「左脳」を抑える!感謝のありがとう人生 | 健康オイルマスター/コバさん健康ブログ

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 TODAY'S
 

2023-09-15

新月
 

 

皆さんこんにちは

健康道先案内人

「健康オイルマスター」

COVAさんです

 

 

 

以前に飲みの席で「幸福」とは何かが話題になった

ある女性がこのような感じのことを言った

 

「 幸福とはその時々、一瞬の幸せの積み重ね 」

(酔っていて正確に覚えていないのですけど・・・)

 

私は少し首を傾げて・・・・

合っているような?

 

でも、正しくないような・・・・

そんな感じを得たわけです

 

 

そこで「 幸せ 」や「 幸福 」ってなんだろうと

以前に考察した文章を土台に改めて考えました

 

 

「左脳」を抑える!

 

私たちの人生は、

その一瞬を楽しむ冒険です

 

何事も、ともかく今を「楽しむ」ことは真実

 

「楽しむ」以前に

進路や経路で悩んだり

 

先に人生設計など未来をあれこれと考え

人生のリスクヘッジをして

 

その最もらしい「答え」を信じることは

ナンセンス(nonsense)であると言える

 

ナンセンス(nonsense)の意味とは・・・ 

 

その行為や思考が無意味であるさまや

くだらないことを示す名詞・間投詞であり

 

転じて、不合理や滑稽を表す形容表現です

 

 

人生の冒険には正解の経路や時間の概念はない

人の数だけ「出来事」がある、ただそれだけ

 

最もらしい「答え」に従った

人生の道のりの真実は不合理で滑稽

文字通りセンス(sense)のかけらも感じない

 

そう「出来事」を無視して生きる人生

「感じていない」鈍感人生なのである

それは、もう生きていないのと同じである

 

そしてもし

人生の答え合わせをするタイミングがあるならば

それは終末、「死」を間近に迎える時だろう

 

その肉体の機能が終わるという終末に

どれだけ自分らしく人生の冒険を楽しめたか

 

悔いなく充実した人生だったのかと

思い返す事になる

 

そして

その時に思い出されるのは

強烈に感じた感情が出来事に深く結びついた記憶である

 

ゆえに

豊かな人生を生きたかは

どれだけ心を動かして「感じた」かでもある

 

理屈や条件を比べた出来事は感情とは結びつかず

強く深く記憶に残らないのです

 

例えるなら

 

初めからストーリーを知っている

映画を見たところで感動は薄いだろう

 

記憶に残ることと言えば

予想以上に良い映画だったと言うくらいで

感動は少なく映画自体の記憶も薄まってしまうだろう

 

ストーリーをよく知らない映画だからこそ

感性を研ぎ澄ませてストーリーにのめり込む

 

そして、それが創作物だと知りながらも

感性が揺さぶられ感動が生まれる

時には涙まで流れることすらある

 

これが

感動の映画として記憶に深く残るわけです

そして

これが「右脳」のなせる技

人の豊かな「sense」五感である

 

 

しかしどうも現代人は

どうしても先にストーリーありきになっている

それは

「左脳」で出来事を処理をする

癖が勝手についてしまっているからなのです

生活が全般的に「左脳」が優位なのです

 

物事を整理整頓し順序立て、

段取り通りに進むことで「快楽」を得る

 

これは数字と理屈の「左脳」の世界観であり

楽しむ冒険とは逆側に離れた感性になる

 

この世界観自体が悪いわけではない

バランスの問題である

 

だから

この全てが予定調和の世界観が大きくなると

少し物事が上手くいかなくなるだけで

 

「キレる」

 

そんな「左脳」優位状態の大人たちが

現代社会には多く生活を営んでいる

 

会社の歯車の中で思い通りにいかず

満足できない生活の積み重ね

 

そんなやたらと導火線の短い大人たちは

不幸な昭和時代の遺産とも言えよう

 

いや、そんな昭和世代だけではない

若い世代でも環境は同じであり

 

満足できない世の中だから仕方がない

没頭するのは安易に満足できる数字と理屈の世界

 

スマホの動画やゲームなどで

「左脳」に刺激をどんどん興奮させて満足させる

満足した気分にはなるが

さらに欲求は止まる事を知らず続いていく

 

身体が疲弊するまで止めどなく画面を見続け

ゲームや動画に時間を費やした経験はないだろうか?

 

スマホを一時も手放すことが出来ない

そんな人は少なくないはずです

 

それは「左脳」の快楽・刺激の欲求です

 

 

こうなると「幸せ」や「幸福」とはかけ離れてしまう

 

そこには、五感「sense」を揺さぶる感動は薄く

ただ、ただ興奮とストレスが増え残るだけなのです

 

これはまさしく「左脳」の仕業なのです

 

その興奮は習慣になり、更に満足を追いかけるようになる

あなたはスマホを一日中手放せなくなってはいないだろうか?

 

快楽を求め、そしてそれを得ているのは

あなた自身ではなく

 

「左脳」なのです

 

「左脳」は都合の良い理屈と理由を巧みに使い

あなた自身を騙します

 

あなたの頭の中で、「左脳」が

あなたの言葉を使ってあなたに言い訳を囁いていませんか?

 

そして最悪なのは

あなたが、その悪魔の言い訳を邪魔する相手を傷つけてしまうこと

そんな事すら起こります

 

早く気が付いてください

それは人生を台無しにする「左脳」の悪魔の囁きです

 

 

さて、それでは話を「幸せ」や「幸福」とは?

に戻して人生の終末を考えてみましょう

 

冒頭に彼女が言った

「 幸福とはその時々、一瞬の幸せの積み重ね 」

 

もしこの

「一瞬の幸せ」が「左脳」の報酬だとしたらぞっとしますね

終末に向けて廃人驀地です

 

でももし

少しでも「右脳」を優位な人生を送れていたなら

人生に残す言葉は変わってくるでしょう

 

「右脳」は全体像を緩やかに把握していて

時間の概念がありませんから

 

私が思うに

例えば、終末の言葉は

人生に対して感謝の感情が言葉になるのでは

ないでしょうか

 

「素晴らしい人生をありがとう」

 

とかこんな感じです

自分の辿ってきた人生の冒険に感謝する

こんな言葉になるのではないでしょうか?

 

ここで気が付くのは「感謝」を感じているのは

冒険という人生のステージに対してだと言うことです

 

終末に自画自賛で「どうだ俺の人生は凄いだろう」とは

ならないと思うのです

 

人生のステージに出会った大切な人や

そして、思いがけない出来事の数々

 

または、守れなかった約束など

数えきれないほどの出来事があったに違いありません

 

そんな人生の出来事を経験し感じ

それらを人生の糧として人生を送ってきたからこそ

 

出会った人々や数々の出来事を感じた

「素晴らしい人生をありがとう」

 

こんな言葉が生まれるのだと思います

これは、まさに予定不調和を受け入れ感じてきた人生

 

それこそが

楽しむべき素晴らしい人生を物語っている

 

初めから最後まで予定調和で安心した人生では

きっと感謝の気持ちは湧いてこないのではないだろうか

 

今回話題とした結論として

「人生の幸せ」は「感謝の感情」であるとします

 

感謝を頂くにしろ、感謝を渡すにしろ

どちらにしても

 

いつでも、どこでも、誰にでもできる

 

そして

感謝をすることは

一人でも成立するのである

 

ゆえに

人生の最後には「人生に感謝」の幸せがあり

言葉として「ありがとう」ということになるのだろう

 

だから「幸せ」や「幸福」ってなに?

って言われたら

 

「ありがとう感謝します」

 

ってことなんだろうって思う

 

だから日頃から

「右脳」を優先する思考を心がけましょうね

ゆる〜く生きたら良いと思いますよ

 

 

えっ?

「右脳」を優位にするには?

気になりますか?

それは「運動」とか「瞑想」でしょうかね

あと、ゆる〜く生きるです

 

またいつかお話ししますね