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インカの王

旅にでようよ


幽霊はいると思う? ブログネタ:幽霊はいると思う? 参加中

私はいる派!

もちろんいるさ
誰もいないのに誰かに見られているような気がするときってあるよね。
車を運転していて、通りに誰かの影が見えたのに、よく見ると誰もいない。
なんだか袖を引っ張るので、誰?って振り返ると誰もいない。

でも、それって怖がる必要はない気がするんだ。

ただ、そこにいるだけっていう霊がほとんど。

そう、肉親や祖先だったら、きっと守ってくれているに違いないと思えば、なんだか心があったかくなる。

きっと、君のそばにもいるよ。







幽霊はいると思う?
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気になる投票結果は!?

親しくしていた、いとこのお子さんが自殺した。

納屋で首をつって死んでいたそうだ。

僕は、お子さんには一度も会ったことがなかったが、親であるいとこにとは、大人になっても親しい関係だ。

あれから、1年がたつが、僕はそのことをいとこに聞いたり、話題にしたりはできない。
これからも、一生そのことを口にすることは、できないだろう。

遺書はあったそうだが、誰にも公開されていない。

だが、いじめが原因の自殺であることは、確実である。

今日も、明日も、日本中でいじめられて死んでいく子供たちが後を絶たない。

残された親は、これからどうやって生きていけばいいのだろう。

僕のいとこは、学校を訴えたり、泣いたり、叫んだりということを全くしていない。
ずっと孤独で、痛みに耐えている。

この悲しみは永遠に癒えることはない。

どうか、生きてください。

何も話さなくていいです
何もしなくていいです
学校に行く必要はありません

ただ、生きていてください。


昨日(2015/7/04)テレビで”サマーウォーズ”というアニメ映画を放送していた。

面白い作品だったのだが、俺は妙なところに引っ掛かった。

サイバー攻撃によって、世界中の原発になんらかかの攻撃が時限爆弾的に仕掛けられるというくだりがあるのだ。

もし、世界中の原発が、何らかの目的で、空爆されたらどうなるのだろう?

そんな単純な疑問に、おれ自身は明確な答えを持たない。

もちろん、原発以外にも、攻撃されたら、致命的な被害を被る施設というのは、たくさんあるだろう。

でも、日本人である我々は、世界中で唯一、戦争による原爆投下を受けた国であり、さらに、2011年3月11日におきたことは、ここで書くまでもない。

そんな国に住んでいて、それでいてまだ原発は安全だという神話を信じ続けることが、正しくて、「”原発反対”と叫ぶのは、頭がおかしいやつだ」というような風潮がある。

だれか、わかる人がいたら教えてほしい。

日本中の原発は、他国からの空爆に対する備えは、どうなっているんですか?
なぜ、日本の政治家のトップは発展途上国に対して、いまだに原発の営業を続けるのですか?
日本という国は、20年後もまだ、原子力発電所がなくては、だめなんですか?

今まで、原発反対!とテレビやメディアで明確に発言してきた、政治家や、アーティストの方が何人か。いらっしゃるのは知っています。
でもなぜか、世間の目は冷ややかでした。
だれか私に教えてください。
津波や地震に対する対策を今、各所の原発で行っておいでなのは知っています。
でも、戦争が起こって故意に、原子炉を狙って長距離ミサイルだ投下されたら、どうなるのですか?


科学には、必ず光と闇がある。闇が光よりも大きすぎる科学は、その闇を封印する力がない限りは使ってはならないものもたくさんある。


ブログで、しかも匿名で言うのは卑怯かも知れないけれど
今日はあえて書き残したい


僕は、一日も早く世界中の原発は廃炉にすべきだと、思います。





子供のころから、大人は子供に向かって聞くんだ。
「夢は何?」「大きくなったら何になりたいの」

これは、職業のことを言っているのだろうか?
人格を示しているのだろうか?
それとも、ライフスタイルのことを言っているのだろうか。



質問が、無責任すぎる。

それで、子供が気の利いた職業をいうと(サッカー選手♂、お菓子屋さん♀)
「あらー、いいわね。サッカー好きなの」
ってクダラない質問を繰り返す。


気の利かない答えだと、「あらーそうなの」でおわり、がっかり臭をまき散らした、子供が悪者になる。

本来、職業に上も下も優越はないはずだろう。小学校でそう習ったんだ。





本来子供に夢なんて必要ない。
本当は子供たちだってそれくらいわかっているんだ。

それでも、この子は特別に頭がいいとか、スポーツにたけているとか、絵がうまいとか、そんなのは子供の時だけでというか親がそう思っているだけで、100%大人になれば皆、凡人だ。

それに、そんなふうに特別、他人より”うまい”という分野がない子供たちは、どう答えればいいのかわからない。

僕がもし40年ワープして、子供になったとしたら、その質問にはこう答えよう。

「一生何もせずに、ただよらゆらと、気分のおもむくまま暮らしていきたいです」
「理想なら、19世紀のイギリスの貴族のように、家にある莫大な資産でなにも決めずにただ毎日をその日にしたいことをして、暮らしたいです」
「別に、怠け者になるってわけじゃないんです。何かを目指したり、頑張ったりそういうことも、気の向くままの中の一つだし、たまにはそういうこともしてもいい。でも僕はお金持ちの家に生まれたわけではないので、この夢は一生かないません」


大人は、この答えの後にどういう質問を返すだろう。

ダウントン・アビーに出てくる貴族は、何もしないで毎日を暮しているし、それを誰も否定しない。
世の中にあるタブーのなかでも、侮蔑、誹謗の類は、後味が悪い。
一方で、言論の自由があるのだから、誰に対しても何を言っても構わないという、矛盾もある。

俺は、物心ついたころから、オカマ!オカマと罵られてきた。

それでもたまに親友がいたり、時間が解決したり、ゆらゆらと生き延びてきて現在がある。

大人になって思うのは、ゲイであろうが、オカマであろうが、そういうふうに言う人がもしあなたの周りいたかもしれない。

それは、ショウガナイことだ。(←ァレレ?!)

だって、その人にはあなたの気持ちや言動は、理解できないし不可解なものだろうから、だから、そういうふうに言うしかなかったんだろう。
もしかしたら、気持ち割るいと思っている以上に、興味ある物体なのかもしれない。
じゃなきゃ、無視するでしょ。


大人になると、周りも変わってくる。

おれの周りの人は俺に向かって「オカマ」などとは決して言わない。

それは、はっきりと確信の持てるものでもないし(バレバレなのか?)、そう言えば言った方の人の価値が下がることを勉強したからだ。

もし、周りの人から、呼ばれたくないあだ名や呼び方をされている人が、あなただったらこう思いなさい。

あの人たちは自分より低いステージにいる、まだ育ちざかりの純粋な子供たちだ。

これから、先の未来で、きっと私に向かって吐いたその言葉を、後悔するに違いない…と。

英語でもゲイをバカにした言葉は山ほどあるらしい。
何十種類もあるらしい。

(そのあたりは日本よりシビアだとおもう)
この前、映画をみていたら
気づいた英単語は"fag"。

俺は、この場(だけ!)で堂々と自分のことを宣言しよう


毎年望んでもいないのに、一つずつ歳をとっていく。
今のところ俺のちんちんは自分の意思どおりに固くなってくれる。
先週のヨルタモリ(6/28)でタモリさんは、50代はまだまだいけるそうで、男は65歳でその線を越えるらしい。
65歳を超えると性的なものに囚われなくなり真の意味で大人になる…云々。なるほど。そこまでまだだいぶあるなぁ。
50歳ごろは疑問を持つ... and 自分をジジイを言い出す。←これもイエてる。

同級生が集まると必ず老眼の話がでる。
目の前に蚊が飛ぶ例のアレとか。

でも不思議とちんちんが弱くなったとか、勃たなくなったとかそういう話はでない。

18歳の時に、200回できた腹筋は、今は何回できるのだろう。
もしも1回もできなかったらという、恐怖が先にたって試すことができない。

65歳になったら、俺はその日にどんなブログを書いているのだろう。
なんといっても、男の価値は髪型だろ
って言っている俺は、超短髪!トップ2センチ、サイド5ミリの”いかにも”なヤツである。
なぜ、ゲイは短髪好きなのか。
答えは簡単!女にはできない髪型だからでしょう。

物心がついたころから、自分の顔を鏡で見るたび、一つだけ直せるところを選ぶとしたら…。
それは、額の広さだ。

ゆび5本レベルの俺の額は39歳までずっと、前髪に守られてきた。

でも、前髪を上げる髪型に対するあこがれは、日に日に膨れ上がっていく。

あーーー。額の線がMみたいになっている男って、どんなにほかのパーツがしょぼくても、やっぱり男だ。

今から10年くらい前に、前髪およびトップを2センチくらいに切った。

バランスからしても、サイドも後ろも当然刈り上げだ。

「あーーーーー、やっぱり似合ってない」

おでこが歩いているみたいだ。

翌日から会う人に、指さして笑われるに違いない。

あれから、10年。

あのタイミングで、切っておいてよかった。

今、もしまだ前髪に頼っていたら、おれはただのすだれオヤジと化していただろう。

別に丸刈りにせよといっているわけではない。
理容師さんと相談して、半年くらいかけて仕上げの髪型を5ミリくらいずつショートにしていけば自然に短髪族になれるぞ!

「はげる前に切れ」

これが鉄則だ。
心は誰にでもある。

心は常になにかを呟いている。

そう、ほとんど休むことはないんだ。

脳は、心なのだろうか?子供のころからずっと疑問だった。

脳を取り換えたら、心も入れ替わるのだろうかって。



僕は、もし自分が死んだときの状態が、まだ若くて、使える臓器があったなら、すべての臓器を医学とそれを必要としている人のために、差し出したいと思っているんだ。

こんなじじぃの体なんてどこも使いようがない、となるなら残念だけど、どこか1箇所でもいいんだ。


目だったら、誰かの目となってもう一度生きれる気がするし、腎臓だったら誰かの毎日の透析の時間を減らして差し上げれるかもしれない。

そして、究極は、”脳”だ。

今のところあり得ない…。技術的にはもうすでに可能なのかもしれないが、それは心を移植するということなら、移植されたほうのひとは、いなくなってしまうことになる。

そして死んだはずの僕が、生きることになるんだ。

200年後くらいには当たり前に行われているかもしれないし、そのころは、人工(ロボット)の脳が移植されているかもしれない。

人間に本来タブーなんてないとしたら、医学にもタブーはないはずだ。

もし、200年後にこのブログを読む人がいたら、僕に何らかの手段でこの答えがどうなったか教えてほしい。
音楽は無料になった
いまやネット上では、あらゆる手段で音楽がダウンロードできる。
テレビの音楽番組が、豪華なカラオケショーになっていき、新曲という概念が消えていった。
昨年(2015)の紅白歌合戦(NHK)でその年に新しく発表したシングルを、うたった歌手は何パーセントだろうか?
少し前までは、youtubeに勝手にUPLOADされるプロモーションビデオは、意識的に消されていたが、今は意識的に残してあるのが現状だ。

若い子たちの反応は、早い。
ネットで仕入れた音源はあっという間に、拡散してだれもCDを購入しなくなってしまった。

これは、もはやだれも止められないし、世界的な現象であることも確かである。

CDはなくなってしまうのだろうか?
それとも、今の時代、アルバムに3000円の価値はない。ということなのだろうか?

レコードからカセットへそしてCDへ受け継がれてきた文化は、箱ティッシュの中の一枚の紙のように、使い捨てられてゴミ箱に次々と投げ込まれていくようで、なんだか切ない。
僕はいまだかつて結婚というものをしたことがない。
さらに言えば、女性との完全な意味でのセックスもない。
もちろん子供を育てたこともない。

このうち、やっぱり残念だなと思うことは、子供を育てたことがないってことだ。

あくまで想像だが、子供を育てていると
「昨日までできなかったことが、できるようになることが喜びになる」
らしい。
あくまでも聞いた話だ。

あーーーぁぁあ。
そういう感覚、あじわいたかったなぁ。

男の子なら最高だし。

女の子でもおれの子ならきっと生意気で、素直で、優しい子に違いない。

友人が父兄参観のときに張ってあった自分の子供の書いた絵の写真を見せてくれた。

あまりに、サイケでユニークでシニカルでシュールなその絵に、僕は魅了された。
ここにUPできないのが残念でならない。


やっぱり、子供って大人には見えないものを持っている。