連続テレビ小説マッサン
第13週「急いては事をし損じる」
山崎工場が竣工してから4年後の、
1928年11月(昭和3年)
鴨居商店は経営状態が悪化。
欣次郎は、状況を打開するための一手として、
倒産したモーントビール横浜工場の買収を決断します。
ビールとウイスキーは、原材料はほとんど同じ、
ビールは蒸溜や熟成の必要がなく、
醸造すればすぐに商品化できます。
回転の速い商品を販売し、収支を改善しようと考えたのです。
やがてマッサンは、
このビール工場の工場長を任されることになります。
「急いては事をし損じる」
鴨居商店の危機に「急いて」しまう欣次郎、
果たして「事をし損じ」てしまうのでしょうか・・・
史実的にも、
朝ドラ「マッサン」鴨居商店のモデルとなった、
鳥井商店(壽屋/現サントリー)の鳥井信治郎は、
ドラマと同じく、この1928年に、
「カスケードビール」を製造販売していた、
横浜市鶴見区の日英醸造を買収します。
そして「新カスケードビール」として製造販売します。
マッサン竹鶴政孝は、
このビール工場の工場長を努めることになります。
1930年には、当時の前首相であった、
田中義一の口癖であり、愛称でもあった「オラが」にちなんで
「オラガビール」と改名し、ビール低価格販売競争を仕掛けます。
しかし、大手ビールメーカー各社の反撃に遭い、
1933年、壽屋はビール事業から撤退せざるを得なくなり、
横浜のビール工場を売却します。
この時、工場の売却額が、購入額よりもはるかに高額であったため、
ビール事業が不振だった壽屋としては、
まさに「渡りに船」の良い商談だったようです。
しかし、ビール事業が失敗に終わったことは事実です。
それから30年ほど経った1963年。
サントリーとなっていた壽屋は、
武蔵のビール工場を設立。
ビール事業を30年ぶりに再開します。
その後、生ビールの「純生」
麦芽100%ビールの「モルツ」
発泡酒の「ホップス」
など新しいビールのカテゴリーを開拓し、
話題を呼んでヒット商品を世に送り出すます。
しかしビール事業は、
創業以来40年以上赤字続きの事業でした。
その後、
プレミアムビールの「プレミアムモルツ」
第3のビールの「金麦」「ジョッキ生」が大ヒットし、
2008年、ようやくビール事業は、
創業以来初の黒字となりました。
会社の業績回復を狙って、
鳥井信治郎が乗り出したビール事業。
しかし、途中撤退していたとはいえ、
最初に参入してから、じつに80年かかって、
ようやく黒字事業となったのです。
朝ドラ「マッサン」においても、
欣次郎の「急いて」乗り出したビール事業ですが、
そんなに甘いものではないようですね
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