きのうは、府中大国魂神社で、七五三 | 東京リーシングと土地活用戦記

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ニーチェ・ツァラトゥストラの言葉「神は死んだ、神なんかもう信じるな」「強い風が吹く所に一人で立て!そこは非常に厳しいけれど、人間自分自身が主人公だ!風を受けて孤独になれ!」「真理などない。あるのは解釈だけ」いいねー。スバム読者申請コメント削除します。

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きのうは、府中大国魂神社で、七五三が見れました。

子供達が、とっても、かわいい!!!

うちの子供たちも、ここです。

府中大国魂神社は、武蔵の国の総社になります。

嫁さんと、バイクで遊びにきましたーーー


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大国魂神社


鎮座地:東京都府中市宮町3-1

御祭神:大國魂大神

御由緒:
当社のご祭神は、大國魂大神[おおくにたまのおおかみ]を武蔵の国魂の神と仰いでお祀りしたものである。

この大神は素盞鳴尊[すさのおのみこと]の御子神でむかしこの国土を開拓され、 人民に衣食住の道を授け、医薬禁厭等の方法をも教えられこの国土を経営されたが、 天孫降臨に際してその国土を、天孫瓊々杵[ににぎの]尊にたてまつり、 出雲の杵築の大社に鎮座されました神であることは、世に知られるところである。
当社の起源は、人皇第十二代景行天皇四十一(111)年五月五日大神の託宣に依って 創立されたものである。出雲臣天穂日命[のおみあめのほひのみこと]の後裔が初めて 武蔵国造[くにのみやつこ]に任ぜられ当社に奉仕してから、代々の国造が奉仕して その祭務を掌られたといわれ、その後、孝徳天皇(645-654)の御代に至り、 大化の改新(645年)のとき、武蔵の国府をこの処に置くようになり、 当社を国衙の斎場とし、国司が奉仕して、国内の祭務を総轄する所にあてられた。

又、国司が国内社の奉幣巡拝、又は神事執行等の便により国内諸神を配祀した、 これが即ち武蔵総社の起源である。

後に本殿の両側に国内著名の神、六所[ろくしょ](小野大神・小河大神・氷川大神・ 秩父大神・金佐奈大神・杉山大神)を奉祀して、六所宮とも称せられるようになった。

寿永元年(1182)に至り、源頼朝が葛西三郎清重を使節として、 その室、政子の安産の祈願が行われた。
文治二年(1186)頼朝は武蔵守義信を奉行として社殿を造営し、また貞永元年 (1232)二月、将軍頼経の代にも武蔵守資頼を奉行として社殿が修造せられた。

又、天正十八年(1590)八月、徳川家康が江戸へ入城してからは、 武蔵国の総社であるために殊に崇敬の誠をつくし、社領五百石を寄進され、 社殿及びその他の造営に心力をつくされた。

正保三年(1646)十月、類焼により社殿は焼失したが、寛文七年(1667) 将軍家綱の命により、久世大和守広之が社殿を造営し現在に至る。 形式は三殿を横につらねた朱塗りの相殿造りで、屋根は流造りであるが、 慶応年間に檜皮葺[ひわだぶき]が銅葺に改められた。 又、本殿は都文化財に指定されている。

明治元年(1868)勅祭社に準ぜられ、同七年(1874)県社に列し、 同十八年官幣小社に列せられた。

本社はもともと大國魂神社と称したが、中古以降、武蔵の総社となり、 又国内著名の神六所を配祀したので、「武蔵総社六所宮」の社号を用いた。ところが 明治四年(1871)に、もとの社号に復し「大國魂神社」と称するようになった。

当社は神威殊に顕著であるので、古来より崇敬者は、武蔵はもちろん、 関東一円に亘っている。
五月五日には例大祭が行われるが、この祭が有名な国府祭で、当夜八基の 神輿が古式の行列を整え、消燈して闇夜に御旅所に神幸するので、 俗に「闇夜[くらやみ]祭」といわれている。 現在では昭和三十六年(1961)より神輿の渡御は夕刻に改められた。