最近の仕事  サイゼリヤお茶の水駅前店開店!! | 東京リーシングと土地活用戦記

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サイゼリヤお茶の水駅前店開店

株式会社サイゼリヤ
代表者 代表取締役会長 正垣 泰彦
代表取締役社長 堀埜 一成
本 社 〒342-0008 埼玉県吉川市旭2番地5
設 立 昭和48年5月1日
資本金 86億1,250万円
事業内容 イタリア料理店「サイゼリヤ」をチェーン展開するフードサービス業
店舗数 947店舗(国内882店 海外65店/2011年8月期・連結)
従業員数 正社員 1,942人(2011年8月期・単体)
準社員 6,822人(2011年8月期・単体)
売上高 998億円(2011年8月期・連結)


火事の後、イタリア料理店を出店
産業化には人と時が必要。
だから40年間潰れない業態を探した


「トントン、トントントン……」。正垣泰彦は聞きなれない物音で目を覚ました。1967年の冬の朝、正垣が千葉県市川市に開業したレストラン「サイゼリヤ」の店内、正垣と後に専務となる山本慈朗(じろう)は綿のように疲れて眠り込んでいた。

「二人とも店内で寝起きしていたんです。開店したもののお客が全然来なくて、アパートも借りられない。夜中まで営業して店を閉めた後、ホールに椅子を並べて、2枚の毛布を分け合って眠るんですよ。寒いから海老のように丸くなって」。

21歳の正垣は東京理科大学で理論物理学を専攻する大学生。新潟から上京した山本は17歳だった。

聞こえてきた物音は、階下のシャッターが遠慮がちに叩かれる音。「慈朗、慈朗……」。山本の名を呼ぶ声。「息子のことがよっぽど心配だったんだね。山本のお袋さんが新潟から出て来たんですよ。寝起きでぼんやりしている僕に丁寧に頭を下げて、『この子をよろしくお願いします』って。僕は胸がぐっと詰まって『はい、頑張ります』と答えたんです」。

若い正垣には、山本の母の言葉が胸に染みた。「20歳そこそこの僕に、お袋さんが深々と頭を下げるんですよ。一緒に働いてくれる仲間の生活、将来に責任があることを実感しました。頑張らなきゃいけない。俄然(がぜん)、真剣になりました」。

大学在学中に仲間と開業
「お金がなくて店で寝起き。
火事にも遭ったが、そこが原点」


「失敗は先生」と正垣。「失敗するのが楽しい。失敗したとき、俄然やる気が起きる」
大学在学中の正垣は東京・新宿の大衆食堂で皿洗いのアルバイトをしていた。山本はその店の従業員だった。親分肌で面倒見がいい正垣は、若い従業員たちに慕われ、頼りにされていた。「僕がアルバイトを辞めるとき、『一緒に仕事をしたい』って、何人かついて来ちゃったんですよ。それで、みんなで食べ物屋をやろうということになったの。仲間たちの働く場を作ろうと、僕が店を始めたんです」。36席のこの店が、国内で700店超となる「サイゼリヤ」のそもそもの始まりであった。

「僕は計画的に動いているように思われるけど、そのときどきに頼まれて、よし、やるか、と思うだけなんですよ。頭が悪かったからさ、大学出て普通に就職するのが嫌だったの」。業界随一の理論派で知られる正垣は、飲食業に携わったきっかけをこう説明する。

開店からたった7カ月後、店は全焼の憂き目にあう。地元のならず者が店内でケンカし、倒れたストーブの火が燃え広がったのだ。正垣のショックは大きかった。「でも、落ち込んでいてもしょうがない。これからどうすればいいのか、とことん考えました。仲間たちにきちんと給料を払って、生活を安定させてあげたい。そういう商売をしたいと思って、いろいろな本を読んで勉強しました。特に渥美俊一さんのチェーンストア理論の本には触発されました」。災難を学びのチャンスに変えて、正垣は自らのビジネス理論を固めていった。

「当時、飲食業は水商売と言われていたんですよ。水商売のままでは従業員の生活は安定しないから、例えばメーカーのように産業化する必要がある。産業化するには組織を作らなくてはいけないと気づいたんです」。

組織化して分業すれば、全員がひとつの目標に向いつつ、個々の能力も発揮することができる。「野球チームと同じですよ。投手、捕手、内外野手と、選手の能力に従って分業しながら全員で勝利を目指す。ただ、野球チームなら20代の人たちを集めればいいけど、組織には40歳以上の人が100人ぐらい揃うことが必要だから」。

なぜ40歳以上なのか。「寿命を80歳とすると40歳は折り返し地点。この年代になれば適性職能がはっきりし、どの分野で能力が生かせるかが分かる。大企業の課長、部長クラスは40歳以上でしょ。ある分野を完全に任せられるのは、この年代からなんですよ」。

そのためには大卒者を大量に採用しなければならず、それには株式上場する必要がある。「起業して上場までに20年かかり、大卒者が40歳になるにはさらに20年、計40年かかることが分かった」。

このような設計図を引いた正垣は、ここで壁にぶつかった。「40年の間に、会社が潰れてしまったら何にもならない。40年間廃れない業態は何か?という視点から、潰れない業態を探しました」。

世界一広がっている料理
廃れない“麻薬”の食べ物
「それがイタリア料理だった」

持ち前の分析能力を発揮して、独自のマーケティングを行った。「データを調べて、世界中に一番広がっている食べ物を探すと、それはイタリア料理と中国料理だったんですよ」。どちらの業態にするか迷った。「お客さんを呼ぶには、繰り返し食べたくなる“麻薬”のような食材を使えばいいんじゃないか。食材の麻薬、それは世界中で大量に生産、消費されているに違いない」。調べると、トマト、パスタ、チーズなどの消費の伸び率が高いことが分かった。「イタリア料理の食材だったんです。40年間潰れない業態、それはイタリア料理店だったんです」。


イタリアの「マリアーノ」の前で。店主の語るイタリアの食文化の奥深さに、正垣は衝撃を受けた
正垣は実地調査のためにイタリアに赴いた。「いろいろな店を食べ歩いた後、『マリアーノ』という店に入ってものすごく感激したんです。料理の美味しさはもちろん、食文化にびっくりしちゃった。高級店じゃない小さい店。なのに水はガス入り、ノンガス、人工的にガスを加えたものなどを使い分けてる。コーヒーも火で抽出するのと、蒸気を使うものがある。その豊かさに驚きました」。店主マリアーノ氏と話すうちに、事前調査の結果にさらに確信
を抱いた。

イタリア料理は美味しいだけじゃなくて、栄養バランスが取れてヘルシー。素材の持ち味をそのまま生かし、料理の組み合わせや選択肢が豊富だから毎日食べても飽きない。すごい料理だよね。『僕がこの料理を日本中に広める。見ていてください』とマリアーノの親父さんに言ったんです。だから『マリアーノ』はサイゼリヤの原点」。今でも毎年社員とともに訪れ、原点を確認している。

5割引きでもお客が来ない
「それならと7割引きにしたら
お客が押しかけ、2時間待ちに」


日本に戻った正垣は、焼けた店を改装して再開した。「ところが全然お客さんが来ない。青果店の2階で人目につきにくい場所だったんだけど、商品に値打ちあれば、場所が悪くてもお客は入るはず。といっても、値打ちの出し方が分からないから、とりあえずメニューを5割引きにした。それでも来ないから7割引きにしたんです」。

こうして、スパゲティを150~200円の価格帯で提供した。「すると、青果店のキャベツやタマネギの山を越えて、ずらっとお客さんが並んだんですよ。それからは混んで混んで、もう大変。お客が入れないから、近くにもう1軒出して、そこにも行列ができるからもう1軒出す。自然と同じ地域に何店舗もできちゃった。チェーン店ってこうやって作るのか、と分かったんです」。

しかし、7割引きでは利益は出ないだろう。「だから最初は誰も給料もらってないの。利益が出なくても、お客さんがたくさん来ればロスがなくなるから、何とかやっていけるんですよ」。


正垣との出会いで人生が決まった」。40年間、正垣と共にサイゼリヤを作ってきた山本
山本も店の盛況に驚喜した。「最初、暇でくさっていたから、お客さんが来てくれるとこんなに楽しいのか、と思いました。行列が出来て2時間待ちなんて当たり前なんだから、やりがいがありますよ。1年に340日も通って来る常連さんもいた。安いだけじゃなくて、美味しいから来てくれたんです。正垣は給料が払えない分、勉強を教えてやると言って、数学や哲学を教えてくれました。正垣はいつもお客さんのため、世の中のために何ができるかを考えていた。それが社長の哲学なんですね。いくら儲けようとか、利己的な考え方はしない。僕は寝食を共にして、40年間一緒にいるからよく分かります」。


正垣の理念は明確だ。「仕事は何のためにするのか。人の役に立つため、社会貢献です。これは小さい頃からお袋に叩き込まれました。何かを決断するときには、まず従業員、次にお客さん、そして社会の役に立つかどうかを考えて決めます。でもね、僕だって血迷うこともある。カッコイイことを言ってるけど、得をしてやろうという気持ちもあるわけ。すると、仲間たちが意見してくれる。人間は理念通りには生きられないから、志を同じくする仲間と常に話し合うことが大切なんです。僕の仲間は従業員、彼らが一番大事」。

上場の際、約300人の従業員全員に株を分配した。「それまでの“残業搾取分”を返さないといけないからね」。この株を売って家を建てるなり車を買うなり、独立してやりたい仕事をすればいいと言ったが、「誰も辞めなかったね」。

正垣は将来を見据え、福島県白河市に農場用地として100万坪の土地を購入、オーストラリアには40万坪の土地を取得して工場を建設した。「白河に農場を作ったのは、日本の人たちに本当に美味しい野菜を食べさせたいから。土壌、肥料、種も研究して作っています。オーストラリアの工場は、南半球に供給拠点が必要だから作ったの。北半球と南半球に工場があれば、夏が2回くるから、サプライシステムができる。いずれは、世界中の貧しい人たちに食料を供給したいんです」。

正垣が社会貢献を志すのは、母の教えによるところが大きい。父は事業にも芸術にも才を発揮した人で、艶福家でもあった。母は信仰心が篤(あつ)く、人に奉仕することを何よりの喜びとした人物だった。「他所(よそ)に生まれた親父の子供たちを、お袋はみんな引き取って、すごく可愛がって育てたんです。自分の腹を痛めてない分、実子の僕より余計に大事にした。こういう環境で育ったから、お袋の『人のため、社会のため』という生き方が自然に染み付いたんだね」。山本も正垣の母に大切にされたひとりだ。「独身の頃は家の掃除をしてくれたり、息子みたいに接してもらいました」。

2007年12月にオープンした中国・広州1号店。プレオープンの短縮営業でも来店客数は900人を超えた。「サイゼリヤ」は中国でも大人気で、弁当を食べながら並ぶお客もいるという
サイゼリヤは2007年7月に創業40周年を迎えた。正垣の描いた設計図通り、40代の従業員が約100人揃い、その6~7割が新卒入社後20年間勤務したプロパーの社員だ。目指した組織がようやく出来上がった。

人材を適材適所に配置するためにも規模の拡大は必要。今後、中国以外にも出店しますが、貧しい人たちに安くて美味しいものを食べてもらうのが目的だから、アメリカのような豊かな国には出店しない」。昨今の原油高による諸原料の値上げもどこ吹く風だ。

安くする努力に集中できるからありがたいくらい。物価が高いときこそ、安く提供するのが社会貢献ですから」。正垣が培ってきたビジネス哲学は、ぶれることがない。(文中敬称略)

サイゼリヤ 代表取締役社長
正垣 泰彦(しょうがき やすひこ)
1946年兵庫県生まれ。67年、東京理科大学在学中にレストラン「サイゼリヤ」開業。68年の大学卒業後、イタリア料理店として再オープン。その後、低価格メニュー提供で飛躍的に店舗数を拡大。98年、現ジャスダックに株式上場。2000年東証1部上場。国内店舗数769店。中国で100%出資会社を設立し、上海16店、広州2店出店(2007年12月末現在)


日経レストラン 文=芦部 洋子
写真=山田 慎二

1946年兵庫県生まれ。67年、東京理科大学在学中にレストラン「サイゼリヤ」開業。2000年東証1部上場。2011年8月期は売上高1000億円、営業利益125億円を見込む
最近、全メニュー300円前後という均一価格をウリにする居酒屋が増えている。何を頼んでも料金が同じという安心感が、消費者に支持されているのだろう。
確かに、いくら掛かるか分からないという状態は、消費者に強いストレスを与える。しかし、こうした苦痛は、商品の値付けを工夫することで取り除ける。
値付けで安心感を演出
ポイントは商品間の価格差を広げ過ぎないことだ。具体的には、「パスタ」「ピザ」「ドリア」など料理のカテゴリー(品種)毎に、一番安い価格の料理と一番高い料理の価格の差を2倍以内に収める。「サイゼリヤ」でもパスタで一番安い「ペペロンチーノ」は299円。一番高いパスタは「森のきのこのスパゲティ」など499円で数種類と、価格差は2倍以内に抑えている。
価格差を2倍以内にとどめておくと、どれを頼んでも無茶な金額にはならないという印象をお客に与えられる。だから、お客は安心して料理を選ぶことができる。なお、各メニューカテゴリーの下限となる価格をいくらにすべきかは、日常食か、ハレの日の豪華なディナーなのかといった店の使い道(用途)によって異なる。あなたの店周辺にある同業態で、用途が同じ繁盛店の価格を調べて参考にすべきだろう。
ちなみに、消費者がストレスを感じずに払える金額は朝、昼、夜で異なる。比率は朝昼夜の順で1:2:4。普段の昼食に500円使う人は、夕食は1000円まで、朝食は250円までならストレスを感じずにお金を払えるという傾向にあるわけだ。
流通業界の「ストアコンパリゾン」(視察)をしていると、スーパーがこうした価格設定を実践していることに気が付く。例えば、牛乳でも豆腐でも大抵のものは、それぞれ一番高価な商品と安価な商品の価格差が、2倍以内に収まっている。最初から意識していたのではなく、売れない商品を撤去し、売れそうな新商品を投入することを繰り返すうちに、価格差が2倍以内へと収れんしていったのだろう。
逆に言えば、商品の価格差は2倍までなら許容されるのだから、均一価格をあまり脅威に感じる必要はないということだ。それよりも、来店客の2~3割が食べてくれる「核商品」(サイゼリヤであれば299円の「ミラノ風ドリア」など)を作り、商品価値や作業効率の面で磨き続けることのほうが大切だ。

もう一つ、スーパーを見ていると品揃えについて、面白いことに気が付く。それは、商品が「ほっといても売れる商品」、「店が売りたい商品」、「売れないけど、ないと困る商品」の3つに分類できることだ。
「ほっといても売れる商品」とは、定番商品のことで、下のほうの陳列棚に置かれている。よく売れるから宣伝する必要も無く、下のほうに置いてあると商品の補充もしやすい。
「店が売りたい商品」とは、この商品を買うとお得ですよ、と提案している商品で、買い物客の目線と同じ高さで目立つ。棚の中段あたりに置いてある。
「売れないけど、ないと困る商品」とは、万人ウケする訳ではないが一部、根強いファンがいる。その商品があると豊富な品揃えの店という印象を与えられるものだ。棚の上段、フッと目線を上げると目に入るあたりに置かれている。
その比率は説明した順におよそ6:3:1になっている。飲食店も商品カテゴリー毎に、この比率を意識してメニューを用意すれば、品揃えの豊富さを示しつつ、死に筋の商品を増やさないで済む。
品揃えは3タイプを意識

イタリアの食後酒「グラッパ」(370円)はイタリア料理店、サイゼリヤのこだわりを示す
「サイゼリヤ」なら、本場のプロシュート(イタリア産のハム)を載せた「熟成生ハムピザ」(609円)などは「店が売りたい商品」。本場の良質なハムを載せながら、約600円というリーズナブルな価格で、新しいピザの食べ方を提案している。
「売れないけど、ないと困る商品」の典型例は「イカの墨入りスパゲッティ」(499円)で、提供をやめるとファンからクレームが入る。また、イタリアの食後酒「グラッパ」(370円)は、メニューブックを見たときにお客が「こんなものまで置いているのか」と、イタリア料理店としての品揃えへのこだわりを感じてくれれば、それで良い。ちなみに、「ほっといても売れる商品」の代表例はライスやドリンクバーだ。
なお、メニューについては、アイテム数より使用食材の数を意識すべきだ。食材のロスが増えたり、作業効率が下がったりするのは、メニュー数の増加によるものではなく、使用する食材の種類が増えたことによるケースが多いからだ。
ただし、例えば、「海老入りサラダ」と「シーフードサラダ」のように、よく似ている商品があるときは、試しにどちらかの商品をやめてみよう。それでサラダというカテゴリーの売り上げが下がらないなら、その商品はやめてしまうことだ。店は2種類のサラダを出しているつもりかもしれないが、お客には同じ商品にしか見えていなかったのだから。
※この記事は日経レストラン2010年1月号「サイゼリヤ正垣泰彦会長の 土壇場の経営学」



お茶の水駅前にできました。

新宿よりの改札をでた、ロッテリアの前のビル1階です。

もうすぐ、1000店舗です。すごいですよね。

月日の経つのは早い・・もう開店から1ヶ月もたった・・