行者の世界では、祈祷や呪法など様々な形で衆生利益を祈念します。

護摩祈祷をはじめとして、和歌、咒符(図形)、民間口伝を含む作法(動作の決まり事)など様々です。

民間口伝の代表は、誰でも知っている「痛いのイタいの飛んで行け」などがあります。

手当の語源も実際の手当治療だと聞きますから

思い(心)、言葉(口)、イメージ(意)の3つは、とても重要なことです。

この3つが揃うとき、信じにくいかも知れませんが確実に物理作用を発現します。

おでこをぶつけて痛がる子を母親が思い、痛いの痛いの飛んで行け、「ふーっ」と息を吹きかけると

気のせいではなく、実際に痛みが引きます。

子供の頃は、母親に「おかちゃんフーフーして」と怪我をするたびに、母親の袖を引っ張っていました。

母は本当に優しかったです。

 

さてこの呪法についてですが

師僧直伝の春の芽吹きの頃だけしかやれないとある作法があります。

作法というほどもないような、とても簡単なものです。

 

この作法での肝心は「急々如律令」という術の発動を促すような能動的なものではなく

神仏の御心のままに結果が出るという、なんとも天にすべてお任せという方法です。

善い行いをしている者には、悪い何かが祓われますし

悪い行いをしている者には、その者へ何らかのお裁きが下る

そういう法です。

そう言う意味では、逆恨みの相手にこの術をかけても、その相手には何も起こらないどころか

その相手に憑いた何かが祓われる(おちる)ため、相手が良好になることになります。

師僧はこの時期、この術を好んで使われます。

 

何でもかんでもただ祓えは良いというものでもない

悪霊といっても、もとは人。

慈悲の心を以て接することは必要。

 

いつも繰り返し師僧が口にする言葉です。

ただし、悪霊さえ供養するためには自分自身が正直に、ズルをせずまっとうに生きていないと

逆にこちらがやられますので、なかなか今の乱れた世の中では難しい生き方を要求されますし

私自身、そう生きようとは思いますが難しい。

現代社会は、とかく生かされていると言うことを忘れがちになります。

 

ありがとうございます。