恥ずかしい過去を面白おかしく笑い話にするのはよくある事だと思う。

しかし中にはそんな笑い話にできない、誰にも言いたくない、知られたくないこともあるかも知れない。

そんな事はないのならそれが一番だけど、もしあるのならそれはそれで重要な事だと思う。

そういう部分を忘れずに覚えているということ。

余程自分の中に大きく負うものがあるのでしょう。

 

過去の話に限らず、昨日でもさっきでも、自分の心が落ち着かなくて、

その原因が本当は少しでも自分にあるとうっすらわかるとき、

自分に落ち度はなくても自らの行動次第で避けられたかもと思うとき、

それをじっと見つめる勇気が欲しい。

必要なものは勇気ではなく、忍耐かも知れないし、もっと他のものかも知れない。

ただそこに見たものを誰に語る必要もなく、自分だけに留めておけばいい。

繰り返せば自分が見えてくるだろう。

悪いところを隠すにしても、まずは何を隠すかを知るところからなのだから。

 

さらけ出して楽になることはもちろんあるけど、そんなこと、もうとっくにやっている。

どうしても隠したいことから目を背けないのは簡単であるはずがない。

 

多くの人が安らかに穏やかに生きたいと願っていると思う。

でもいろいろな事に躓いて、振り回されてそうも行かない事もあるでしょう。

私もその一人。

少しでも心を落ち着かせるために、日々思ったことをここに書きとめておきたいと思う。

 

誰に何を誤解されても、どう思われても気にしない心を持ちたい。

 

人は悪意を持ってそうなのだとは思わないけど、周辺の人々全てを一生懸命に理解しようとはしないと思う。

決してそのような人たちを非難しているのではない。

私もそうだと思うし、実際それが当たり前だと思っている。

しかし、そのような状況で他人の評価にいちいち神経を使うのは何とも頼りない。

理解しようとしない人たちに対して、一生懸命に誤解を解く努力をするのも空しいでしょう。

むしろ誤解がないほうがおかしいのだと、考えてしまった方が楽だと思う。

 

ただ、ずっと誤解されっぱなしだと時には落ち込むこともあるかも知れない。

そんな時、心のよりどころは自分が自分なりに一生懸命に選択し、行動してきたという事実かも知れない。

だから、人知れずともそう生きてけばいい。

その姿を誰かがきっと理解してくれるなんて事はないかも知れない。

それでもいい。

自分さえ納得できるのなら、どんな言い訳で庇ってもいい。

自分で自分を否定しないことからすべては始まると思いたい。