『ファンクラブツアー1983

  ~ジャッキーとのファーストコンタクトと重大な失敗』(後編) 

 

(前回からの続き)

 1983年12月、ツアーに向けて旅立った。当時小学生だったため、姉が同伴者として一緒に行ってくれることになった。
私たちは札幌からの参加だったため、前日に東京入りし、親戚の家に一晩お世話になったのだが、とにかく、ツアー当日が待ち遠しく落ち着かない気持ちでいた。ツアーはどんな感じで進むのか、ジャッキーと一緒に写真を撮ることができるのか、そんなことばかりを想像してツアー初日までの時間を過ごした。

そんな浮かれている私に対して、姉はとくとくと香港の事情を説明し始めた。姉とは9歳離れている。私は、兄弟の中で末っ子だったため、常日頃から、いたずらやからかいのターゲットにされていた。姉はとにかく私をビビらせるということが目的だったようで、「香港には手足を切られて見世物にされている『人間ダルマ』がいるんだって、あんたも気をつけないと、さらわれて人間ダルマにされちゃうからね」。

今考えると成人を迎えた人間が、小学生の子供に対して吐く内容としては相当どぎつい内容なのだが、とにかくこの一言が、これから異国の地に降り立つ自分に恐怖を植え付けることになった。

今でも見るのだろうか、当時は夏祭りなどでサーカスなどがやってくると見世物小屋というのがあって『蛇女』だの『犬女』だのと、いわゆるそういった方々を見せるテントがあった。幼少のころに兄に連れられて無理くり入った時の恐怖のトラウマがよみがえっってしまったのだ。

「なんてことを言ってくれんだよ!香港が怖くなっちゃったじゃない」。心の中ではそう思ったのだが、ここから先は私を守ってくれるのは姉しかいないという複雑な服従関係がはじまった。

 

 ツアー当日、香港に向かうため成田空港に出発。集合場所にはツアー参加者が続々と集まっていたが、ほとんどが大人の人ばかりで、たぶん、自分は最年少に近い参加者だったと思う。
 香港までは4時間半くらいだった。当時は啓徳空港だったため、ビルの合間を飛行機で降りていく光景が今でも忘れられない。ビルの中を降りていくという若干の恐怖もあったが、なぜか無性に香港の活気を感じ取った気がした。
 初日は夜遅くに到着したため、そのまま就寝というスケジュールであったが、既に翌日の『プロジェクトA』の鑑賞会のことで頭がいっぱいだった。日本での公開は3か月先だった映画が一足早く見られるということだけでも異常に興奮し、ほぼ寝付けなかった。


 2日目の早朝、このツアーでお世話になるツアーバスがお出迎えしていた。

車体側面には「A計画」鑑賞ツアーの横断幕がつけられていた。

 

この日は早朝から市内観光が始まった。海底トンネルを抜けて九竜に向かい、バスからの眺めで初めて街並みをはっきりみることができた。まさしく、映画で見ていた香港の風景。看板が突出し、竹でできた足場など、日本とは風景が違っていて、その一つ一つに感動していた。

 

その後、お昼前から『プロジェクトA』の鑑賞会となり、会場となる劇場に到着したのだが、劇場内は黒山の人だかりの状態だった。ツアーバスごとに座席に誘導され、映画が始まるのをひたすら待った。

そこにウィリーさんが登場した。これが私のウィリーさんとのファーストコンタクト。座席がちょうど通路に近かったこともあり、自分の前をウィリーさんがウロチョロしていた。こうして一歩一歩ジャッキーに近づいていっているという実感が湧いてきた。

 

 

 

いよいよ上映スタート。ゴールデンハーベストのロゴが登場し、プロジェクトAのテーマ曲が流れ始めると、もう気が気じゃなかった。スクリーンに映し出される映像に言葉はわからなかったが、夢中になっていた。

その後、しきりにシャッター音が聞こえたので周りを見てみると、写真を撮っている人がたくさんいた。撮ってもいいんだと思い、フラッシュがたかないようにセットして自分もしきりに写真をとった。

ジャッキーが殴れると、あちこちから女性の「キャー」という悲鳴のような声が聞こえ、今でいう応援上映のような雰囲気だった。

 

 初めて見る『プロジェクトA』に満足していたところ、突如、歓声が上がった。サプライズでジャッキーが姿を現したのだ。これが私のジャッキーとのファーストコンタクト。とにかく、人をかき分けジャッキーのもとへ向かった。大量の女性陣のパワーに立ち向かいつつ、なんとか1メートルぐらいのところまでたどり着けたのだが、会場がパニック状態になり、ジャッキーも早々に姿を消してしまった。

 

 「あぁ、本物だ。本物のジャッキーがすぐそばにいた。この幸せを一体、誰に伝えたらいいだろう。このツアーに送り出してくれた両親に今すぐ伝えたい」。当時はそんな思いだった。

 

この日はその後、ショッピングや夜景観賞、水上レストランなど観光がメイン。

午後からのショッピングは店名は忘れたが、翡翠などを売っているようなところに行った。

家族へのお土産を買おうと食器類などを見ていたところ、床に1万円札が落ちていた。

すかさず、その1万円札を拾った。当時の自分にとってはビッグマネーではあったのだが、懐に入れるという誘惑は全くなかった。別々に見ていた姉と合流し、事の顛末を話すと「私によこしな!」っと鋭いまなざし。「人間ダルマ」のことが頭から離れず、「自分を守ってくれるのは姉しかいないんだよな」っという思いが頭を巡った。渡すのを渋っていると「私がちゃんと責任者の人に渡すから」。そういわれても姉への疑いは晴れず、自分でツアーガイドに渡すことにした。バスに戻りツアーガイドの方に説明し1万円を渡した。そして座席に戻ると姉が「あんたバカだね!お金に名前なんて書いてないんだから、ガイドさんの懐に入っちゃったじゃない」

「あの1万円があれば・・・」とあーだこーだいうのを聞かされ大人って難しいなって思ったが、「これから大好きなジャッキーに会うっていうのに、汚い人間になんかなりたくないよ」と心の中で叫んでいた。

結局、その日は寝るまで一万円の話が続いた。まぁ、いいさ明日はいよいよメインイベントのパーティーだ。

 

 とうとう、クリスマスパーティーの日を迎えた。この日は自由行動で夜7時からパーティーとなっていた。とにかく朝から待ち遠しく、時間までどう過ごせばよいのかわからなかった。一緒に行った姉はショッピングに向かったのだが、私はまだ子供だったので、もしショッピングに出かけて迷子にでもなったら、すべてが台無しになってしまうと、そんな不安にかられ、一人ホテルで過ごすことにした。そして、何よりここでも「人間ダルマ」を恐れていた。同じ「人間ダルマ」になるのならジャッキーに会ってからの方がまだましだ。そんな気持ちもあったのである。

 

時間を持て余していたのだが、その時にジャッキーに手紙を書こうと思いつき、必死の思いで手紙を書いた。自分がどれだけジャッキーにあこがれているのか、とにかく手紙の中で自己アピールをした。これで準備は完了。プレゼントも持ってきたし、手紙も書けた。あとはこれをしっかりと渡すだけ、パーティーのイメージもわからない中で色々とシミュレーションをたてていた。そんなことをしていたら、あっという間に12時間が過ぎ、ショッピングから戻った姉の準備を急かし、会場に向かった。

 

 中からはウィリーさんがニコニコの笑顔で迎えてくれた。会場の中央にはステージがあり、それを見ただけで自分のボルテージが上がってしまった。自分のテーブルはメインステージからはちょっと離れていたのだが、カメラの構図を考えながら、パーティーが始まるのを待った。各座席にはジャッキーからのプレゼントが用意されていた。中を開けると『プロジェクトA』のサイン入りポスターなどが入っていた。この時点で、ジャッキーのサインを手にしてしまったことに興奮し、どんどん自分がジャッキーに近づいて行った気がしていた。

 

 とうとう、緊張の瞬間、パーティーがスタートした。目の前にユンピョウを伴って黒のタキシードを着たジャッキーが現れた。もう体が震える思いだった。「本物だ!」今まであこがれ続けていた大スターが目の前に現れた。とにかく、カメラのシャッターを押し続けた。

 

 

事前に行っていたシミュレーションなどは既に役に立っておらず、ここでも立ちはだかったのは大量の大人の女性たちだった。何とか、大人をかき分け、ジャッキーが映るアングルを探した。ステージでは抽選やインタビューが行われ、選ばれた参加者はステージでジャッキーに握手や写真を撮ってもらっていたが、自分はステージに上がることはできなかった。

 

 パーティーも終盤、ジャッキーが各テーブルに挨拶に回るとのアナウンス。メインテーブルから、奥のテーブルへ。その様子を見ていたが、一緒に写真を取れている人も数えられるぐらいで、ツーショットの撮影はなかなか難しそう。でも徐々にジャッキーも近づいてくる。「どうする。どうやってこの大人たちを押しのけて写真撮ってもらう」。また頭の中でシミュレーションをしたが、自分の前で立ちふさがりつづけてきた大人の女性陣の壁をどうやって打ち破れるというのだ。すでにパニックだった。とうとう自分のテーブルにジャッキーが近づいてきた。ここでお目付け役で来ていた姉が大人の女性のパワーを発揮してくれた。私が叫ぶ以上に大きな声で「ジャッキー!ジャッキー!」と叫び、その声に気付いたジャッキーに姉が私を誘導し、ジャッキーが私の肩を抱えてくれてわけのわからぬままにツーショット撮影に成功した。

私に「人間ダルマ」のトラウマを植え付け、1万円の件では責め立てていた姉が、ものすごく頼りのある大人に見えた。いろいろあったが、姉がきてくれてよかった。自分一人では、絶対にこんなことはできなかっただろう。この旅行中にあった姉への思いは全て忘れよう。「姉ちゃん、あんたでかしたよ!」。

 

 もう夢のようだった。スクリーンやテレビのブラウン管でしか見ることができなかったあこがれのスターと写真が撮れた。「やったぜ!夢がかなった」「そういえばプレゼントはどうした。手紙はどうしたんだ。渡せてないぞ」。もうそんなことはどうでもよかった。「あぁ、両親に伝えたい。夢がかなった。ありがとう。今、自分は世界一幸せな奴だ」そんな思いだった。


 しかし、神様は簡単には夢を叶えてはくれないということを後から知ることになった。その後、パーティーは終了。興奮冷めやまず、ホテルの部屋に戻ってもとにかく饒舌に話し、その日は、どうやって寝たのかも覚えていない。

 

 翌日はとうとう香港を離れる日、午前中の便で昼過ぎには東京に到着ということもあって、早朝に空港に向かった。3泊4日の旅ではあったが、本当にあっという間の出来事だった。

東京から乗り継ぎ、札幌に向かった。家に帰るとツアーでの出来事を両親に話し、本当に喜んでくれた。とにかくジャッキーと一緒に撮った写真を見せたくて、帰宅してすぐに現像所にフィルムを持ち込んだ。出来上がりは2日後、写真を見ればどれだけ幸せだったか伝わるだろう。そう思っていた。

 
 現像に出していた写真を取りに行き、自宅で写真をチェックした。市内観光の写真、『プロジェクトA』をみた劇場の写真、「そうそう。こうですよ」、パーティーの写真、「これがメインですよ、それで…」

・・・

・・・

・・・

「えっ?これで終わり?あれっ?ない?ないよ?」

もう頭の中はパニックだった。天国から地獄とはこのこと。ツーショットの写真はフィルムの空回りで写っていなかったのだ。

もう、ただただ、大泣きした。あれだけ満足げに帰ってきて、目的を果たしたぞと胸を張って帰ってきたのに。こんなツアーにはきっと2度と参加できないだろう、人生の最後のチャンスだと思っていた私は全然泣き止むことができなかった。


 しょげている自分を不憫に思った母が慰めに来てくれた。

「写真は取れなかったけど、大好きなジャッキーに会えたじゃない。なかなか会うこともできないスターに会えたんだからそれだけでもすごいことだよ」

それはわかっていたのだが、どうにも消化ができなかった。

「またきっとチャンスがあるよ」母はそういってくれた。

徐々に自分も落ち着きを取り戻したとき、

「来年、もう一回行けばいいじゃない」

最高の一言をくれた。

「えぇー!!本当!」。

その魔法の言葉のおかげで、ショックから立ち直り、1年後にもう一度標準をたてたのだった。

 

 

数年後、母から聞いた話だが、この時の件を姉は相当責任を感じていたらしい。姉は母から「香港では自由にしていいけど、絶対、ジャッキーと一緒に写真を撮ってあげて」。そういう指令がくだっていたらしい。

今となってはこういった失敗自体も大きな思い出になっているし、笑い話にもできる。この失敗がなかったら、この先、自分はジャッキーを追いかけ続けることができただろうか、ツーショットを撮ったことに満足してしまっていたのではないかと考えることもあった。

もう37年も前の話ではあるが、たまに顔を合わせるとこの時の話が出ることがある。今はそれが楽しいのだ。

 

次回は、リベンジ編として翌年のファンクラブツアーについてまとめてみます。

 

1983年12月のクリスマスツアーに参加した方で、もしこのブログを見ている方がいれば、当時の写真を見てみてください。ジャッキーに肩を抱かれツーショットを撮っている蝶ネクタイをした小学生がいれば私です。写真を持っている方がいれば、私の過去においてきたピースを埋めてください。よろしくお願いします。