六社巡りも最終地

揖夜神社に
向かいました。


ここは、
私の産土神になる
いざなみのみこと
伊奘冉命をはじめ、

おおなむちのみこと
大己貴命

すくなひこなのみこと
少彦名命

ことしろぬしのみこと
事代主神


の4柱が御祭神です



御神木と梅の花



境内社には
からくにいたて
韓国伊太氐神社には

すさのおのみこと
素盞嗚尊

いそたけるのみこと
五十猛命

みほつひめ
三穂津姫神社には

みほつひめのかみ
三穂津姫神


という「古事記」に
縁のある神さまの名前が
並びます。



拝殿 神楽殿



何回も来ている
神社ですが、


写真で撮らせてもらった
絵画は初めて見たと
思いました。


有名な古事記のお話で、
御祭神のイザナミは


黄泉の国から
イザナギを追いかけて


日に1000人の人を
殺すと言ったとか、


腐敗した体には
8柱の雷神を宿していたとか。


土地や
たくさんの神さまを
産んだ神から


黄泉の姿の
恐ろしい姿へと変容した
神のイメージが


強いんじゃないかなーと
思います。



美しい



荒川祐二さんの
「スサノオと行く
神さまをめぐる旅」という
本があります。


そちらに
「黄泉比良坂」に行った時に
イザナミに会った話が
載っています。


イザナミが
悲しそうだったとあって、


その後で、
みんなの心の中に残る
自分の姿が


醜いものである事を
悲しんでいる。

という内容でした。


私はずっと
産土神であるイザナミが


黄泉の神となった
後の話に
どこかふに落ちない。。

という気持ちがありました。


「それだったんだ!」と
煌きました。

「それ」とは
容姿の事でした。


神さまって
怖い顔をしていても


優しさからの厳しさが
あるからお顔に
滲み出ていると思うんです。


荒川さんのお言葉を
借りると。


皆さんのイメージで
神の姿は変えられる。


世の中に溢れている
神のイメージは
人が作ったものです。


イザナミを思い出す時は
写真のような


天女のような
イザナミを
イメージしてほしいです


黄泉比良坂で会う
イザナミの姿は
かわいらしいです


でも、揖夜神社では
お姿を見たことは
ありません。


眷属は、
誰かしらに会えます


稲荷神社も
素敵なところです


その奥にも
小さな社ですが、
火守神社があります



火守神社と狛犬さん



後ろ姿がキュートな
狛犬さんです


六社巡り最初の
熊野大社にも
「火」に関係する


鑽火殿があり、
中には火を起こす神具


ひきりうす  ひきりきね
「燧臼」と「燧杵」が
納められています。


神魂神社には
食べ物(米や野菜)を
調理できる釜が祀られています。


眞名井神社には
飲料にも使われる滝


八重垣神社には池


六所神社は
出雲国総社として


天下泰平

国家安全

万民快楽

五穀成就など

6箇所の神社を巡らせて
いただいて、


古くは
古墳時代から
みんなが願った事は、


豊かに土地(稲)
が育つこと。


天下が穏やかで
人々が快楽、安全で
食べるものがあること。


体を休める住まいがあって、
美味しい水を使って


お米を炊ける火を
起こせること。


そのすべてが
「今」あることに
感謝する時間となりました。



天女(天使)



「今」では
食べ物は作らなくても
手に入るし、


水も蛇口をひねると
出てきます。


火を起こすのにも
着火剤やライターを使えば


それほど
力仕事でもありません。


古墳時代から考えたら
電気という新しい
スペックも手にしています。


スゴいところに
生きてるんだなぁと


改めて六社巡りを
振り返って思えたのでした。


地球だけが
そのすべてを受け止めて
変わらずあるんだなぁ。。


すげーなぁー