富山 泰庸さんよりシェア
東日本大震災からまもなく1年11ヶ月、唯一残された避難所での暮らし~埼玉県加須市騎西高校避難所
東日本大震災からまもなく1年11ヶ月。
唯一残された避難所での暮らし埼玉県加須市騎西高校避難所を訪問した。
今回はとある国会議員の方と一緒に訪問。
今ある課題などを聞き、国の役割としてできることがないかと同行していただいた。
前回はボランティアとして住民の方々の様子や、そこでの活動において寄り添う形のご意見などを聞いてきたが、今回は副町長とお会いし、しっかりと町役場からの観点も聞いてきた。
埼玉県加須市にある騎西高校は東日本大震災の原発事故によって双葉町の皆さんが避難を余儀なくされ移住してきた避難所で、仮設住宅ではなく未だに「避難所」として存在している唯一の場所だ。
埼玉県の加須市にある廃校を避難所としていて未だに140名程度の方々が教室や体育館で身を寄せ合って共同生活を余儀なくされている。
なぜまだ避難所があるのか? どのような状況なのか?
今回しっかりとまとめてみようと思う。
【経緯と現状】
平成23年3月11日東日本大震災発生。 福島第一原発事故の影響で双葉町は半径10キロ以内に全ての町がすっぽりと入ることから強制避難区域に指定され、町民は避難を余儀なくされた。
約7000名いる双葉町の町民は全町民が避難対象となり、川俣町に避難したが立て続けに起こる3号機4号機の原子炉建屋の爆発により、3月19日に川俣町からさいたまスーパーアリーナに避難した。
一時的な避難であったため、3月30日には埼玉県加須市旧騎西高校に避難した1400名の町民全員がそこに避難した。
住民の話によると、当初は、廃校になった高校の教室や体育館での生活はプライバシーもなく、環境の大きな変化で夜も寝れない日々が続いた。 関東特有の猛暑や、学校では底冷えする冬や、時折子ども達の泣き声など、様々な理由でストレスもあった。
どこの避難所もそのような境遇であったのは間違いない。
しかし、1年11ヶ月が過ぎようとしている今もまだ避難所生活である。
平成23年6月、震災から3ヶ月が経ってようやく町民7000名の所在が確認できた。
旧騎西高校だけでなく、福島市、郡山市、白河市、いわき市など県内にとどまった方々もいたが、旧騎西高校に双葉町の役所機能は移転された。
平成25年2月7日現在、1400名いた旧騎西高校避難所での避難者は139名。 年始に訪問した時は155名であったが若干減った。 それでも139名の方々は今も尚避難所でダンボールでしかしきりのない中、5階建ての1階~3階までのところで、教室暮らしを余儀なくされている。
7000名いた他の双葉町町民は福島県内に残った方々は3680人、福島県外にいる方は3296人となっている。
うち埼玉県には1123名が現在住んでいる。 約1000名の騎西高校避難所を出た方々は近隣の借り上げ住宅で住んでいる。 避難所での生活が厳しいと感じられた方々が借り上げ住宅に移住した。
現在139名の方々がなぜ今も避難所暮らしなのか、理由は様々だが、生活は不便だが顔見知りの人と暮らす安心感があること、役場機能に近いところで情報が得られやすい環境にあること、身寄りがない、諦め感などが挙げられる。
139名の構成は後期高齢者がほとんどであると言っても過言ではない。 とある役所の方に聞くと平均70歳を超えると言う。
オフィシャルの発表では震災による直接死は20人、震災関連死は74名、行方不明は1名となっているが、役所の報告によると200名以上の方々が避難先で亡くなっている事実がある。
人口で見ると、平成23年3月11日時点で7140人の町民だが、平成24年10月31日時点では6554人となり、586人も人口減である。
現在、旧騎西高校で介護用ベッドが搬入されて要介護者も居住してもらっている。
要介護、要支援者139名中34名で被災後の1.5倍となっているそうだ。
歩くのが大変な方、運動不足に陥る方、食事がキッチンはあるが使ってはいけないので(全員使える大きさではないため平等性の担保のために使用させていない)、弁当支給(しかし有料:一日1100円で幕の内3食だが後期高齢者には食べづらい)のため、栄養不足に陥る方など、健康悪化の一途は間違いなくたどっている。
痰の吸引が毎日必要という要介護認定を受けている方から要支援の方々まで様々だが、認定を受けていなくて健康状態が悪い方もいて、足腰が不自由、透析をしている方、認知症を患ってしまった方々など状況は数字だけでは読み取れない。
まとめると、東日本大震災から1年11ヶ月たってもまだ高校という場所で避難生活を余儀なくされている方々が139名もいるという事実がある。 そしてほとんどが後期高齢者であり、要介護者、要支援者、身体障害者が約四分の一を占め、その介護をする方が残りを占めその方々もまた高齢者である。
弁当が有料で月約33000円かかり(本来災害救助法が延長されているので無料なはずが避難所以外に住んでる方々との平等性を担保するためにそうなった)、高齢者や要介護者用の弁当ではないため栄養補給不足や、運動不足や精神的苦痛により健康悪化の条件は揃ってしまっている。
1-避難所があり139名が現在も居住しているという異常事態が事実としてある。
2-後期高齢者がほとんどで、要介護、要支援、身体障害、健康悪化、運動不足、精神的苦痛などの問題から、とても避難所生活を余儀なくされるというには人道的見地から問題がある。
3-災害救助法延長にも関わらず、弁当代月33000円は最低かかる。 年金受給額は人によって異なるが、基礎年金生活者は年金自体が月6万前後であるため、とんでもない負担である。
最近では、3食買わずに、夕食だけ買い、次の日に残して朝ご飯にするということをやっている人達も見受けられる。 安全衛生面で課題がある。
4-双葉町の線量が高く、町に帰れないため、故郷を失い、どこにも行けないが、避難先では「賠償や国からの特別措置で金もらってるくせに」という声があり、差別まで起こっている事態だ。 実際には賠償が遅れに遅れ、雀の涙程度の一時金程度しか入ってきていないという現状。
5-故郷を失い、家族ともバラバラになっている方々が多く、町の復興プランは全く見えないため、1年11ヶ月が経とうとしている今、考えることは「どこで死ぬか」ということが本当に支配的になっている方々が多い。 もちろん、このような状況では、どんなに運動教室などを開いても基本参加しない。 健康悪化は免れない。
6-双葉町の町民のコミュニティーに絆が増し、皆で住み続けたいとなっているが、避難所を出て近隣の借り上げ住宅に移住された方々と避難所生活の方々と一緒にコミュニティーを保ち生活するには現状維持しかない。
借り上げ住宅に移られた方々は、他の地域に移る場合は自費となる。 なので加須にしか住めない。
また、避難所にいる人が今から避難所を出たいとなっても借り上げ補助が打ち切られたため、避難所を出て近隣の借り上げ住宅に住もうと思っても今からは自費でなければならないのだ。
すなわち、無料で住めるところは避難所か、もしくは福島の会津、いわき、福島、郡山などにある仮設住宅だが、そこに移ればコミュニティーがなくなり孤立化するため、福島には移住できない。
7-偶然にも2月7日は前町長の辞任式があった。 町長は議会でリコールされ、辞任に追い込まれたが、町長と議会の基本的な対立は、福島にいるか福島から避難するかの問題、中間貯蔵施設の建設の是非、賠償問題の早期決着などが挙げられる。
このような政治空白があるために避難所の問題は先延ばしされている。
福島からの人口流出を防ぐというお偉いさん達の思惑、原発や東電からの恩恵をまだ受け続けたい原子力ムラの力によって、政官財学しいては医療業界まで様々な見地を飛び交わすため、住民が翻弄されてしまった。
政治や利権が住民を苦しめているのは明白だ。
8-実は、避難所の延長を町は申し出ている。 何故か? よくわからないがそれは事実である。 解散を考えていない。
ここからは憶測だが、避難所があるという事実は、賠償金額が変わるのも事実。
交渉カードの一つにされている可能性は大きい。
9-実際の健康被害がある。医学的に認められないとガンなどの関連は放射能とは因果関係が無いとされる。 そもそも論だが、因果関係うんぬんより、子供の甲状腺癌などが既に出てきているという事実がある。
しっかりとした健康への対策と健康安全面の保証と補償への対策を明確にする必要がある。
今回、若干機械的な文面で書いた。
個人的に肌で感じたこと、203回東京と被災地を往復して見てきたこと、政治の問題点、行政の課題、それらを踏まえた解決策や私見はプレスリリースしようと思う。
メディアの力は今回ばかりは本当に借りたい。
政治を動かさなければならない。
避難所がなぜあるのか?
東日本大震災、福島原発、政治、利権、闘争に翻弄された結果である。
日本として恥じなければならない事実であり、後期高齢者を放置し続けている事実は早急な解決が必要だ。
今もなお避難所生活されている方の言葉がまだ頭をよぎる。
「私たちはどこで死ねばいいのか毎日考える。 部屋まわってみたら誰か死んでないかな?って確認しなければならないとこなんです」と。
のほほんと他人事ではない。
日本という国に生まれ、住んでいる人達への警告。
この事態は将来の自分たちの姿である。
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