大前研一流 日本型ニューディール構想は、どう??? | 東京リーシングと土地活用戦記

東京リーシングと土地活用戦記

ニーチェ・ツァラトゥストラの言葉「神は死んだ、神なんかもう信じるな」「強い風が吹く所に一人で立て!そこは非常に厳しいけれど、人間自分自身が主人公だ!風を受けて孤独になれ!」「真理などない。あるのは解釈だけ」いいねー。スバム読者申請コメント削除します。

★東京・リーシングと土地活用のビジネス戦記



日本は今こそ国家100年の計で都市再生・街づくりに取り組むべきだ


円高・低金利、雇用危機、経営破綻・倒産……。アメリカ発金融危機により、日本の経済は、かつてない深刻なデフレ大不況に陥りつつある。どうすればいいのか? 大前研一氏は、今こそ国家100年の計で都市再生・街づくりに取り組むべきだと語る。その構想の全貌と真意は――。

■国力が衰える前にやるべきこととは

アメリカの金融危機や韓国の経済危機を日本で見ていると、ポールソン米財務長官にしても、李明博・韓国大統領にしても、危機を舵取りする為政者の視野の狭さに嘆息させられる。危機の歴史を少し勉強すればわかることだが、危機に際して大きな結果を出した為政者というのは、従来の延長線上にない方向に舵を切っている。要するに思い切ったことをしているのだ。

今の為政者たちは、目の前の現実に泥縄式で対処しているだけ。見えている現象に対して対策を考えるのは凡庸なリーダーである。これが愚かなリーダーになると、今見えていない現象に対しても余計なことをやろうとする。

未曾有の大不況に陥る可能性もある2009年、麻生政権の行方は……。

たとえば誰も路頭に迷っていないのに、国民全員に1人1万2000円もバラ撒こうとする。景気対策というほど日本の景気は悪くない。そもそもこの15年間、統計上はともかく国民のほとんどが景気のよさを実感できたことはなかった。だから今が特別悪いわけではない。それどころか世界の中では、経済情勢は随分ましなほうだ。それを他の国がやっているから、選挙が近いからと無駄金をバラ撒いていたら、本当に日本は左前になってしまう。

国力が衰える前に、この国がやるべきことはほかにある。
しかも日本の実力からすれば、割合簡単なことだ。


アメリカの場合は世界中から借金しているから、自分でやろうと思ってもできないことが多い。韓国の場合、経営の意思決定が早いし、計画のスケールが大きいから一見華々しく見えるが、部品や工作機械など肝心要の産業クラスターが育っていないので、やはり自己完結できない。

アナログな製品から最先端のハイテク機器まですべてを自前でつくれる産業基盤、基幹部品や工作機械などの産業クラスターが一通り揃っている国は世界でも数少ない。

そもそもグローバル経済というのは、それぞれの国が得意技を持ち寄ってつくったカラオケセットのようなものだ。カラオケはBGMが流れ、テンポが刻まれ、モニターに表示される歌詞の色が変わるタイミングに合わせて歌えば、誰でもそこそこ上手に歌える。つまりBGMと字幕に合わせれば、どんな国でも経済が回るようにできている。逆にBGMと字幕を外したら、ろくに歌を歌えない国ばかりなのだ。

そんなグローバル経済にあって、(原材料さえ持ち込めば)アカペラで歌う歌唱力を持っているのが日本なのである。アメリカのように世界中から借金して身動きが取れないわけでもない。にもかかわらず、キンコンと鐘が2つ鳴る程度の歌しか今の日本は歌えていないのではないか。

今の日本がなすべきことは何か。
日本の突破口がどこにあるのかを考えるとき、
私の頭には「都市づくり」というキーワードが浮かんでくる。


これは日本が一番サボってきた分野の1つだ。たとえば京都は中国の古都・長安に倣っただけあって、今でもしっかりした街並みが残っているし、風情もある。

ところが大阪の場合、慶長20(1615)年の夏の陣で破壊されて以来、これといった都市計画は行われてこなかった。万博のときに千里まで行く新御堂筋線が開通して、あとは大阪城公園の周囲にOBP(大阪ビジネスパーク)道路ができたぐらい。

名古屋は東西南北に100メートル道路が走っているが、中心部のごくわずかなエリアのみで、世界の一流都市の街並みとは比べるべくもない。

東京の街に至っては、これぞ21世紀の大都市と思えるところが1つもない。私のオフィスがある千代田区六番町は、もともとお屋敷町で江戸時代の古いレイアウトが残っている。東京で街並みがハッキリしているのは、ここと東急の五島慶太氏が開発した田園調布、それから国立の駅前くらいだ。

地震がくれば下町の8割は液状化すると言われながら土地改良は一向に行われず、消防車の入れない路地がクモの巣のように張り巡らされ、開かずの踏み切りが1000カ所もある。それが約1300万人が暮らす経済大国の首都の現実で、このまま50年後の子孫に残していくには何とも忍びない。


なぜ都市づくりに手をつけなかったか

西欧の大都市の街並みは、どこも見事なものだ。ロシア第2の都市・サンクトペテルブルクに行くと、遷都したピョートル大帝の稀有壮大な構想力に圧倒される。いささかパリへの憧れが強すぎるきらいはあるものの、バロック様式と古典主義様式が融合した建築物の数々が運河で切り分けられた島々に浮かぶ威容は、「北方のベネチア」と呼ばれるにふさわしい。

ルイ14世が遷都してベルサイユ宮殿を築いたパリ。ヘンリー八世が開発したロンドン。専制君主の国ばかりではない。今から100年前、イギリスを抜いてアメリカの産業が世界一になった頃のニューヨークでも、世界の首都を目指した壮大な都市開発が行われた。マンハッタンの街並みなど20世紀の首都にふさわしい貫禄がある。網の目のようにレイアウトされた区画に高層ビルが密集して立ち並び、商業施設と居住区がえもいわれぬ調和を奏で、その外周をFDRという高速道路が走っている。

しかも驚くのは、100年前に地下の共同溝に電線や上下水道などを埋設したことだ。だからマンハッタンには目障りな電柱が1本もない。

また、近年ハイレベルな都市づくりが進んでいるのが中国。オリンピックで北京に行った旅行者は驚いたと思うが、市内は立体交差が張り巡らされていて、立体都市へと変貌を遂げている。

北京に21世紀の首都は渡さないという勢いで上海の開発も進み、高層ビルの数はニューヨークを抜いて今や世界一だ。南の首都として存在感を増している広州、重化学工業の中心地でありソフトウエアパーク化も著しい遼東半島の大連、山東半島で旧ドイツ植民地の面影を残したヨーロッパ風の街並みが美しい青島など、中国だけで21世紀の首都候補が5つも6つもある。

日本でも群雄割拠した戦国の世には、工夫を凝らした街づくりが行われていた。織田信長にしても豊臣秀吉にしても、太田道灌、徳川家康にしても、一国一城を築くときには防衛や防災の知恵を絞り、民生面も考慮しながらゼロから城下町をレイアウトした。

しかし戦後60年、東京の街並みは闇市以来の自然発生的な流れのまま形づくられてきただけで、政治家は都市づくりに手をつけてこなかった。これだけ豊かになっても、日本には21世紀の街並みというものがない。


なぜか。目先のことにとらわれ、日本の将来を考える英雄がいなくなったことが1つ。もう1つ、これは日本人の性格そのもので、国民が街づくりのような、個を超えた大事業に夢を抱いたり希求してこなかったことがある。

たとえば東京都は、美濃部亮吉・都政時代の悪法である日照権条例(1978年)を、いまだ克服できていない。

そもそも都市開発で建物をつくり替えるときには高層化するものだ。当然、隣は陰になるわけで、日照権がある限り、つくり替えができなくなる。全部の建て替えが済んだら皆、日が当たるようになるが、途中、来る日も来る日も日照権を主張されたら何もできない。

日照権が大手を振ってまかり通るのは日本ぐらいのものだが、もし真のリーダーが出てきたら、安全・安心な街をつくるため、日照権を20年棚上げさせてくれと言うだろう。

ところがそうなると、これまた日本人の得意技で「ウチは嫌だ」とゴネ得しようという輩が出てくる。信長や秀吉の時代なら刀にものを言わせて許さなかっただろうが、現代日本では誰かがゴネると物事は一歩も先に進まない。

幸い2002年に都市再生法という法律が施行され、51%の住民が賛成すれば再生・再開発が可能になるなど、都市計画は迅速に進められるように法整備された。

ところが、この法律を適用する勇気を持った政治家がいない。役人は揉めるのも責任を取らされるのも嫌だから及び腰になる。誰が責任を取り切れるのかといえば、政治家しかいないのだ。政治家がビジョンを住民に提示し、日本の将来を考えたときに国民の安全・安心のために絶対に必要なことなのだと夢を持って語り、粘り強く説得しなければいけない。

日本の景気対策がなぜ地方にばかりいくかといえば、用地買収が楽だから。買収に手間がかからないから、人がいないところに道路をつくり、橋を架けたがる。緊急経済対策と称して税金を無駄遣いする工事ばかりやってきた。「緊急対策」では都市再生はできない。長期構想が不可欠だからだ。

道路建設を正当化するために20年まで交通量は増え続けると言い続けてきた国土交通省が、道路特定財源をめぐる国会審議の中で交通量が今後は減少に転じるという将来予測を初めて公表した。今さらながら呆れるが、そもそも人のいないところに道路をつくってきたのが問題なのであって、東京や大阪などの都市部にはニーズはまだまだある。


過去30年、人のいないところに金をバラ撒いてきたのだから、今度は人のいるところに金をかけるべきだ。安全・安心という国民の暮らしの基本部分に金を振り向けて、21世紀に世界に誇れる都市をつくっていく。東京が頑張れば大阪も頑張る、名古屋も頑張るという連鎖反応が起きれば、日本中が元気になる。


■キーワードは安全で安心な住環境

戦後60年、日本は都市づくりをサボタージュしてきたと言ったが、実は工業都市に関しては、京浜から阪神、北九州への三大工業地帯が連なる太平洋ベルトをピカピカに磨いてつくり上げた経験がある。

だが工業国家を追い求める時代は、すでに終わった。かつての日本と同じタイプの工業国ならアジアを見回せばそこら中にある。これから日本が目指すべきは、少子高齢化の進んだ成熟社会にふさわしい先進的な街づくりであり、安全で安心な住環境の充実である。

いくら42インチのフラットテレビを見ていても、WiiとDSとプレステを持っていても、明日地震で潰れるかもしれないところで暮らしているのを近代的生活とは言わない。住環境の豊かさは文明国の証しである。

しかし世界第2位の経済大国といいながら、日本では住環境の充実が生活の中心から外されてきた。

47都道府県で最も住みやすいのは富山県だと言われる。地方交付税をもらっている富山より東京のほうが住環境が悪い、というのだからふざけた話だ。富山で暮らしている人たちが感じている豊かさを、東京でも実現しなければいけない。かつて三大工業地帯をつくり上げたあのエネルギーを、大都市の再生に振り向けるべきなのだ。

住環境以前に、都市の安全性という問題もある。阪神淡路大震災から14年近く経過したが、5000人以上の死者を出した苦い教訓を生かして、東京で直下型地震に備えた対策を講じているかといえば、ほとんど何もしていない。

液状化現象の研究は進んでいて、たとえば墨田区なら100%、千代田区でも25%程度の液状化リスクがあることはわかっている。しかし軟弱地盤の土地改良など、液状化対策はまったくゼロの状態だ。

それから備蓄。液状化などで道路が寸断されるから、被災地への支援がなかなか行き届かない。また発電所が止まったり、電線が切れて、電気が届かなくなる。たとえば高層マンションでエレベーターが止まると、給水車が来てもバケツに水を汲んで高層階まで上がるだけで大変な苦労だ。食糧備蓄や非常用電源は、確保しておかなければいけない。

当時、ボランティアで被災地に食料を届けた経験から言えば、一番喜ばれたのはウエットティッシュだった。ホコリだらけの中で作業をしているから、顔や目を拭きたい。水が足りないから手も満足に洗えない。そんなときにはウエットティッシュが重宝するのだ。こうした備蓄は町内会などの自治会レベルで準備しておくべきだと思うが、やっているという話はあまり聞こえてこない。

もう1つは、建築上の教訓。被災地を見て回ると、1階部分に駐車場スペースがあって下駄を履いたような形の、いわゆるピロティ式の建物が軒並みお辞儀をするように倒壊していた。ピロティ式の構造物は都内にもたくさんあって、耐震補強もされないまま放置されている。もちろん在来工法の住宅の多くが倒壊した。

喉元過ぎれば熱さ忘れるというが、行政も東京の住人も、自分たちがどれだけ危うい地盤の上、建物の中で暮らしているかを忘れている。太田道灌以来ともいうべき東京の街づくりに、阪神淡路大震災の教訓を生かさない手はない。死なない街づくりの優先度を高めるべきだ。

軟弱地盤の土地改良から始めて、共同溝をつくって電線やブロードバンドなどのライフラインはすべて埋設する。あわせて食糧備蓄庫や非常用電源セットも区画ごとに完備する。ボストンのように地下に高速道路を通してもいい。そうすれば消防車が通れる道幅も、駐車場スペースも十分確保できる。

これらをやろうとしたときの財源は、国内に十分ある。今は郵貯に400兆円、銀行の定期預金にも240兆円もの金融資産があり、国債を買うような眠たい運用に回っている。都市再生債、東京再生債のような債券を発行し、協力して債券を買ってくれた人には地方税の一部を免除すればいい。年4~5%の利回りは楽に見込めるはずだ。

アメリカのように世界中から借金しなくても、中国のように農民を騙して土地をふんだくらなくても、日本は原資とニーズが国内に十分にある。足りないのは、意思とビジョンだけなのだ。


■乱開発を認めるビジョンなき行政

20年、30年の大都市ビジョンというものを明確に持って、都市計画を策定することが大切。だが現状は、地上げができたところから、われ先にとマンションが建設されている。

このやり方では早晩壁にぶつかる。そのいい例が、東京・中央区だ。今、中央区は日本一人口増加の激しい町になっていて、定住人口の回復を重点施策に掲げてきた矢田美英区長は胸を張っている。実際はマンション建設ラッシュで住民が増えただけのことだが、逆に子供が増えすぎて、統廃合を進めてきた学校が足りなくなるという問題が起きている。


私が小学生だった時代は戦災のため校舎が足らず、午前組と午後組で生徒を入れ替える二部授業が行われたが、中央区の小学校でも二部授業にせざるをえないところまできているという。子供を持つ家族の流入につながるのを嫌がって、今や中央区では分譲マンションの建築を抑制することを検討しているという。賃貸ならいい、という理屈だ。

お台場も商業施設ばかり認可しているが、江東区があの地区に学校をつくりたくないからだという。マンション用地として最高の場所だが認可されない。臨海副都心を第二の大手町、と考えた古い構想から一歩も抜け出していないからだ。

たとえば定住人口を20万人と決めれば、それに対して学校や病院などの適切な数や配置も決まってくる。マンション建設も都市計画の一部としてやるべきなのだ。

ブロックごとに都や区が買い上げて、地盤を強化し、共同施設をつくる。その上に容積率の高い近代的な高層住宅と商業施設を民間資金でつくる。そこに住んでいた人たちは2年間公営住宅に移ってもらって、住宅が完成したら管理費だけで住めるようにする。ブロック単位で開発すれば、小学校をつくる余裕もできるはずだ。

要は、ビジョンとコンセプト。それさえあれば都市計画はできる。5月雨式に乱開発するから、日本には住環境に付加価値となるような街並みやコミュニティが生まれてこないのだ。

江東区、中央区、港区、台東区、品川区、墨田区など、大手町まで20分以内の通勤圏が整備されるのは、21世紀の世界都市を目指すうえで非常に重要だ。それから築地、晴海、豊洲、勝鬨辺りは開発次第でマンハッタン以上の夜景スポットになるのだから、中央区と港区、江東区が一緒になって東京のシンボルになるようなプロジェクトをやらなければいけない。

もし実現すると、オリンピック誘致どころの騒ぎではない。東京の再開発が始まれば、向こう20年は盆と正月が一緒に来たくらい忙しくなるだろう。内需主導の経済成長のエンジンになること請け合いだから、同じ経済対策でも大いに意味がある。

東は墨田区や江戸川区、西は工場地帯が廃れた京浜運河から横浜まで外側に開発が広がっていけば、20年では終わらないかもしれない。そして30~40年後、街並みが整備され、誰もが住みたくなるような住環境が出来上がったときには、東京は再び世界の注目を浴び、何らかのワールドセンターになっているはずだ。

それは恐らくITの分野ではなく、秋葉原をヘソとしたマンガやアニメ、ゲームといったクリエーティブな領域かもしれない。あるいは西麻布をヘソとした食文化かもしれない。世界一のコンサートホール数をフル活用した芸術と文化の街かもしれない。

それに対抗して名古屋や大阪、福岡などが都市の再活性化を競う。カネも需要も十分にあるから、こうした計画は絵に描いた餅ではない。ビジョン型政治家が出てくれば、十分実現可能だ。


これが私の考える日本の突破口、日本版ニューディール構想なのだ。

大前研一の日本のカラクリ

プレジデント 2009年2.2号



族議員とかでなく・・

官僚のいいなりでない、

強力なビジョン型政治家の出現を期待したいですね・・・