日本人は息を潜めて暮らした…集団暴走、感情支配「中国」の怖さ!!?? | 東京リーシングと土地活用戦記

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まるで戦時の敵性国民、日本人は息を潜めて暮らした…集団暴走、感情支配「中国」の怖さ
2013.4.24 08:00 [産経westピックアップ]

激化した反日暴動。中国の若者たちは無差別に日本車めがけて跳び蹴りを繰り返した=昨年9月、中国・西安市内

 「西安で反日デモ」

 2012年8月18日、土曜の夜。中国陝西(せんせい)省西安市内の大学の留学生寮でパソコンを開くと、インターネットのニュースが目に飛び込んできた。ついさっき、西安の中心部でのんきに火鍋を食べてきたばかりなのに…。当初は“緩さ”も感じられた反日活動だったが、日本が沖縄県・尖閣諸島を国有化して以降は激しさを増していき、中国の反日度も上がっていった。

パトカーで居眠り…緊張感ゼロ

 当時、香港の活動家による尖閣諸島への上陸をきっかけに、微妙に緊張は高まりつつあった。地元の大学が、日本人留学生たちに「19日から反日活動が行われる恐れがある」と注意を呼び掛けてもいた。

 だが、それまで1カ月近くの西安暮らしで、中国人の反日意識を感じたことはなかった。唐の都・長安だった西安には名所旧跡が多く、日本人観光客はいい「お客さん」だ。密教の奥義を学んだ弘法大師空海の記念碑もある。日中間で歴史分野の学術協力も盛んだ。それだけに、中国各都市のトップを切ってデモが行われたことが意外だった。

 すぐに知人の中国人に連絡すると、「偶然、通りに面した書店の窓からデモ隊の様子を目撃した」という。午前中、300~400人が公安関係者に付き添われながら市中心部に向かって行進したらしい。

 翌日、朝からデモの様子を見に行った。出発場所とされる大通り付近には警察車両がざっと30台は配備され一見、厳戒態勢だ。

 ところが、よく観察すると、若い警察官がパトカー車内で居眠りしたり、些細(ささい)なことから仲間同士でケンカを始める者までいたりして、緊張感はゼロ。こんな状態でデモの統制がとれるのだろうか。

 昼時、ゾロゾロと近くの食堂に入っていく警察官たち。同行していた知人の中国人が、食卓を囲む彼らに大阪のおばちゃんのノリで聞いてくれた。

 「今日はデモやんの?」

 「多分、ない」。警察官がのんきに答えた。尖閣国有化で雰囲気一変

 西安の大学で外国人向け中国語授業を受講していた約1カ月の間に、学生食堂で経理を担当するK君と親しくなった。26歳独身、働き者だ。私の顔を見つけると、必ずおかずを大盛りにしてくれる。お礼に簡単な日本語を教えると喜んでくれた。

 デモの警戒から戻り、食堂で働くK君に「明日、西安を発(た)つので」と告げると、「スイカ食べていきなよ」。食堂を切り盛りする40代ぐらいの女性の老板(ラオバン、社長)と見送ってくれたが、反日デモのことなどまるで意に介していないような2人の笑顔が印象的だった。

 正規留学先の北京でも、8月末から9月初旬にかけては、それほど反日の機運は高まっていなかった。北京首都国際空港から大学に向かうタクシーの車内では、ラジオから宇多田ヒカルの「First Love」が聞こえ、大学近くにオープンしたばかりの日本料理店では演歌が流れていた。

 だが、9月11日、日本政府が尖閣諸島を国有化した前後から様相は一変した。

 CCTV(中国国営中央テレビ)は連日、「釣魚島(ディアオユウ・ダオ=尖閣諸島の中国名)は中国の領土だ」という特集を、それこそ一日中放映した。「まだやんのかい」。本当にため息が出た。

 天気予報は各都市に加えて「釣魚島の明日の天気」を紹介し始め(誰が必要なのだ?)、大学近くの大型書店には「釣魚島コーナー」ができて関連書籍が平積みされた。なんだ、この準備の良さは…。

国民向けに「釣魚島は中国のものだ」と既成事実化した上で、「右翼化した日本が勝手に中国の領土を売買している」というイメージを喧伝(けんでん)し、日本側の主張など毛ほども紹介されることはない。

 ああ、これが中国なのだと思った。

あがる「体感反日度」

 「体感治安」という言葉があるが、この時期、北京の「体感反日度」が目に見えて悪化していくのが分かった。大学や街中で、人々が腹立たしげに「釣魚島」という言葉を口にするのを耳にした。

 大学近くの中華料理店では、「日本人お断り」の張り紙が出された。「自分たちは日本と中国の友好のために来ているんだ、と店主に抗議して渋々外させましたよ」と、ある日本人の男子留学生が教えてくれた。

 新規オープンした日本料理店の客足は、目に見えて減っていった。昼食を食べていたら、サラリーマン風の一行がメニューを見るなり「けっ。日本の料理なんか食えるかよ」と席を立ったこともあった。BGMは日本の音楽から中国のポップスに変わったが、結局、オープンから3カ月もたたないうちに店をたたんでしまった。

「無法地帯」

 尖閣国有化後初の週末となった9月15日、中国全土で過激化した反日デモや暴動が吹き荒れた。北京の日本大使館前で行われたデモの参加者は2万人
を超えた。

自分の生活圏では大きな混乱はみられなかったが、日系のコンビニや飲食店は、店先に中国国旗を掲げて自衛を始めた。当時、中国国内にいるすべての日本人が息を潜めて暮らしていたと思う。まるで戦時の「敵性国家」の国民だった。

 その日、西安に住む日本人留学生から連絡をもらった。暴動の一部始終を自宅アパートの窓から目撃したらしい。

 8月のデモとは様相が違ったようだ。道路を勝手に占拠する100人以上のデモ隊、そして周囲の日本車を無差別に襲撃する暴徒たち。「無法地帯になったような危機感を覚えた」(留学生)が、1時間後に外に出てみると、市民が笑顔で壊れた車を記念撮影したり、警察官と談笑したりしていたという。「なんだか荒っぽいお祭りが終わった後のようでしたよ」。

 一方で、中国のテレビメディアは、国内のデモの様子は全く報道しない。反対に当時、中東各国で相次いでいた反米デモや米大使館などへの投石・放火の映像は、繰り返し何度も放映していた。「釣魚島ニュース」の後にそれを流すと、サブリミナル効果も満点のようだ。自国民に対して、過激な反日行動をあおっているとしか思えなかった。

 あの反日暴動から半年以上がたった現在、中国社会は表向き平静を取り戻している。しかし、何かをきっかけに群集心理が暴走してしまう社会秩序のもろさ、国民の感情がいとも簡単にコントロールされてしまう危うさを、忘れることはできない。



 北京の大学に留学している関西の中年サラリーマンが、一留学生の視点から、ツッコミどころ満載の「素」の中国をリポートします。