とにかく今はSNSの発展に伴い、自分の関心のベクトルが外に外に向かっている時代で、自分やその周りの環境については、良くない点ばかりを見てしまったり、その点を、見栄えのいいSNSのインフルエンサーと比較してもっと良い物、事が外にあるはずと思い込みやすい時代。

 

その点、愛するというのは内に内に向かっていくベクトルの感情なので、見栄えは派手ではないですが、とても落ち着いた他者との比較や侵略を受けにくい感情な気がします。

 

ボブ・マーリー師匠も映画作品中はそんな印象を受けた点がいくつかあり、楽曲の温かみ(レゲエの専門でなければ、詳しい訳ではないので、聞いた直感。ただし自分は直感を非常に大事にして生きています。)や周りの人への接し方、自分と他の人との関係を、私と私、と読んでいた辺りも身近の人を大事にしていたのだと推察されます。

 

ただし、身近な人を大事にするというのは、これまた地味な行いです。誰かに褒められる訳でもなかれば、何か目に見えた成果が出る訳でもありません。(給料が増える、愛情ポイントアップ)そもそも見返りを求めないのが愛だと思っている為、その様な目に見えた成果や見返りを求めている時点でそれは身近な人を大事にする=愛ではないかと思う。

 

母の日、父の日、友人の誕生日等々でSNSに上げている人も見かけますが、もちろん誰かに見てもらいたい、そして良い事をしたと思ってもらいたいのが人の常ですので、良いかとは思いますが、自分はSNSに上げた時点でベクトルが外に向かっていて、何か見返りとしてイイねや綺麗な飾り付け〜、幸せそう〜❤️と言ったコメントを貰いたい自分がいる様な気がする為、あまり上げていません。

(それが良い、悪いという決めつけをしたい訳ではありません。良いとも悪いとも思っていません。)

 

家庭を持つ、子供を持つというのはその様な見返りを求めず愛を育むのに悪くない事かと思います。もちろん、面倒なことは沢山増えます。ただ、その面倒臭さを体験せずにSNSで学んで、それなら1人で楽しくやる方が良いや、と思うのは安直な気がします。

 

僕はなんでも自分で体験、体感しなければ学ばない人間なので、教科書、耳学問で学んだ事でも自分で実際に行わなければ身にならない人間です。効率が悪いと言えば、悪いですが、自分で体験した事は忘れにくいです。