さて前回のXさんの事例に引き続き、今回はYさんの事例をご紹介したいと思います。Yさんは30代の女性で、会社勤めをしながら本格的な絵画制作に取り組まれて、個展を開いたり各種展覧会に作品を依頼出展するほどの腕前の持ち主です。現在はプロのアーティストとしての完全自立を目指しておられます。Yさんも当オフィスでトラウマやパニックの治療を受けておられました。その治療中の出来事として視覚が改善しと空間認知能力が向上したエピソードを書きたいと思います。

 

Yさんは仕事と制作の両立生活を続けるなか、職場での対人関係ストレスや制作上の悩みから軽度の抑うつと不安障害を発症し、心療内科で投薬治療を受けていましたが、なかなか思うように改善しなかったため当オフィスでEMDR治療を受けられることになりました。不安と抑うつの根源となっていたトラウマ体験をターゲットにしたEMDRを継続的におこなった結果、症状は短期間で改善し日常のストレスにも上手に対応できるようになっていかれました。そして精神状態が安定するにつれてYさんは別の面でも大きな変化を感じていました。

 

その大きな変化とは、視覚野の拡大と立体把握能力の劇的な向上でした。

 

Yさんは若い頃から斜視があり物をまっすぐに見ることが苦手でした。また物事を平面で捉えるのは出来ても立体物の把握が極端に不得意だったため、立体造形は諦めてもっぱら平面の絵画制作に取り組まれていました。立体物を空間的に把握するためには「心的回転(メンタル・ローテーション)」という認知機能が重要な役割を果たします。心的回転とは、立体物を心的イメージの上で回転して「別角度からはこう見える」ということを仮想的に把握する認知機能です。例えばサイコロは真上から見ると正方形に、斜めから見ると六角形に見えます。通常はわざわざサイコロの角度を変えて観察しなくても心的回転によって「斜め上から見ると六角形に見える」という視覚的イメージを脳内で仮想的に作り出すことができるので、観察者の視点によって見かけが異なっていても「同一物である」と認知することが出来るわけです。

 

Yさんはおそらく生まれつきであると思われますが、この機能が極端に弱く、物事を二次元の平面上でしか把握することが出来ませんでした。かつて芸術系大学で学んでいたときも指導教官から「描写が平面的すぎる」「もっと奥行き感を意識して描きなさい」と注意されることが多かったそうですが、Yさんには何をどうやったら良いのか全く分からず途方に暮れるばかりでした。大学卒業後は仕事をしながら制作は続けていったのですが、何をどう頑張っても立体的な描写がうまく出来ませんでした。ところがEMDR治療が進むなかで、

 

ある日Yさんは目の前の物が奥行き感を伴って立体的に見えていることに初めて気が付いて感激します。

 

対象物と背景との距離感、対象物そのものの立体感、立体と陰影の関係等々、目に見えるもの全てが3D的な奥行き感を伴って目の前に広がっていることに気づきました。それはYさんにとっては衝撃的な体験で、彼女の日常にも作品制作にも大きな影響を与えました。

 

Yさんの衝撃的な体験はXさんの場合と大変よく似ています。EMDRBSPも視点の移動を利用して脳内のストレス処理過程を適正化する治療法ですので、上下左右または遠近の視点移動をポインターや光刺激(ライトバー)で誘導します。結果として眼球をかなり広範囲に動かしながらストレスポイントを探し、反応を適正化していくわけですから、ストレス処理をしながら視力回復のトレーニングも同時並行で出来ているわけです。

 

Yさんは視覚機能、特に奥行き知覚の能力が急速かつ劇的に改善したおかげで俄然制作意欲が高まり、従来の平面描画だけでなく、木彫やフエルト小物の制作、洋服のデザイン等に興味が広がっていきました。元々平面描画に関してはプロレベルの方ですので、その能力が立体造形に生かされることになってYさんのクリエーターとしての守備範囲は圧倒的に広がりました。なかでも洋服の型紙を作る際も出来上がりのイメージが立体的に出来るので、短時間でサクサクと仕上がるようになったそうです。現在は絵画作品の他にオリジナル小物や人形(ブライスドール)のカスタマイズ、人形用の服や小物の制作などに幅広く取り組まれ、ネットでオリジナル小物の受注・販売もされるようになりました。絵画作品の方も立体感のある生き生きとした描写の作品を制作されるようになり、各種ギャラリー展では主要作品のいくつかは売れるようになりました。

 

・・・と書くといかにもEMDRすごいでしょ、という自画自賛に見えるかもしれませんが、EMDR治療はあくまできっかけづくりのお手伝いをしたに過ぎません。やはりYさん自身の元々の作画能力の高さが基本にあってこその飛躍的な発展ですから、凄いのはYさんの力ですよね。最後に強調しておきますが、EMDRBSPはあくまでも心理治療の技法で、トラウマやパニック等のストレス関連障害に特化した治療法です。視覚機能の改善はあくまで副次的効果でしたというわけですが、Xさん、Yさんの他にも劇的な改善例がありますので、「見え」の問題に悩んでいる方は一度受けてみられても良いのではないかと思っています。

 

(※Yさんはプロの作家さんなので、著作権とプライバシーを考慮して今回は作品の写真掲載はなしです。冒頭のイラストはフリー素材からのイメージ画です。)

現在50代のバリバリのキャリアウーマン、Xさん。携わっておられる専門領域では常に他者への配慮を忘れず仕事も驚くほど効率的にこなし、同僚や部下から尊敬され慕われています。家庭では家事をこなしながら夫を支え、二人の息子さんたちの自立も見守ってこられました。そんなスーパーウーマンのXさんではありますが、数年前までは原家族の問題や仕事のストレスを抱えてかなり参っておられました。

そんな折にAZULオフィスに治療相談に来られたのが数年前のことです。EMDR、ホログラフィートークに始まりACT等の認知行動療法も併用した治療過程でXさんの状態はみるみる改善し、見事に過去のトラウマを克服してこられました。現在はトラウマ治療は終結しており、日常の心身ストレス緩和ワークと今後の人生をより豊かにするためのポジティブ心理ワークを受けるために当オフィスに通っておられます。そのポジティブ心理ワークの一環としてBSPを受け続けるなかで、Xさんは自分自身のある変化に気づいてたいへん驚いたそうです。

 

それは視力の劇的な改善と空間認知機能の飛躍的な向上でした。

仕事で目を酷使するうえにコロナ禍で在宅ワークも始まり、パソコンの画面と睨めっこする時間が増え続けました。そして仕事の負担と目の酷使でXさんの視力はついに0.1を切るほどにまで低下してしまいました。BSP(ブレインスポッティング)は元来視力改善を目的とする治療法ではありませんが、心的安定感の増大と日常のストレス軽減を目指してBPSを何度か受けたのち、なぜか眼がすごく楽になり周囲のものが見えやすくなっている気がしたので医療機関で視力検査を受けたところ、【右0.05/左0.1】から【右0.4/左0.6】に視力が回復していることが分かりました。その後も引き続きBSP治療+BSPセルフワークを続けた結果、日常生活ではメガネやコンタクトをつける必要が全くなくなりました。

 

その後もXさんの視力には驚くべき変化が次々と現れました。

 

いつも通る橋の上から遠くの山を眺めていたときのことです。風景が手前から奥に向かってものすごく広がっていることに気づきました。「そんなの当たり前じゃん」と思われるかもしれませんが、Xさんはこれまでずっと目に見える景色を平面でしか捉えることが出来なかったのです。趣味で習っている生け花の先生にも「もっと立体的に奥行きを出して広がるようにお花を活けなさい」とアドバイスされてもどうしたらいいのか全くわからなかったといいます。それがある日突然、目の前の世界が3Dになって近くのものは手前に迫って見え、遠くのものはずっと奥行きを伴って見えたのです

 

・・・と説明しても分かりにくいと思いますが、私は15年前に大阪天保山のIMAXシアターでリアル3Dの映画を初めて観たときの感動を思い出しました。スクリーンに写っている野生動物がもう手で触れられるくらいそばに見えている! 海の魚も手ですくえそうなくらい! 沈んでいく夕日が壮大な奥行き感を伴って遥か遠くに見えている! 初めて奥行き知覚をリアルに感じたXさんの感動はきっとそれくらい素晴らしいものだったに違いないと、私なりに理解して受け止めています。

 

【BSP治療前のXさんの作品(右)】 生け花の先生から「奥行き感が乏しく平面的」と指摘を受けていた

 

奥行き知覚を獲得したXさんの生け花作品は奥行きと広がりのあるものに変化していき、お花の先生から平面的だと指摘されることがなくなりました。また左脳と右脳の連動に焦点づけたBSP治療によって右脳のはたらきが活発になり、空間認知能力が向上して思いついたことをすぐに形にすることができるようになりました。全くの自己流で始めたフラワーアレンジメントも短時間で素敵な作品を次々と作れるようになり、周囲の人達の間で評判になるほどでした。その後Xさんの視力は【右1.2/左0.9】のほぼ正常値にまで回復し、メガネもコンタクトレンズも必要なくなり、年間10万円かかっていたコンタクト代もまるまる節約できることになりました。現在仕事もバリバリこなし、毎日6時間以上パソコン作業をしていても視力は衰えることなく、毎日を有意義に過ごしておられます。

 

【BSP治療後のXさんの作品】 主題が明確で空間的奥行きも感じられる

(※生け花の写真はXさんのご厚意により掲載させていただきました)

 

・・・とここまで読むと「なんか嘘っぽいな」と感じる方もおられるかもしれません。書いている自分自身「そんなことがあるのか!」と驚いているくらいですから、フィクションと思われても仕方ないかもしれません。でもこの記事はXさんご自身が体験されたことをそのまま記述された報告をもとにしたもので、一部省略したり文体を整えたりはしましたが内容には何も付け加えていません。BSP/EMDRはたいへん新しい心理療法で、まだ未知の部分も多いです。視覚的刺激を利用して脳にはたらきかけ、ストレスやトラウマ等の情緒的反応を緩和しつつ脳の情報処理過程を整える治療法です。その副次的効果として視力改善や奥行き知覚の向上は複数のクライアント様に生じており、おそらく共通性・一般性があると私は感じています。Xさんの事例に引き続き、Yさん、Zさんのお話も書いていこうと思います。

 

長くなりましたが今日はここまで・・・



以前ブレインスポッティング(BSP)の効果について書きましたが、EMDRもBSPもポインターや光刺激などを使って視線を誘導することによって脳内の情報処理過程を適正化する技法です。専門的なことを書くと長くなるので簡単に言いますと、イメージを想起しながら目を一定リズムで動かしたり、一点に視線を固定しながら身体感覚に集中することによってトラウマを消去しちゃうという画期的な治療法なんです。


これまでたくさんの方にEMDR / BSP を施行し、ほぼ全ての方が効果を実感され、ストレスやトラウマが劇的に解消したと喜んでくださったわけですが、中には「視力が劇的に良くなった」「斜視が治った」「モノの立体感の認知が向上した」と言われた方が少なからずおられます。


「えっ? もしかしたらこれは視力改善のトレーニングとしても有効なんじゃね?」


というのが率直な私の心のつぶやきです。今のところ私の知る限りではEMDR / BSPの視力改善効果を検証した論文は国内・海外ともに見当たらないようですが(もしあったら是非教えてください!)、治療者としての実感としては、EMDR / BSPは年齢を問わず視力改善に役立つと明確に感じています。


具体的な例としては、EMDRによりトラウマ治療をおこなっていた30代の女性クライアントの方は、何度か治療に通っているうちに長年悩んでいた斜視がいつの間にか治っていたことを友人に指摘されて気付きました。その後もEMDRを続ける中で彼女は、これまで苦手だった空間の奥行き把握と物の立体感の把握が出来るようになっていることに気づき、周りの人と同じように自分も「普通に」物が見えるようになったといいます。


それどころかそれまで平面でしか物事を捉えることができなかった自分が3D的に奥行き知覚を伴って捉えられるようになったお陰で、高度な造形作品が作れるようになったというのです。もともと絵を描いたり物を作ったりするのが好きで手先がとても器用な方でしたが、EMDR治療後は立体物を作る能力が飛躍的に向上し、絵画作品だけでなく木彫り造形作品や人形のカスタマイズ作品、精密なフエルト小物細工の作品などを次々制作されるようになり、ネットで受注して作品を制作・販売されるまでになりました。


また別の50代の女性クライアントの方は、ある専門的な領域でのエキスパートとして精力的に働いておられましたが、家庭問題や職場でのストレスで調子を崩し、EMDR / BSPを用いて心身のストレス反応を軽減する治療を私のオフィスで受けられました。治療自体もたいへんスムーズに進み、短期間で回復されていかれたのですが、ある日彼女はBSP治療を数回施行する中で視力がどんどん回復していっているのに気づかれました。治療前は視力が【右0.05/左0.1】だったのが治療継続中に【右0.4/左0.6】まで回復されました。


そして直近の視力検査では【右1.2/左0.9】とほぼ正常値にまで回復されておられ、眼鏡やコンタクトレンズが全く不要になったとのことです。お陰でこれまで年間10万円かかっていた使い捨てコンタクト代が丸々浮いたといいます。そればかりでなく先のクライアント様と同様に奥行き知覚が劇的に向上し、長年趣味で続けていた生花の造形が飛躍的に伸びたそうです。この方からは詳細な視力回復のレポートをいただいておりますので、次のブログでは「Xさんの場合」として詳細にご紹介したいと思います。

AZULオフィスではトラウマ治療技法として主にEMDRを使ってきましたが、2022年秋以降ブレインスポッティング(BSP)を取り入れています。EMDRが眼球運動を使うのに対し、BSPは視点を固定するので技法としては真逆なんですけど、ストレス処理効果としてはEMDRと同等もしくはそれ以上なのです。


実際に受けられた相談利用者の方のほぼ全ての方が「驚くほど効果があった」と仰るので、今回ブログ記事としてとりあげてみようと思ったわけです。詳しい技法の内容は紙幅の都合上書けないのですが、実際に使ってみてEMDRと比べて有利と思われる点をあげてみます。


①EMDRより短時間で施行でき、高い効果が期待できる。

②トラウマの想起を必要とせず主観的身体感覚をメインに扱うので、苦痛な場面を思い出すことによる再外傷化のリスクが少ない。

③セルフケアも可能なので、治療を数回受けた後は自分自身でも日常のメンタルケアができる。

④EMDR同様、効果の持続性も高い。

⑤トラウマやパニック以外の情緒的問題や身体的問題(意欲減退、不定愁訴、うつ、偏頭痛など)にも対応できる。

⑥ネガティブな感情の処理だけでなく、ポジティブな心的状態を作り出すこともできる。

⑦スポーツや楽器演奏のイップス克服にも使える。


他にもメリットはあると思うので思い出したら追加しますが、②の安全性が高いのは素晴らしいです。嫌な記憶を処理するために出来事の想起そのものが必要ないって、こんな素晴らしいことはないと思うんです。必要なのは身体感覚だけ。身体感覚の強まるポイントに視点を固定し、ぼんやりそこを眺めながら身体感覚の変化を追っていくと、不快な感覚がピークに達した後急速に処理が進んで不快な成分(痛い、苦しい、違和感がある等)が消失していくのです。


「これは魔法か!?」


思わず叫びそうになりますが、いえいえそんなことはありません。ちゃんと脳内の自己回復力が呼び覚まされ、いわば脳が脳自身を自己治癒していくのですが、そのプロセスがあまりにも短時間に生じるので施行している私自身が驚いてしまうほどです。いわんや相談利用者の方も


「え? 何これ。全く訳が分からないけどスッキリした!」


と、呆気にとられている姿を毎回見せてくれます。しかもそのスッキリがその時だけでなくずっと続く訳ですから、絶対この技法は人類を救ってくれて幸せを増進してくれるに違いない! うん・・・なんて思いそうになります。いやいや謙虚にならねば。これは人間のもつ潜在的な自己治癒力のなせる技なのです。それを効率的に引き出すのがEMDRやBSPなのです。


トラウマ・パニック障害専門の治療施設としてオープンしたわがAZULオフィスですが、最近はより良いライフスタイルの構築を目指して心理治療というか心理ワークを利用される方も増えています。とくに苦痛な出来事があったわけじゃないけど何となく先行きが不安、希望が見えないと感じている方には、BSPは結構おすすめかもしれません。


ジブリ作品『魔女の宅急便』は1989年公開の古いアニメ映画ですが、現在も色褪せない普遍的なテーマを扱っていると思います。2014年に実写映画化になったときにキキ役に抜擢された小芝風花さんも今や中堅女優としてドラマで活躍されていますね。

前思春期に続く思春期・青年期にからめて今回はこのアニメのストーリーを扱ってみたいと思います。題名にもありますとおり、十三歳を迎え一人前の魔女になるためのトレーニングとして人間社会に混じって魔女修行に励むキキは、ある出来事がきっかけで突然魔法が使えなくなってしまいます。物語中盤以降では失われた魔法の力を取り戻すための大奮闘が描かれます。そこで問題です。キキが魔法を使えなくなった本当の理由は何でしょうか。また終盤で再び魔法が使えるようになったのはなぜでしょうか。宮崎監督が狙った意図と同じかどうか分かりませんが、臨床心理学者として私なりに明確な答えがあります。講義の受講生に問うと、多くの学生は「トンボくん(メガネの男の子)に恋をしたから」と答えますが、それは大ハズレです。だいたいそれが理由だったとしたら後半のストーリーが単なる恋愛成就の物語になってしまい、せっかくの凝った設定が無意味になってしまいます。

私は多くの人が子どもから大人への移行期にはキキと似たような喪失を経験すると思っています。ちょっと前思春期の復習をしてみましょう。第二次性徴、自我体験を経た子どもの意識は内側、つまり内的世界に向きやすくなります。文字通り内向的になる子どももいますが「自分と何か」「自分は何になりたいのか」というアイデンティティをめぐる内的問いかけがこの頃から始まるのです。意識が内側に向くと同時に、子どもは不安を解消するために同性、同年代の特別な仲間との親密な交流において自己定位を求めるようになります。そういった同世代交流の中で自他の比較が意識にのぼり、人と比べて劣等感を感じたりすることが急激に増えていきます。それまで無頓着だった対人関係のあり方や、他者の視線や思惑が急に意識の中に入り込んできますので、一時的に対人恐怖的になる人もいるでしょう。

このような同世代間における「比較の原理」によって、場合によっては自尊心が大きく揺るがされることも起こりえます。自己価値感が自己内基準から他者基準に移ってしまうので、仲間の前でどうふるまえば良いのか急に分からなくなり、言動がぎこちなくなったり同世代集団が怖く思えてしまったりするかもしれません。キキは嵐の夜にずぶ濡れになりながら届け物をしますが、荷物の受け取り手がきれいに着飾った同世代の女の子で、ちょうど何かパーティの最中だったようです。彼女は苦労して配達したキキをねぎらうどころか、どこか見下したような態度で面倒臭そうに荷物を受け取り、キキの眼前でピシャリとドアを閉めてしまいます。そのあと窓ガラスに写った自分の地味な黒ずくめの姿を見て、一瞬憂鬱そうな表情を浮かべるキキ。あくる日からキキは風邪をひいて寝込んでしまいます。数日後キキは風邪から何とか回復しますが、箒にまたがっても以前のように空を飛ぶことが出来ない、長いスランプの時期に入ってしまいます。

ここまで説明したらキキのスランプの原因はもう分かりますよね。もちろん風邪じゃないですよ。これまで自分を誰かと比べたりすることのなかったキキが、このシーンではじめて他者との比較において自分を振り返り、劣等性を自覚します。同世代の子に冷たくあしらわれたことによって、自分自身の劣等性をはじめて自覚したわけです。そこで生じたのは「自分は何者でもない」という自覚です。つまりこれまで母親にとって「かけがえのない娘」というonly one の自分から one of them へ、「どこにでもいる誰かさん」へと格下げされてしまったわけです。その後、風邪が治って体はすっかり元気なのになぜか魔法が全然使えなくなるキキ。彼女は「比較の原理」により「何者でもない存在」であることを自覚した瞬間から無力化されすっかり自信を失ってしまいます。この「突然の無力化」は、多くの人が思春期に体験するのではないでしょうか。自分より優れた存在に出会って自分は大したことのない人間だと思い知らされた瞬間、仲間から突然ハブられた瞬間、仲の良かった友人が他の子と親しくなり自分は「用済み」になったと感じた瞬間・・・人によってシチュエーションは様々でしょうけど、「比較の原理」による only one から one of them への格下げと自尊心の傷つきは、この時期に大きな心の痛手となります。

同様のテーマはドイツ文学作品、ヘルマン・ヘッセの『デミアン』にも描かれています。裕福な家で大事に育てられた主人公シンクレールは、学校で出会った不良少年に目を付けられ、恐喝されて親のお金を盗んで渡すようになります。その瞬間から自分はもはや愛情に満ちた光の世界から追放され、不浄な闇の世界に転落したと感じ、罪悪感と孤独感に打ちのめされます。ところがあるとき転校してきた不思議な少年デミアンと出会い、シンクレールの内的世界は大きく動いていきます。同様に『魔女の宅急便』のキキは長いスランプを経験する中で森の絵描きウルスラに出会います。キキはウルスラを慕い、様々なアドバイスをもらいます。このように親子関係から離れて同性の友人との親密な関係に移行していくのも思春期の特徴で、この時期特有の「期間限定の同性の友人との親密な関係」を精神医学者のH・S・サリヴァンは「チャムシップ」と名付けました。期間限定というのは思春期をすぎると自然解消される特殊な関係であるからです。チャムシップの意義については別記事で詳しく説明したいと思います。

話を比較の原理に戻したいと思います。思春期・青年期におけるこのような脱・価値化の体験は、ある意味で成長のためのイニシエーション(入会儀礼)といえるかもしれません。近代以前の社会では子どもから大人に生まれ変わるためのイニシエーションとしての死と再生の儀式が存在しました。オーストラリアのアボリジニーにおいては男子は崖から命がけのダイブが課せられ、女子は死装束を着せられ洞穴に一定期間閉じ込められました。ときには死傷者が出るほどの激しい残酷な儀式を通過することによって、象徴的に「子どもとして死に、大人として生まれ変わる」体験が意識に深く刻み込まれ、晴れて大人社会に迎え入れられるわけです。このようなイニシエーションは世界中の文化に様々な形態で存在し、やがて形式的な儀礼へと変化していきました。日本でも江戸時代までは元服として髪を切り髷を結うことが武家社会ではごく普通に行われていましたし、ユダヤ教では現代でも性器に切創を刻む割礼という儀式が行われています。イニシエーションはこのように子どもと大人を分ける境界線として大きな意味を持っていましたが、現代では形骸化・形式化され入会儀礼としての意義を失っています。現代社会におけるイニシエーションの欠落が青年にどのような意識の変化をもたらしているか、これもまた別の機会に説明するつもりです。

アイデンティティ確立だとかイニシエーションだとか、人間というものは何と面倒くさい存在なのでしょう。いや、魔女もまた面倒くさい経験を経て大人になっていくのですね。魔力を失って今や平凡な女の子になったキキは、ウルスラにアドバイスをもらってしばらくの間淡々と普通に生活しますが、その後まもなく大きな事件が起こります。そう「トンボくん危機一髪」事件です。詳しいストーリーは映画サイトの説明に譲ります。とにかくキキはトンボくんを助けるために是が非でも魔法を使わなければならない状況に追い込まれます。自分が何とかしなければトンボくんは死んでしまうかもしれない、そう思ったキキは矢も盾もたまらず掃除夫のおじさんからデッキブラシを借りて飛ぼうとします。傍から見たら滑稽な光景ですがそんなこと気にしてはいられません。友達を助けたいという一心で、キキはどんなみっともない格好になろうともお構い無しで、無我夢中でデッキブラシに乗って飛び立ち、ギリギリのところで何とかトンボくんを救います。

さてここで何が起こったのでしょうか。キキのトンボくんへの恋心が魔法を復活させたのでしょうか。いえ、ふたりはそんなしっとりした関係ではないし、恋愛感情というほどの気持ちの高ぶりが描かれたわけでもありませんよね。宮崎監督の真意は何か分かりませんが、臨床心理学者としての私の意見を言わせてもらうと、我執を超えたところに本当の意味における「我」は見いだされるのだと思います。比較の原理へのとらわれはネガティブな意味での我執だと思います。人と比べて自分は・・・という思いに縛られている限り、人を出し抜いて上に立てたとしても本当の自分らしさは見えません。また「自分らしさとは何か」という思いにとらわれていても自分らしさはみえません。何かをやり遂げたいという真っ直ぐな思いに支えられた「行為」の中にしか、真の「自分らしさ」はありません。友人を助けようと無我夢中で空に飛び上がったキキは、上手に魔法を使えるようになりたいとか、人から褒められたい、認められたい、尊敬されたいなんて思わなかったでしょうね。キキはそのようなとらわれ=我執から自由になった瞬間、魔女としての本来の力を取り戻したのだろうと思います。

比較の原理は前思春期に始まり、思春期・青年期を通じて自己意識を束縛してきます。そこから脱出するのはなかなか大変です。でも何かにまっすぐ気持ちが向かうとき、それを行為として具現化していく過程の中に本当の自分らしさ=アイデンティティは成立するのではないでしょうか。原始社会におけるイニシエーションは、いわばお仕着せの、既製品のアイデンティティを形成します。それは社会が変化の少ない固定的な枠組みを維持している場合にのみ有効なのです。現代社会は流動的です。決まったやり方がない中で個々人が自覚をもってやりたいこと、やるべきことに取り組んでいかねばなりません。でもそういう苦労を通じてこそ、再び only one の自分を再発見できるのだと思います。