養蚕といえば、絹糸を生産する産業だが、屠殺して肉を得るように、蚕を湯で殺して絹糸を得るのである。蚕は成虫の蛾になっても口を持たないので生殖を果たすためだけの短い生涯になるのだが、やはり殺生は心が重いのである。小学生が死なせずに絹糸を取る方法を考案したようである。肉を食べるな、米を食べるな、コオロギを食え、と熟慮せずに叫ぶ高学歴の大人たちよりも、この小学生は真の持続可能性に挑んでいるといえるだろう。
大人の社会は、ものすごく歪み切って、修復不能である。そして、指導者達に、その自覚はない。責任回避の弁論だけは巧みだが。フグの食用でのゲノム編集は良い、人体の遺伝子組み換えが懸念されるレプリコンワクチンは良い、副反応で死んでもいいからどんどん接種しよう、などと言いながら、ペットショップの愛玩動物ではNGだ、というのである。自然への影響が心配、というのだろうか?安心しなさい、遺伝子ワクチンで自然以前に人間社会がもう歪んでしまったではないか。
そして、両生類は感染症に弱く、カエルではツボカビなど点滴ともいえる細菌があるはずなのに、外国でキノコの生えたカエルを見つけて、感激している有様である。確かに珍しいことだが、こうした指摘がいまひとつ弱い。