猪瀬直樹の「眼からウロコ」
「小泉改革=誤り」はいつ生じたのか
ことの始まりは朝日新聞の「格差社会」キャンペーン
2009年6月30日日経BPNet
来る総選挙を前に、自民党は補正予算でバラマキ、民主党も高速道路無料化などとバラマキを主張し、異口同音に「小泉改革路線を修正する」という。おかしくないか。所得格差やいわゆる“派遣切り”が社会問題になっているのは、「改革がみんないけなかったからだ」という風潮がつづいている。つまり、「小泉改革が格差をつくった」という間違ったステレオタイプがある。どこでそういうステレオタイプができたのかを振り返りながら、その謎解きをしてみたい。
都議会で共産党の質問に「赤旗」の記事をもとに反論
僕自身も、「構造改革がみんないけなかった」という批判の矢面に立たされたことがある。副知事に就任して間もない2007年9月26日、都議会で共産党議員から次のような質問があった。
「構造改革路線によって、必死に働いても生活保護世帯以下の収入しか得ることのできない人が大量に生まれている。それでも自己責任の問題と片付けてよいのか」
これに対して、僕は2005年12月23日付の赤旗を根拠に反論した。
当時の赤旗は、「小泉改革が格差をつくった」などという乱暴な言い方はしていなかった。客観的なデータを提示して、格差問題を論じていた。1面で「貧困率 10年で倍加」と見出しを打ち、「OECD(経済協力開発機構)の比較調査では、日本の貧困率は、15.3%に達しています。10年ほど前8%台だったのが、約2倍に増加しています」と記している。
僕は、共産党議員に向かって、次のように答えた。
「構造改革が始まったのは2001年。貧困の問題が生じたのはバブル崩壊後の『失われた10年』と呼ばれる時期であり、構造改革によってワーキングプアが発生したわけではない。赤旗を読んでから質問してください」
議場は爆笑と拍手につつまれた。
バブル崩壊後に貧困率(発展途上国の絶対的貧困とは違う概念)が増えたのは、不況とグローバル化が原因だ。不況で1995年から2000年くらいのあいだに就職氷河期を体験した世代が、正社員に比べて賃金の安い非正規労働者になった。一方で、経済がグローバル化して、中国などの安い賃金に引っ張られる形で、国内の単純労働者の賃金が低下した。
だからこそ、フラット化する世界経済の流れに対応するために、構造改革が必要とされたのである。民営化や規制緩和によって、産業構造を転換していかなければ、貧困問題はますます悪化する。
朝日新聞の強引な「格差社会」キャンペーン
しかし、いつのまにか「小泉改革が格差をつくった」ということに、すり替わってしまった。そうなった原因は、2006年1月から始まった朝日新聞の「格差社会」キャンペーンだと僕は見ている。
2006年1月3日付の朝日新聞は、1面トップで「就学援助4年で4割増」「東京・大阪4人に1人」の大見出しを打った。「就学援助」とは、貧しい家庭に対して、公立小中学校の給食費や修学旅行費などを免除する制度である。東京都足立区では、42.5%が就学援助を受けているとして、朝日新聞は格差拡大の証明のように報じた。
赤旗とちがって朝日新聞は、小泉首相の在任期間に就学援助が急増したから格差社会だ、という論旨を展開している。これは、バブル崩壊後の流れを無視しているだけでなく、就学援助の実態も見ていない、じつに短絡的な記事である。
就学援助の対象となる家庭は、生活保護基準額の1.1倍から1.3倍の所得水準世帯とされている。東京23区なら基準額は277万円だから、その1.1倍としても300万円になる。さらに埼玉県川越市では、基準額の1.5倍の所得まで就学援助をしていた。年収473万円でも就学援助を受けられることになる。
足立区では、4人家族で年収329万円から412万円(幅は家族の年齢構成による)、また6人家族は年収410万円から528万円で、就学援助を受けることができる。それだけの収入がある世帯を「貧しい」と言うのだろうか。
朝日新聞の強引な「格差社会」キャンペーンは続いていった。「授業料減免11人に1人」(3月23日付)、「治療代未払い急増」(4月9日付)と、1面トップに見出しを打つ記事だけでなく、「分裂にっぽん」という企画記事の連載がつづいた。
「分裂にっぽん」のあきれた論旨のすり替え
この「分裂にっぽん」の内容は、よく読んでみるとヘンなのだ。
「教育投資3年400万円」(3月23日付)は、子どもに教育費をかけられる家庭とそうでない家庭とのあいだで生じる格差がテーマだった。中学受験のために3年間で400万円かけたという横浜市のある主婦が、次のように苦境を訴えている。
「単身赴任中の夫の年収は約1200万円だが、マンションのローンを抱え、貯蓄残高はゼロになった。夫婦とも生命保険を解約し、駐車場代が惜しくて車も手放した。自らもパートに出て家計を支える」
その一方で「家庭の経済力の差が学力や進路を左右する」(3月21日付)には、手取り月30万円の5人家族(自営業の夫、主婦の妻、3人の子)が登場している。その娘は「混雑する成田空港の様子を報じたニュース」を見て、「お金のことを気にしない生活をしてみたい」とつぶやいた、というのだ。
このように、「分裂にっぽん」の内容は、「進学校に行けるかどうか」という話が、「ご飯を食べられるかどうか」にすり替わっている。ふつうならば、受験狂想曲として描くべき素材を、「格差社会」キャンペーンに無理に利用しているから、おかしな記事になってしまったのである。
2005年の時点では、共産党も格差問題と小泉改革を結びつけていなかった。2006年になって、一般紙の方が「小泉改革が格差をつくった」という根拠のないキャンペーンを始めたのだ。
構造改革のねらいは「小さな政府」「セーフティネットの充実」だった
2006年9月に小泉政権が終わると、「小泉改革が格差をつくった」というステレオタイプはさらに広まっていった。2008年9月のリーマンショック以降の格差問題、貧困問題はまた別の話のはずだが、なぜか「改革がみんないけなかった」と、ますますおかしな方向に加速している。
郵政民営化も間違っていたというムードになり、民主党も郵政民営化を見直すと言っている。しかし、根拠もなく、「空気」だけで民営化を否定すべきではない。
小泉政権では、「大きな政府か小さな政府か」というキャッチフレーズが叫ばれた。小泉改革が対象としたのは、「肥大化した官業をつくりあげた(大きな)政府」だった。雇用保険などのセーフティネットを食い物にする霞が関を打倒して、無駄のない「小さな政府」と、競争のために必要なセーフティネットを充実させるのが、構造改革である。
小泉さんが首相になる以前、いまから10年くらい前に、議員会館の会議室で開かれた超党派の勉強会に講師として招かれたことがある。小泉さんが呼びかけた、郵政民営化の勉強会だった。出席していた30人から40人の議員のうち、6~7割が民主党だったので、僕は「民主党の方が多いじゃないですか」と皮肉ったら、小泉さんは笑って「うん、いいんだよ」と答えた。2002年秋、暴漢に殺された石井紘基さんもいた。小泉さんと民主党の改革派は同じ主張だったのである。
道路公団民営化や郵政民営化は実現できたけれども、改革は道半ばだ。「大きな政府」は、まだまだ小さくなっていない。つぎの政権が改革を引き継いでくれないといけないのに、民主党は「改革がみんないけなかった。郵政民営化も間違っていた」などと言う。ともに改革を目指していた10年前の民主党はどこに行ったのだろうか。
僕が3月に書いた「小泉改革批判への大反論 セーフティネットを壊したのは守旧派だ」(『Voice』2009年4月号)には、大きな反響があった。わずか数年で、どうして新聞も政党も「改革反対」になっているのか、みんなが不思議に思っている。サイレントマジョリティは、簡単に考えをひっくり返らせていない。振れが大きいのは、自民・民主の二大政党とメディアなのである。
猪瀬直樹(いのせ・なおき)
作家。1946年、長野県生まれ。1987年『ミカドの肖像』で第18回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。『日本国の研究』で1996年度文藝春秋読者賞受賞。以降、特殊法人などの廃止・民営化に取り組み、2002年6月末、小泉首相より道路関係四公団民営化推進委員会委員に任命される。政府税制調査会委員、東京工業大学特任教授、テレビ・ラジオ番組のコメンテーターなど幅広い領域で活躍中。東京都副知事。最新刊に『霞が関「解体」戦争』(草思社)がある。
オフィシャルホームページ:http://inose.gr.jp/
さすが、するどいですね・・・
