本物を求める日本 日下公人氏 日経BP | 東京リーシングと土地活用戦記

東京リーシングと土地活用戦記

ニーチェ・ツァラトゥストラの言葉「神は死んだ、神なんかもう信じるな」「強い風が吹く所に一人で立て!そこは非常に厳しいけれど、人間自分自身が主人公だ!風を受けて孤独になれ!」「真理などない。あるのは解釈だけ」いいねー。スバム読者申請コメント削除します。

日下公人氏のコラムが「本物を求める日本」というタイトルで日経BPにありました。






黒川伊保子さんというエッセイストが書いた『日本語はなぜ美しいのか』という本がある。その本にはいくつかの興味深いことが書かれていた。



 まず感心したのは、日本人は「母国語」を話しているという指摘だ。母国語は本当に大切なものだから、小学生に英語を教えてはいけない。母国語が完全に身に付いてから英語を教えなさい。英語は中学校からで十分だ、というのが、その本の根本思想である。

 その例証として出てくるのが米国だ。米国人には英語が母国語ではない人がたくさんいる。英国から来た人は英語が母国語だろうが、それ以外は寄せ集めで、お互いにコミュニケーションをするために、仕方なく英語を使っている。つまり米国の英語は記号であり、心がこもっていない。

 それと似た現象が日本にもある。地方から東京に来た人が、方言を隠して無理に標準語を話している。それでいて結婚する相手は同じ故郷の出身者を選んで、家に帰ると方言を使っている。

 あるいは飲み屋でも、郷土料理の店に行くと同じ故郷の出身者が集まってくる。しかし、表面ではみんな標準語で付き合っている。これは少し米国の状況に似ているかもしれない。



英米の狭間で日本式英語を選んだ

 「お父さん、お母さん、おはようございます」。国語の教科書にはそう書いてあるけれど、実際にその通りに話している人がいるだろうか。それは聞く言葉で、実際に自分が話す言葉ではない。だが、それが正しい日本語だということが「建前」になっている。

 ケンブリッジ大学を出た知人がいる。日本人だが、国際的に活躍している人で、外国の企業で活躍している。その人はケンブリッジ英語を話すのだが、英国で仕事をしているときはそれでよかった。

 しかし米国で仕事をするようになると「あなたは何を気取っているのだ」と言われた。そこで、あわてて米国風の英語を覚えた。ところが、またロンドン支店に戻ることになり、いざロンドンに戻ったら「あなたは何という品のない英語を話すのだ」と言われた。

 英国では米国風の英語はダメだと言われて、その人は悩みに悩んで、ある結論を出した。自分は実は両方使えるけれど、結局、一番よいのは日本式英語を話すことだ。そうすれば相手も安心する。

 日本人なのに英米両方の英語を話せるというのは、相手にとっては付き合いにくい。それなら完全な日本式英語の方が、よほど住み心地がいいと気が付いた。

たどたどしくても母国語の方がうまくいく

 一方、別の知人でケンブリッジ大学を出てカナダで働いている人がいる。親しい友人なので、わたしは「よく大学教授になれましたね」と言ったら、理由を教えてくれた。それは「ケンブリッジ英語を使えるから」だそうだ。学力はともかく、カナダではそれが評価されるんだと、彼は言っていた。

 英国風も米国風も使えるのに日本式英語にたどり着いた人と、最初から日本式英語など関係なく英国の英語で通した人がいる。そこで、彼らに比べるとごくレベルの低い話だが、わたしは「日本式英語でいこう」と決めた。真似をしても仕方がない。少しぐらい英語がうまくても、かえって軽蔑されると思っている。

 わたしに会いに来る外国人が変な日本語を話すのを、わたしは何度も聞いている。ちゃんと言ってくれればちゃんと聞くのに、弱みを隠そうとして、彼らはすぐ「学生日本語」を使う。

 外国人に「まあいいじゃないですか」などと日本語で言われると、「この人は日本の大学でそういうシチュエーションが多かったんだな」と分かる。公式な話の場で、そんな学生日本語は使わない方がいい。

 たどたどしくても、きちんとした日本語を使った方が、取引はうまくいく。変に馴れ馴れしい言葉を使わない方がいい。だからわたしも、ちぎっては投げ、ちぎっては投げというような英語を話しても、別に不自由はないのである。わたしはそういうレベルしか必要がなかったからだけれど、公式の場だからといって流ちょうになる必要はない。

 母国語というのはみんなあるものだから、それを出したほうが話がうまくいく。相手もかえって安心する。同じように、一度、外国との対比で日本を考えて、考え終わったら、あとは日本人の地でいった方がいい。たどたどしくても恥ではない。あまり高級な英語を話すと、相手がびっくりしてしまう。


データよりもインスピレーションで当選した宮崎県知事

 そのまんま東(本名:東国原英夫)氏が宮崎県知事に当選した。その一報を聞いた瞬間にわたしは、彼の経歴を考えて、「えーっ」と意外に思った。その時のわたしはデータから考えていた。データとは過去の話である。

 テレビをつけてみたら、頭を下げながら歩いている彼の一生懸命な姿が映し出されていた。その瞬間、わたしは「ああ、宮崎県の有権者はこの姿に感動したんだ」と納得した。





 頭を下げながら歩く姿はデータではない。宮崎県の有権者は「人間は過去を乗り越えて生まれ変わることができるものなのか」と感動したのだ。そして投票に行った。それはインスピレーションである。



 データの上にインフォメーションがあって、その上にインテリジェンスがあって、その上にインスピレーションがある。そういう違いが分からない人が、データ、データとありがたがっている。そんな人は国際舞台へ出たら負けるだろう。データなんて過去なのだからどうでもいい。未来をつくるのが指導者なのだから。

 データの上の「インフォメーション」が通用したのも昔の話である。早耳で聞いたといっても、周りよりも早耳なだけであって、それがありがたいことかどうかは分からない。インフォメーションをありがたがっているようでは、国際舞台では通用しない。

 「パソコンからデータがたくさん取れます、インフォメーションがあります」という学生に、わたしはいつも「君たちは未来に仕事をするんだから、インフォメーションなんて軽蔑して、その上のインテリジェンスを出せ」と諭す。そのためにはインスピレーションがなければいけない。ひらめきが必要だ。

日本の国民は不自然さを見破るようになった

 宮崎県の有権者は、インテリジェンスやインスピレーションがわいてきて投票に行った。そして浮動票が出てきた。今までの棄権票が、わいて出てきた。地下のマグマが出てきた。地下のマグマを引き出したのは、そのまんま東氏のあの一生懸命な態度であった。

 彼はまさしく「そのまんま」を見せた。自分を見せた。自分が昔、あまり評判のよくない芸能人だったということは消せない。それを隠さずに、「でも早稲田大学で勉強して、今はこんな人間になりました」と態度で見せた。それが人を感動させた。

 宮崎県知事選の翌日、政治評論家が集まる会に出た。みんながその場で彼についてしたり顔で言っていることは「選挙公約が分かりやすかった」「対抗馬が元役人だった」などなど、昔から何回も言っているようなセリフばかり。型通りの批評である。

 そんな批評は浮動票や棄権票には通用しない。そうではなく、まったく新しい票が出てきたのだ。評論家は浮動票や棄権票を見ていない。だが、そのまんま東氏は浮動票や棄権票を掘り起こした。だから、浮動票、あるいは棄権票の研究をしなくてはいけない。


 今、日本人はみんな本物を求めている。本物を求める日本が復活してきたと考えたい。今まで日本中を吹き荒れていた学歴信仰や欧米崇拝の風に合わせることなく、本物を信用する社会になりつつあるのだろう。 「一部抜粋」
               
日下公人氏(くさか・きみんど)

【略歴】
1930年12月9日生まれ
1955年 3月 東京大学経済学部卒業
1955年 4月 日本長期信用銀行入行
1960年 4月 経済企画庁総合開発局
1983年 6月 取締役業務開発部担当
1984年 6月 ウイルソン大統領記念研究所客員研究員(ワシントンDC.)
1985年 6月 日本長期信用銀行取締役退任
1989年 4月 多摩大学教授
1993年 4月 多摩大学大学院教授
1997年 7月 東京財団会長
2001年 4月 多摩大学名誉教授
2003年 5月 社団法人ソフト化経済センター理事  この間 東京大学、国際基督教大学、武蔵大学、東京女子大学、立教大学、東京工業大学、玉川大学で非常勤講師。地域開発論、都市経済論、日本産業論、文化産業論等 担当



【主な著作】

『そして日本が勝つ-精神から見た世界史』
PHP研究所 2004. 4.23
『「質の経済」が始まった-美の日本、カネの米中』
PHP研究所 2005. 5.27
『「人口減少」で日本は繁栄する』 祥伝社 2005. 7
『日本軍の教訓』 PHP研究所 2005. 9.30      他

 昨日、お台場のビーナスフォトに行き、帰りに、嫁さんと新宿で降りて、例の、ジェイアール本社前のクリスピークリームドーナッツを買いに見に行ったら、前回とおなじで、やっぱり、100メートル以上の順番待ちで、めちゃ込みでした、一時間以上買うのに待たされそうでやめました。

 帰り道、宮崎館があるのでよって、とても込んでいましたが、マンゴープリン、ミヤチクベーコン他、おいしいもの買っていっばいきました。東国原知事のポスターが入り口に飾ってありました。