未来への手紙。よく小学校の卒業式に未来の自分(大人か、あるいは、老年期に入った)に向けて手紙を書き、タイムカプセルとかいって一度埋める試みがあると思う。私は、確かやっていなかったと思うが、本当にやっていなくてよかった。なぜなら、思い描いた未来と、実現した(夢が叶うということではなく、年を重ねて黙っても着いた)未来のギャップに愕然とするしかない、そんな絶望感を味合わずに済んだからだ。ただ、覚えている。普通は嫌だと。思い返せば、学んだ学問、就いた仕事、世間の誰もがやっている業種・職種ではない。文集に何気なく書いた一文は、確かに実現しているのかな、と思った。しかし、他者が得たものを得ていないという事実はあるが...

 

しかし、三浦春馬氏の、20歳から30歳の自分に書いた手紙は、上記の優れたブログにあるが、短文だが、清冽であり、凄烈である。散文なのだが、気迫もある。そして、30歳という若さで世を去ったが(殺害されたと権力者は認めないが、隠すなよ)、書いていることは、悉く実現してみせたのである。いや、それ以上ではないだろうか。己の能力の限界や周囲の環境に抗えない現実で修正を余儀なくされるのが大多数の人間の一生というものだが、三浦春馬氏のそれも確かにそんな一面はあったかわからないが、しかし、その人生の出来映えたるや、誰が文句をつけられるのであろうか?