【優勝回数】

1  ブラジル 5回

2  イタリア 3回

   ドイツ(西ドイツ) 3回

4  アルゼンチン 2回

   ウルグアイ 2回

他の優勝国としては、イングランドとフランスが各1回ずつ栄冠を手にしている。

最多決勝進出回数は、ドイツの6回(西ドイツ時代含む)。



【通算得点(個人)】

1 ロナウド(ブラジル) 15点

2  ミュラー(西ドイツ) 14点

3  フォンテーヌ(フランス) 13点

4  ペレ(ブラジル) 12点

5  クリンスマン(ドイツ) 11点

   コシチュ(ハンガリー) 11点



【1大会最多得点(個人)】

1  フォンテーヌ(フランス) 13点(58年スウェーデン大会)

2  コシチュ(ハンガリー) 11点(54年スイス大会)

3  ミュラー(西ドイツ) 10点(70年メキシコ大会)

4  エウゼビオ(ポルトガル) 9点(66年イングランド大会)

   アデミール(ブラジル) 9点(50年ブラジル大会)



【国別本大会出場数】

1  ブラジル 17回

2  イタリア 15回

   ドイツ(西ドイツ) 15回

4  アルゼンチン 13回

5  メキシコ 12回

メキシコは本大会最多敗戦数(20敗)という不名誉な記録も持っている。



【国別連続本大会出場数】

1  ブラジル 17回(1~17回大会)

2  ドイツ(西ドイツ) 13回(5~17回大会)

3  イタリア 11回(7~17回大会)

4  アルゼンチン 8回(10~17回大会)

5  スペイン 7回(11~17回大会)

上位5カ国は2006年本大会の出場も決めている。唯一ブラジルのみが全17大会に出場。


19世紀初頭にイングランドで生まれたサッカーが、世界各地に伝わったのは20世紀初頭である。19世紀半ばに統一ルールが作られ、20世紀を迎える頃には現在とほぼ変わらないルールが出来上がった。例えば1チームの選手は11人とすること、レフェリーを置くこと、オフサイドの定義などが、すでに確立されていた。FIFA(国際サッカー連盟)が発足したのは1904年。しかし当時の加盟国はフランス、オランダ、デンマーク、スウェーデン、ドイツ、ベルギー、スイス、スペインのわずか8カ国。FIFAワールドカップTM開催は、それから26年後の1930年のことである。
1928年のFIFA総会においてFIFAワールドカップTM開催のプランが可決され、ようやく開催までこぎ着けたのである。記念すべき第1回大会は南米のウルグアイが舞台となった。とはいえ、出場国はわずか13カ国。しかし収益面では大成功を収め、第2回大会には13カ国もの開催地立候補があった。1934年(イタリア大会)、1938年(フランス大会)と、FIFAワールドカップTMは順調に開催された。しかし、1939年に第二次世界大戦が勃発すると、12年間の中断を余儀なくされた。
実は第4回大会は1942年にドイツで開催される予定であった。しかしドイツはもとより、世界中が第二次世界大戦の真っただ中、とてもFIFAワールドカップTMを開催するような状況にはなく、これは幻の大会に終わった。
1945年、第二次世界大戦がようやく終結し、FIFAワールドカップTMも1950年に再開された。舞台は戦争の影響の少なかったブラジル。その後、54年のスイス大会、58年のスウェーデン大会と、回を重ねるごとに予選参加国も増え、大会のステータスも高まっていった。スイス大会では初のテレビ中継も行われた。
60~70年代には、大会の権威も確固たるものとなり、世界中から注目を集める一大イベントに成長した。66年のイングランド大会からは衛星中継で全世界に試合の映像が送られるようになった。これは画期的なことだったが、半面、弊害ももたらした。例えば70年メキシコ大会ではヨーロッパのテレビ放映時間に合わせるため、真夏の炎天下で正午キックオフという過酷な状況を選手に強いることとなった。
一方で、58年、62年、70年と、ブラジル3度の優勝の原動力となった“キング”ペレや、74年、オランダ準優勝に貢献したクライフ、そして78年、大会得点王に輝きアルゼンチン初優勝の立役者となったケンペスら“英雄”が次々と現れ、世界中のファンを魅了した。
1980~90年代にはスペイン(82年)、メキシコ(86年)、イタリア(90年)、アメリカ(94年)、フランス(98年)の5大会が開催された。ユーゴスラビア連邦の分裂、東西ドイツの統一、ソビエト連邦の解体など、社会情勢が刻々と変化したこの時期、サッカーの世界にも変化が起こっていた。それ以前は南米とヨーロッパがつねにサッカー界の主役を担ってきたが、カメルーンやナイジェリアなどのアフリカ勢が台頭。フーリガンという頭の痛い問題も噴出した。また、サッカーが単なるスポーツではなく、莫大(ばくだい)なスポンサー料やテレビ放映権といったビッグビジネスの源へと変化を遂げたのも、この時期のことである。
そして、2002年にはアジアで初めてのFIFAワールドカップTMが日本と韓国で開催された。国境を越えた「2国共催」という形が採用されたことも、史上初めての試みであった。この大会で、日本はベスト16入り、韓国はベスト4入りを果たし、アジアのサッカーレベルも組織的で多様な戦術を採り入れ着実に向上していることを世界に示すこととなり、新たな時代の幕開けを告げる大会となった。