我が国では、不審死がどれだけ続いても、黙殺される。衆議院選挙の補欠選挙では、暴力的な選挙妨害があり、身の危険を感じて支部長を退任した候補者の話も聞いた。ヘイトと認定され営業妨害をされつづけた自営業の方の話も聞いた。日本人を殺したくてたまらないのに日本にいて、しかも難民認定をする筋骨隆々の外国人達が野放しになっている現実はそのままである。芸能界では何か都合が悪ければ不審死として殺される。警察すら介入できない何かがある。陰謀論ではなく陰謀がある。どれだけデマとかネトウヨとか反ワクとか安易な略称で蔑視しても、疑念が弱まることはない。ワクチン接種や貧困で自国民は死に続けているが、オールドメディアでは、不況と災害と臓器狩りで荒れに荒れた中国を、日本など相手にしない最先端の国と未だに賞賛をつづけ、一部の芸人がその広告塔になっている。我が国のメディアなどほぼ機能不全である。世界的にもその機能性は最下位といってもいいだろう。私達が忘れてはならないのは、三浦春馬氏の非業の死は何時誰に訪れてもおかしくはないということだ。忘れてはならないのだ。