、もはや見る影もなく、来るべき総選挙では自民党の復権がほぼ約束されていました。と同時に、日本維新の会の躍進も取り沙汰されていた。実を言うと、私は日本維新の会の橋下徹共同代表に、一方ならぬ思いを持っております。彼は時に周囲に軋轢を生みますが、大阪の役人とやりあってきたことは、大変立派ですし、あの行動力は官僚体制の打破に最も求められるものだと思うのです。

日本維新の会とみんなの党の連携話が渡辺さんから入ってきたのは2012年3月。その頃、私が検査入院していた慈恵医大病院の特別室に、渡辺さんは人目も気にせず一人でやって来て、「次の総選挙で、維新と全面的に選挙協力をすることになりました。両党で100人以上は当選する可能性がある。ついては20億円ほどお借りできませんか」と頼んできたのです。確かに20億円は大金ですが、当時の腐りきった民主党政権に終止符を打ち、この20億円が日本再生のためになるのならと思い、支援するつもりでいました。しかし、ご存知の通り、みんなの党と維新の連携はご破算となり、渡辺さんからは「5億円でいいことになりました」と連絡が入ったのです。選挙の1ヵ月前の11月21日、2年前と同じ口座に、5億円を私の個人口座から振り込みました。ただ、前回の3億円の時と違うのは、彼から借用書が送られてこなかったこと、そして18人が当選した後も、礼の一つもなく、連絡まで絶えてしまったことでした。私が彼に幻滅し始めたのは、おそらくこの頃のことです。


DHCの吉田嘉明会長が朝日新聞の取材に示した『振込受付書』の写し。5億円の受取人は渡辺喜美氏で、記入欄外には銀行による平成24年11月21日付の出納印が押されていた(朝日新聞 2014年3月27日付朝刊から。画像を一部加工しています)

2012年の選挙日の時点で、前回の借入金3億円のうち、約5300万円が未返済だったという。新たな借入金を合算すれば、渡辺代表には計5億5300万円の借金があったことになる。しかし、2012年の渡辺代表の『資産等報告書』を見ると、「借入金」の欄には2億5000万円の記載しかない。政治資金に詳しい、神戸学院大学大学院の上脇博之教授が言う。「残りの3億円について不記載と言えます。これは、資産等報告書の正しい公開を義務付けた『資産公開法』違反にあたります」

さらに、疑惑がある。渡辺代表は“選挙資金”の名目で3億円と5億円を借りている。しかし、『みんなの党』や渡辺代表の関係政治団体の政治資金収支報告書、あるいは自身の選挙運動費用収支報告書には、その資金を入金した痕跡が見当たらない。元東京地検特捜部副部長の若狭勝氏はこう指摘する。「これらの資金が、政治活動に使われたのであれば、政治資金規正法違反。選挙活動に使われたのであれば、公職選挙法違反にあたる。政治資金規正法も公選法も、政治活動や選挙活動について、真実を記載することを義務付けていますからね。それを記載していないのであれば、報告書の不記載あるいは虚偽記載ということになります」

念のため言っておくと、この場合、政治資金規正法では、会計責任者に5年以下の禁錮または100万円以下の罰金。公選法では、3年以下の禁錮または50万円以下の罰金が科せられる。仮に選挙や政治活動に使ったのではないというのであれば、渡辺代表は吉田会長を騙して金を借りたことになる。これが詐欺的行為であることは言うまでもない。

結局、渡辺さんからメールで連絡が入ったのは、選挙から約半年後。昨年夏の参院選がすぐそこに迫った5月26日のことでした。《維新との選挙協力は解消しました。ついては今後の戦略について報告をしたいので、まゆみと共にお伺いしたいのですが》という内容です。しかし、連絡の途絶えていた半年の間に、みんなの党、そして渡辺さんは大きく変わってしまいました。例えば、5月に橋下さんの従軍慰安婦についての発言が物議を醸した時、渡辺さんはあれほど評価し、盟友としてその才能・センスを称えていた彼を庇うどころか、メディアと一緒になって激しくバッシングしていました。また一方で、橋下さんたちの対極に立つ民主党に歩み寄ったりと、もう私には乱心したとしか思えない不可解な行動をとっていたのです。私は彼に、もう会うつもりはないとの決別のメールを送りました。

8月になると、今度は江田さんが幹事長を更迭されました。そして12月、衆参併せて14名の議員を引き連れて江田さんは離党し、結いの党を作ります。渡辺さんはその離党すら認めず、あくまでも除名処分という対抗処置をとってきました。さらに他の議員は、離党は認めても会派離脱は認めないという奇手にも打って出た。江田さんは大勢の仲間を抱え、困り果てていました。そこで意を決し、年が明けた1月9日、渡辺さんに、《信条・理念の違う幹部を更迭するのはトップの自由。そこは一般企業でもよくあるケースではあります。江田さんたちの会派離脱は認めないと各所で悪罵されているようですが、それだけはやめてください。あくまで反対されるというのなら、小生にも覚悟はあります》という内容のメールを送りました。すると、すぐに返信があったのですが、そこには私が求める明確な答えはなく、《離党者の事情聴取ができていない》《自分の一存では決められない状況です》といったことが書かれていました。党を立ち上げた代表者としての責任感は全く感じられません。むしろ、後輩議員に責任を転嫁する度量の小ささばかりが際立っていました。

自民党の斡旋もあって2月14日、会派離脱は認められましたが、参院の委員会の問題が残りました。みんなの党の参院は、テレビ放映される最も大切な予算委員会に、委員ポストを3席持ち、決して手放そうとしません。これは、結いの党にすれば、虎としては生かされるが、牙は抜かれるようなもの。そこで、再度、渡辺さんに意見したのです。私は渡辺さんから江田さんに乗り換えたつもりもなければ、特定の政治家のために動いたつもりもありません。ただ、日本を根本からダメにしている官界や政界・その他に盤踞する既得権者らと闘う人が、最大限の力を発揮できるようお手伝いをしているだけです。

実は、今年に入ってからの渡辺さんとのメールのやり取りの中で、私は一度だけ、5億円のことについて触れたことがあります。別にお金を返して欲しくて書いたわけではないのですが、あまりに情けなく思い、あの5億円は何だったのか、彼に問い質したのです。冒頭、ご紹介した、渡辺さんが突然、私の自宅を訪れ土下座したのは、この5億円に関するメールを送った直後のことです。私が返済を求めるとでも思ったのかもしれません。その後、彼とは1時間ほど話しましたが、雑談に終始するばかりでした。結局、予算委員のポストを結いの党に渡すことはなく、今に至っています。土下座後も、アポなしで本社を訪ねてくることがありましたが、面会は断りました。事ここに至っては、政治家・渡辺喜美の言葉を聞く気になれなかったからです。今回、改めて確認したところ、2012年11月に5億円を貸して以降、4回に亘って計330万円ほど入金されています。ですから、現在の残債は5億4986万1327円です。

つまり、先の3億円についてすら完済に至っていない訳だが、ここで、もう一つの疑惑を指摘しておこう。吉田会長から借りた5億円に関するものだ。税理士の話。「今回のケースについて言えば、国税から5億円が贈与と認定される可能性があります。そもそも、金の貸し借りであるなら、金銭消費貸借契約書をつくり、金利を設定し、返済計画を示す。これを文書で残しておかなくてはならない。しかし、今回はそれがなく、かつ借りてから1年4ヵ月に亘って一銭も入金していないなら、これは借りたのではなく、初めから貰ったのだろうということになる。渡辺さんが、贈与されたと取られるかもしれません

贈与と認定されれば、今度は脱税疑惑が浮上するわけだが、「ただ、渡辺さんは5億円を借りた後に、約330万円を支払っていますから、これを5億円の利息部分の支払いだと主張するかもしれません。しかし、それでも常識的な利息の額との差があまりにあるのであれば、差額部分は贈与と認定される可能性が出てきます」。なお、吉田会長から借りた8億円について、渡辺代表に取材を申し込んだが、「質問事項が推察に基づくものなので、答えようがありません」(事務所)と、回答するのみ。

すでに永田町では、私と渡辺さんの関係を誤解も含め、あれこれ詮索する声が飛び交っていると聞きます。お金に関しては、一度は納得して貸したものですので、とやかく言うつもりはありません。ただ、今の渡辺さんは、私が出会った頃の彼とは全く変わってしまった。幾度となく夜を徹して聴き、メディアを通じても喧伝された、“脱官僚”を掲げるあの渡辺喜美さんの志は何だったのか。そして、私が貸した資金は、なぜきちんと処理されていないのか。本当に選挙に使われたのか。もう一度、彼自身に、そして世に問うてみたい。そんな思いもあったところに週刊新潮記者の要請もあり、筆を執った次第です。


≡週刊新潮 2014年4月3日号掲載≡




渡辺氏、選挙情勢説明し「5億」 DHC会長にメール

 みんなの党の渡辺喜美代表が化粧品会社ディーエイチシー(DHC、東京)の吉田嘉明会長から8億円を借り入れた問題で、渡辺代表が2012年12月の衆院選前に選挙情勢を説明した上で「あと5億円必要です。何とぞご融資お願いします」と記したメールを吉田会長に送っていたことが28日、分かった。

 吉田会長が共同通信の取材に明らかにした。

 渡辺代表は27日、記者団に「純粋に個人として借り、選挙資金や政治資金としては使っていない」と述べたが、メールの内容と食い違っており、あらためて説明を求められ
そうだ。


DHC会長、みんな・渡辺代表に8億円貸し付け 土下座して「許してください」
2014.03.26 夕刊フジ・ZAKZAK


 化粧品販売会社、ディーエイチシーの吉田嘉明会長が、みんなの党の渡辺喜美代表に選挙資金として計8億円を貸し付け、約5億4900万円が未返済だとする手記が26日発売の週刊新潮に掲載された。

 手記によると、渡辺代表から依頼を受けて2010年の参院選前に3億円、12年の衆院選前に5億円を渡辺代表の個人口座に振り込んだとしている。うち2億5000万円余りは既に返済されたという。

 吉田氏は昨年、渡辺代表に決別のメールを送り、今年に入って12年の5億円について問いただしたところ、渡辺代表は吉田氏の自宅を突然訪ね、土下座して「ご迷惑をおかけしました。許してください」とわびたという。

 昨年5月に公開された渡辺代表の資産報告書には、借入金は2億5000万円と記載されている。

 吉田氏からの借入金について、元東京地検特捜部副部長の若狭勝弁護士は「政治活動に使われたのであれば、政治資金規正法違反、選挙活動に使われたのであれば、公職選挙法違反の不記載に該当する。5000万円受領で告発された猪瀬直樹前東京都知事と比較しても、金額が大きい。政治活動や選挙活動に使われていることが明らかになれば、猪瀬氏のケースよりも悪質と判断される可能性がある」と話す。

 渡辺代表の事務所関係者は取材に「個人の名義で借りた。利子は払っており、問題ない」と説明した。



土下座して「ご迷惑をおかけしました

許してください」とわびた???・・・未返済が5億5000万円・・・

党の代表が・・これじやーね・・個人口座にねーー

みんなの党って・・みんなこんなんですかーーー

ひどいね・・