志を完遂できなければ自刃も厭わないという金剛のような信念を持っていないのなら、あえて非正規雇用を選ぶ若者に対して、私自身は、同情を持つつもりはない。自由には責任が伴う。その責任は己の生命を賭けて果たすのが社会である。団塊バブル世代は恵まれすぎたがゆえに、この感覚が希薄な人間が多いように感じる。いまの若者がどこまでその信念を持っているかはわからない。しかし、大学新卒の就職活動事情を見てみても、少なくとも、就職氷河期世代より環境は良いように思える。私自身身をもって知っているが、激烈極まる闘争だった、と言うに尽きるのだ。生命科学関連業界への就職は、いまだに、かの企業に新卒でなぜ入社できたのか、よくわからないのである。チャンピオンデータのように成績を揃えたからなのか、他大学大学院の学校名が良かったからなのか、よくわからないのである。それくらい、凄まじかった。書類落ち、エントリー落ちなどで落胆している余裕はなかったし、人によっては学部時代より研究時間がなかったなどという笑えない話もある。学業あっての大学、研究あっての大学院であるはずなのに、である。

 

確かに、売り手市場で気持ちよく感じる若者もいるかもしれないが、若さ=残りの時間が多い=キャリア形成の時間が長い、は、採用する側にとって垂涎の的だが、加齢と共にこれは減衰していく。そして、次なる若者達(ひいては移民達)にこの涎は向けられるのだ。これは現実だ。就職氷河期世代はその栄光に恵まれることはほぼなかったが。そこだけは、忘れないほうがいい。都合の良い時間で働きたいという思いは、いかなる職業でも、信念として認められることはない。

 

 

印象的な箇所を抜き出す。

 

「普通にやっていれば内定もらえるはず」 親の無理解に苦しんだ

現在、政府をあげて就職氷河期世代に向けたさまざまな就労支援が行われていますが、具体的な支援が始まったのは令和元年からでした。しかし、就職氷河期世代にとってはより辛く感じることがあったようです。

あるXユーザーによる

「(就職氷河期世代は)政府の支援が薄かったことより親世代の無理解の方がきつかったんじゃないかな」

と指摘する投稿には「その通りだった」という声が寄せられていました。

氷河期世代にとっては政府の支援が薄かったことより親世代の「普通」から外れることでダメ人間扱いされることのほうがきつかったのではないか - Togetter

寄せられた投稿の内容は

「就職試験に落とされて落ち込んでいても、普通にやれば内定はもらえるでしょ、と言われた」
「祖父や親や親戚に『普通になれ』と言われるのがつらかった」
「仕事に就いても『正社員じゃないの?』といちいち言われたな...」

というように、親や親戚からの理解が得られず、苦しかった思いを吐露するものが中心でした。

就職氷河期世代の親たちは戦後の高度経済成長期を過ごし、豊かだった時代を経験しています。

そのため、高校や大学を卒業した後は正社員として就職することが当然と考えており、就職氷河期の真っ只中にいる子どもたちの困難を理解しにくかったのかもしれません。