久々のブログ投稿になりました。何か投稿するのにtwitterが非常に楽だったので、久しくブログもほったらかしになっちゃいました。

 

さて現在はジャッキーの新作『ナイト・オブ・シャドー 魔法拳』が全国公開中ってことですが、わが地元では24日が初日と出遅れており、SNSでの盛り上がりに参加することができませんでした。加えて悲しいのは24日初日なのに30日で終了って、1週間だけの上映です。それでも地元で見られることに感謝をしなきゃいけないかもしれませんね。あとはパンフが無事に手に入ることを祈るばかりです。

 

また大陸では春節に合わせて『急先鋒-Vanguard-』が公開になりますね。アクション映画に戻ってきました。予告を見る限り、良くも悪くもスタンリー・トンだなっていう印象を受けましたが、それでもやっぱりアクションしているジャッキーが見たいので今から楽しみです。

今年はちょっとばたついており、大陸まで見に行けるかどうか微妙なところですが、関連本もしっかり予約したので、今から到着を待つばかりです。

 

今回、ブログ『恋するはるさめ(粉丝)ジャッキー・チェンとその周辺をぐるぐるする、かなのブログ』で皆さんにもおなじみのかなさんと中国ファンクラブのフォン君、かかちゃんのご尽力でジャッキーへのメッセージ本となる『青春故事』が無事出来上がりました。
ご参加いただいた方々には家宝になるぐらいのものではないかと思います。
私も手にしたときにはページをめくる手が震えるくらい感動しましたし、何より、表紙に私の写真を採用していただいたことに大変うれしく思っているところです。

もともとは成龍バーの15周年記念誌として80年代、90年代にジャッキーを追い続けてきた日本人ファンに寄稿をしてもらいたいということからスタートしたのですが、企画を改め、『青春故事』という形で多くの日本人ファンの思いが詰まった大作に仕上がったと思います。

本当にかなさん、フォン君、かかちゃん、ご苦労様でした。そして本当にありがとうございました。

そして無事、ジャッキーの手元に渡すことができたことに感激しています。

 

この冊子自体は企画に参加されたメンバーだけに配布され、一般公開はされないのですが、私が出稿した原稿に、プラスアルファの要素を加えてご紹介したいと思います。

 

 

 


『ファンクラブツアー1983~ジャッキーとのファーストコンタクトと重大な失敗』(前編)
  私がジャッキーのファンをスタートさせたのはジャッキーの日本デビューとなった『酔拳』を見たのがきっかけです。

当時、ブルース・リー好きだった7つ上の兄に連れられて見たのですが、決して強そうに見えないユーモアのあるひょうきんなお兄ちゃんの虜となり、ウルトラマン、仮面ライダー、ゴレンジャーといったヒーローが好きだった子供が一気に『ジャッキー・チェン』という新たなヒーローに取りつかれてしまいました。

この年、ちょうど8歳。とはいってもまだ子供で、新しいライダーや、ウルトラマンが登場するとそれはそれで夢中になっていました。


  その後、『蛇拳』『笑拳』『拳精』と新作が公開されては観に行ってはいたものの、まだ今のような熱狂的にということではなかったのですが、『バトルクリークブロー』公開時にプロモーションで来日した際にみた『TVジョッキー』で、自分の中に占める「ジャッキーチェン」が大きく変わるきっかけとなりました。

映画の中のヒーローではない生身の『ジャッキー・チェン』をみて、身のこなし、笑い顔、思ったより低い声に、「やっぱりこのお兄ちゃイイなぁー」とアイドルを見るような感覚が芽生えてしまい、そこからは集めるものすべてジャッキーチェン絡みとなりました。

とにかく『TVジョッキー』で一緒のスタジオにいる人をうらやましく思い、『バトルクリークブロー』のパンフに乗っているファンとの交流をみてはうらやましく思う毎日。

今と違いインターネットがないので何か情報を得ようと本屋に寄ったりして見つけたのが『ロードショー』と『スクリーン』の2大映画雑誌。

『テレビくん』『テレビマガジン』といったヒーロー雑誌から、『ロードショー』『スクリーン』といった映画雑誌を愛読するちょっとませた小僧に変わりました。そうして毎月映画雑誌を楽しみにし、ジャッキーの情報をあさるといった日々が続きました。


 『ジャッキーチェンインターナショナルファンクラブ』を知るきっかけになったのも映画雑誌のおかげ。ただ、存在を知ってから入会に至るまでには1年弱ぐらい時間がかかりました。入会金2,000円、月会費500円。今となってはなんてことない金額なんだけど、小学生にとってはずっしりと重くのしかかり、長らく悩んでいた記憶があります。

そこで、当時すでにジャッキーチェンに狂っているということを知っていた母に相談すると、「勉強とお手伝いをしっかりするんだよ」という約束の元、資金を出してくれることになりました。もっと早くお願いしていればと今でも悔やまれます。私の手元にある会報はNo.7から。当時2か月に1回会報が発行されていたので前年の1年分だけ揃っていないのです。

どなたかお譲りいただける方いたらよろしくお願いします。

 

 さて、すっかりタイトルから離れてしまったのですが、インタルに入会してから念願の通知が届きました。
『ジャッキーチェンとLet's デート!』。念願のファンクラブツアーの案内が届いたのです。

 

82年のファンクラブツアーの様子を当時のロードショーの記事で読んでから、行きたくて行きたくてしょうがなかった。

『とにかく、相談してみよう。行けるなんて、はなから思っていないし、親がダメっていったらダメなのはわかっていたが、こんなチャンスそうそうないし・・・』と、自分の思いを伝えずにいるのも性に合わなかったので意を決して、親に相談した。


 「これ、ちょっと見てみてぇ~。ジャッキーに会えるんだってさ~。」自分の主張はこれが限界だった。ストレートに話して直球で答えが返ってくるのが怖かったのだ。母は「ふぅ~ん。いつやるの?」、私「夏休みとクリスマスと2回あるみたいなんだよねぇ~」。母「そーなんだ。今忙しいから、ちょっとあずからせてね」。それが一連のやり取りだった。

 

うちは会社経営をしていて母も経理を担当していたので、仕事が忙しいのはわかっていたから、それ以上は詰めることはできなかった。その後、答えが返ってくることなく数日が経っていたのだが、学校から帰ると母から呼び出された。そして一通の紙を手渡されたのだ。

そこにはすごろくのようなマップが記載されていて、その日からクリスマスまでの長い道のりで日にちが書いてあった。そのマップの上部を見てみるとタイトルに『ジャッキーへの道!』と記載されていたのだ。「へっ!なんだ!」

母は「今日から毎日勉強をきちっとやったら、ハンコを押すからね。習い事の日はさぼらず行ったらハンコを押すよ。ジャッキーまでたどり着けるかなぁー?」

私は「えっ!やるやる!絶対やる!ゴールまで行ったらいいんだよね。うひょー!」
これでジャッキーに会うための初めてのレールが敷かれた。うろ覚えではあるが、そのレールは半年以上あったと思う。

案内を母に渡してから、母も色々と考えてくれていたんだと思う、そして、きっと父にも相談し掛け合ってくれていたのだろう。そんな事実は当時は何一つわからなかったのだが、母の協力がなければ、今のようにジャッキーを追い続けることはできなかったかもしれない。私にとってはそのぐらいのキーパーソンなのだ。

 

その後は、毎日、毎日過ぎていくのがが楽しみでしょうがなかった。途中、サマーツアーの報告が『ロードショー』や『スクリーン』に載り、ファンクラブ会報でも紹介されているのを見て、次は自分の番だと色々と想像していた。母との約束の勉強の方はというと、たぶん、全体の8割がたぐらいだったと思う。100%できないところが私の悪いところなんだけど、うちの親は何でも経験に勝る勉強はないという考えもあって、私が親から離れて香港に行って、大人の人たちの中でどういう経験をするのか、何を感じるのか、ということを考えてくれていたようなので、ある程度の事は大目に見てくれていたようです。
 その後、ツアーのスケジュールなどが届き、現実味も増して、とうとうツアーへの出発となった。 

 

 

ここまで書いてみたが、『青春故事』に記載した原稿まで届かず、今日のところはここまで。

次回は、『青春故事』にかいた原稿から紹介していきたいと思います。

                                                                         (次回へ続く)