子どもたちが幼稚園に入るより前に、近所の公園で知り合って以来、仲良くしている友人がいる。

お互い、毎日毎日公園に通っていた。

子どもはひたすら外で遊ばせる派 という共通点。

雨でない限りは雪が降っても公園で遊んでいた(笑)

 

携帯電話はすでに存在した時代ではあったがあせる長い間(2年くらいかな)メールアドレスや連絡先の交換もしないで、ただ公園で会って遊んで、バイバイして別れて家に帰るという、実にドライで薄いおつきあい?だった。

かなり長い期間、お互いの名前さえ知らなかったのではないかな。

 

それからもう20年近くになるが、彼女とはつかず離れず、仲良くしている。

 

そんな彼女にも、旦那がコロナに感染してしまって入院したこのたびの騒動はまだ話していない。

SNSとかでやりとりする内容ではないし、お互いに自粛期間中なので、会えなくて直接話せていないのだ。

 

先日、彼女から連絡があった。

自分のおじさんが亡くなったので、お葬式に行ってきたという話だった。

おじさんの死因は老衰だったそうなのだが、昨今の諸事情もあってお葬式はかなり小規模だったのだそうだ。

それはわかる。そうだろうね。人もたくさんは集まれないしね。

 

お通夜もなかったんだそうだ。

え。そうなの。

 

彼女が一番びっくりしたのは、お葬式の段取り?だったらしい。

葬祭場を借りてのこぢんまりしたお葬式なら、お葬式して、出棺、火葬、遺族は食事などしてお骨あげの時間を待って、お骨あげに再度火葬場へ行き、お骨と一緒に会場に戻って、葬式当日に初七日の法要まで終える というのが一般的な感じなのだろうが……

 

お葬式→初七日法要→出棺→火葬(ほぼ解散、食事は自分たちで)→お骨あげ(帰宅) という 順序がなんだかどうなんだ?な段取りだったんだそうだ。

 

会場使用時間が超短縮され、お坊さんもめっちゃ働き方改革時短実現。

そりゃまあ、葬儀当日に初七日というのも、はじめて知ったときには驚いたが(母の実家がイナカなので……)

しかし火葬するより先に初七日法要を終えてしまうのは、どうなんだ?

 

仕方がないのかな……。今は。

でも、寂しかったね。なんだかね。

友達に共感するしかなかった。

 

コロナで亡くなっのではなくて、まだよかったと思うしかないのかも。

 

旦那の入院が決まって、ひとりで救急車に乗り込んでいくのを見送ったとき。

救急車に同乗することも許されなかったあのとき。

もしかしたら、あのまんま、お別れになってしまっていたかもしれないと、ときどき思う。

 

お葬式やそのあとの法要は、亡くなった人のためにではなく、生きている人のためにあると私は思っている。

残った者が、心の整理をつけるためになきがらを見送り、あれこれをこなしながら過ごすのだ。

 

いまコロナは、その大切な過程を奪う。

 

想像すると、ほんとうにつらい。