文春の麻生手記は朝日新聞・曽我豪氏による代筆 | 東京リーシングと土地活用戦記

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文春の麻生手記は朝日新聞・曽我豪氏による代筆だった

 上杉隆氏が月刊「新潮45」12月号に寄せた記事が話題となっている。
 
 記事によると、今年10月に発売された文藝春秋11月号に寄せられた麻生太郎首相の解散宣言手記は、朝日新聞編集委員の曽我豪氏による代筆だという。

 問題になった麻生手記については、かねてから「総裁選の多忙中に執筆できるわけがない。ゴーストライターがいる」と囁かれいた。一部報道では、朝日新聞社の編集委員が代筆したことをほのめかす記事が出ていたが、実名で記事になったのははじめて。

 上杉氏は、実名の公表に踏み切った理由を記事の中でこう述べている。

 米国では大統領の一般教書演説を大統領自身が書くということはほとんどない。専属のスピーチライターが存在し、多くのスタッフを使って練りに練って演説原稿を仕上げる。またそうした職業自体が認められ、ジャーナリズムの取材対象となっている。(中略)
 ところが、翻って日本となると、なぜかそうした職業について言及されることはない。スピーチライターの存在に薄々気付きながらも、政治ジャーナリズムがそれを取材することもない。
 だが、国家権力の頂点に立つ内閣総理大臣、その政治決定を左右する人物を無視するということは、国民の知る権利からしても、まったくもって奇妙なことではないか。


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田中良紹氏(ジャーナリスト)
「麻生の周りにはヨイショをしてくれる記者しかいなかった」(11/22)

今回の文藝春秋に発表した論文についての騒動の一番の原因は、麻生が傍流政治家だったからではないか。麻生は、首相になるまでに権力の中枢にいたことがないため、政治についての理解が浅いのだ。

権力の中枢にいる政治家は口が固く、担当記者も取材が難しい。権力者がうかつに何かをを話すと、自分がやりたいと考えていることがうまくいかなくなってしまうからだ。だから、一般的に主流派を担当する記者は、原稿を書く機会が少なくなってしまう。

ところが、自民党の中でも傍流に属する政治家は、新聞記者と一緒になって権力者が何を考えているかを取材し、情報を集める。だから、傍流政治家と新聞記者は立場が一緒になりやすく、両者の関係に緊張感が失われてゆく。麻生手記を朝日の記者が代筆したとしても、傍流政治家と記者の関係であれば、ありうることだ。

麻生首相が傍流政治家であることがよく理解できるのが、番記者に対する対応だ。
総理番は各メディアの若手記者が担当するが、そういった若手の小物記者に対して麻生はイラついている。これは、裏を返せばこれまで傍流政治家であった麻生の周りには、自分にとって都合のいい、しかもヨイショばかりする記者しかいなかったということを証明している。

主流派の政治家であれば、番記者のような質問を毎日されるのは当たり前。イヤな質問をどう切り抜けるかで、権力者としての資質がわかる。



麻生太郎の側近は朝日新聞記者




麻生首相の演説に、野中広務





ユーチューブはおもしろい、けっこう本音がきける!!