演劇話が続いてますが。

だって、ほぼ毎日お芝居観てるんだもの。

もちろん映像でだけど。

しかも、ケラさんばっかり。

っていうか、みのすけさんが観たいんだけどね。

もひとつ、ナイロンを。

2001年冬、公演。


ナイロン100℃ 22th SESSION、『ノーアート・ノーライフ』


1970年代半ば。

とあるパリのカフェに集まる日本人たち。

皆それぞれの芸術を志して、海を渡ってきた者ばかりだ。

小説家志望、オブジェ製作家、妙な似顔絵描き、贋作描き。

犯罪に触れていても、芸術よりも愛を選んだとしても、

はしくれなりにみんな"自称"芸術家だから、

それぞれがそれぞれの芸術論を持っていて、

そして、それぞれがその芸術論が一番だと思っていて、

それは芸術家なんだからそのぐらいの確信を持っていて当然なのだけど、

芸術の中で生きていない私には、

彼らの会話はいつもどこかズレていて、ひねくれているように聞こえた。

ま、それが面白いんだけどもね。

スティーブとメグリの会話はいつもどこかかみ合わないし、

モズが作った唄は底なしに暗く、でも妙に上手いし、

ヒライとタイナカは同じ女性で浮気しあってるし、

オケタニはひとりでスイカ完食しちゃうし。

いやー、笑った、笑った、面白い!ひとりで画面の前で大笑いですよ。

どこかのサイトで"ケラさんのお芝居は言葉か面白い"ってあったけど、

まさにその通りで、なにげない会話の一端の言葉にこんなにも笑わされるなんて。

それはもう、くすぐったいくらい魅力的。

ヒライのちょっと間の抜けた会話にクスリとさせられ、

温水さんにいたっては一挙手一投足が笑いっぱなし、

そんなふうに物語は進行しつつ、

少しずつ少しずつ彼らの本心が見え隠れするという。


芸術家っていうのは、はてしなく孤独だ。

彼らには異国で出会ったという同胞的な仲間意識が確かにあったが、

どこかで相手をうらやんだり、ねたんだり。

人間だもの、同じように頑張っていても、認められる人認められない人、

自分の芸術なんてそうやすやすと世の中は理解してくれやしない。

たとえ、それなりに出世したとしても、

自分が作りたいものと世間が望むもののギャップに苛まれ、

周りに色づけられたイメージで自分を失ってしまうことも。

狭くて偏った小さな世界の中だけで生きている芸術家達の、

"才能と世の中の折り合い"を模索している

そんな姿の冴えないことといったら。

どこか弱々しくて、どこか寂しげで、一人もがく姿がなんとも印象的。

それがまた愛らしく見えるのだけどもね。

芸術という掴みどころのないものを

生業にしてしまった男達の冴えない物語、ってところかしら。

パリという芸術が認められた国での出来事、

カフェが地下にあるというその設定もまた非常に密室的で、

悶々とそこに集う人々を余計に滑稽にしているようだ。

結局、帰国する者、帰国しない者、芸術を続けるもの、やめるもの、

彼らのその先の人生はひとそれぞれ。

で、ヒライがトリマーになって賞を総ナメするっていうオチが笑えたなぁ。

彼の人生のほうが、よほど、アート。

そう、人生なんてアートのようなものなのだよ。


ナイロンの舞台はいつもどこかお洒落で洗練されている。

今回もまた然りで、まるで絵画のような色合いのセットがとっても良い。

そのうえ、合間に入る映像や音楽はまるでフランス映画のよう。

相変わらず、素敵じゃあないの。

みのすけさんも、やっぱり良いんだな。

たんたんとした話し方がすごく耳に入りやすいし、

クセのない演技が目にも違和感ない。

ただひとつ、今回の彼の髪型についてどうなんだろうと思ったということは、

ここだけの話ということで・・・。


今や飛ぶ鳥を落とす勢いのケラさんが、

脚本・監督をつとめた映画がもうすぐ公開、『おいしい殺し方ー劇場版ー』。

ドラマを見ていない私としてはそれはもう楽しみで、

イヌコさんにみのすけさんにナイロンの俳優さんがこぞってご出演、

そんなことを聞いたら観ないわけにはいかない。

なのに、これってロードショーしないのかしら。

ああぁ・・・。