元々は中国籍の疑われる人物が中国共産党と連携を保ったまま国会議員になり、政府の要職をほしいままにする、暗黒の日本の今がある。この人物でどれだけの国民が薬殺されただろうか?責任をいくらでも放棄できるのも、強大な軍事力を持つ全体主義の政党の支持があるからだろう。これも、多様性というべきなのだろうか?

 

 

多様性という言葉の意味が、もうわけわからない人も多くいらっしゃるだろう。私もその一人だ。以下の何が多様性なのか?これを、気持ち悪いと思うことも罪なのか?他にも、世界各地で多様性の名の下に下劣な行為が目立つ。我が国の埼玉県でのクルド人集団による横暴も、その一つである。彼等が銃を持って日本人を殺して解放と多様性を叫ぶ日が、来ないなど、どうして言い切れようか?

 

 

 

 

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信念を貫くと、如何なる碩学の方であっても、職場を去らないとならないのか、と思うと、悲しい思いである。