1999年に大著“Hierarchical Genome and Differentiation Wave”を世に問うた、カナダのマニトバ大学で教鞭を執っていたリチャード・ゴードンは、アホロートルなど両生類の原腸形成において、特定の細胞集団の収縮や伸長に波のパターンが見られることを発見したことを起点に、デスモソームなどの細胞間接着分子と連結したアクチンや微小管など細胞骨格の環状領域を細胞分裂・分化ひいては多細胞動物の進化につながる単位としてcell state splitter(細胞分裂装置という訳は不適だと思われる。細胞分岐生成装置と表現すべきだろうか・・・)と称し、このcell state splitterの挙動、すなわち、シグナル伝達の過程でカルシウムイオンの増減に引き起こされる細胞骨格の重合/脱重合の末に生み出される収縮/伸長の波(contraction / expansion wave)こそが、生物情報の単位であり、形態形成遺伝子はこれを記憶するだけの階層であるゆえに、個体の成長も進化も完全ではない、という考えを展開した。更に、彼は卵の極性や形態形成における濃度勾配や位置情報は存在しないと豪語し、前述の生物情報に基づいて形成されていく細胞系譜を分化樹(differentiation tree)と呼び、遺伝子重複・非対称分裂・モザイク発生と調節性・分化転換・組織再生・腫瘍・奇形・ウイルスの攻撃・ヘテロクロニー・性決定・種分化・中立説・サイズの大型化・神経回路・学習と睡眠・本能行動の獲得・アルテミアの休眠卵の発生進行・両生類の原腸陥入・植物の分裂組織の発生・ハエの複眼形成・蝶の翅の紋様パターン・多核性胞胚(シンシチウム胚)の意義など、様々な生命現象を説明しようとしている。

 

当然、ドナルド・ウィリアムソンの幼生転移仮説に関しても、否定的な見解を示していない。彼はウィリアムソン博士の主要著書を読み解き、分化樹を図示して、変態を5通りのカテゴリーに分類できる、と本著で説いている。

 

1.細胞分化継続型の変態(Continuing differentiation metamorphosis)

ほとんどすべての幼生世代の組織がそのまま変態に動員され、成体世代の組織へと分化していく。両生類のオタマジャクシからの変態や半索動物腸鰓綱で見られる。

 

2.脈動分岐型の変態(Pulsative metamorphosis)

分化樹の各分岐を変態段階と考え、細胞が分化していくごとに変態過程が進む、一種の相対成長である。不完全変態を行う昆虫類(トビムシ類、双尾目、シミ目など)で見られる。

 

3.単一組織由来型の変態(Single tissue metamorphosis)

分化途中の単一の組織から成体の全構造が形成される。ウニなどの棘皮動物で見られる。幼生体内の原基が好例といえる。ゴードン博士は、分化樹がいったん扇型の広がりを見せてからそのうち一本の枝から再び扇型の広がりを見せる様を描き、「二種類の異なった系統の動物のゲノムが連結している(genome concatenation)」と述べている。

 

4.脱分化の変態(Dedifferentiation metamorphosis)

分化樹の末端から成体の組織が作られていくが、一部は脱分化を起こし、前社に貢献する。分化樹で表すと、前の段階へと逆戻りしていく表現になる。尾索類(オタマジャクシ幼生を持つもの)をはじめ、外肛動物苔虫類、紐形動物、棘皮動物ナマコ綱で見られる。

 

5.分化延期をともなう変態(Deferred metamorphosis)

原基のような成体用の組織の雛型を持つ一方で、幼生世代からの系列の一部を脱分化に、そのまた一部を原基とは関係なく分化させていく、といった複雑な様相を呈する。分化樹では、上記の1・3・4の混成されたものとも換言できる。ショウジョウバエなど完全変態を営む昆虫類で見られる。

 

いずれの変態においても共通しているのは、異なる系統の動物同士のゲノムが発現などの意味において連結できてこそ成立する、ということである。発現が連続的にスムーズにこなせられれば、細胞の分化ができる、すなわち、細胞分化の系譜である分化樹が正常に完成していく。それには、cell splitterが細胞集団で収縮か伸長の波動を作り上げることが前提となる。見た目の巨視的な形態の相違からでは想像すらできないことといえる。

 

カルシウムイオンなどのシグナル分子が全生物で共通しているからこそ、博士の理論は成り立つのだと彼は考えているようだ。また、彼の論理展開では、成体の形態が幼生になり幼生の形態が成体になる、連結に連結を重ねて全く新しい個体発生が出来上がる、といったことも不思議ではなくなる。

 

臓器移植を行うように、他の分化樹をつなぎ合わせることで、新しい生物ができあがることを、大進化の一つのあり方として考えるべきではないか、とも彼は提案している。

 

使用文献

The Hierarchical Genomes and Differentiation Waves. Richard Gordon著 World Science Publication 1999年