飲みが終わっていつも少ししてから、何で結婚に至ったのだろう、と考えるのだが、特にいつも結論は自分でも出ないまま日々に飲み込まれて自分自身もこの話は忘れてしまう。

 

そんなことを何回か繰り返すうちに、ふと思った事がある。

 

「特にこれといった理由がないのに結婚をしようと思ったのが結婚をした理由」

これに尽きるのではないかと思った。

 

自分の独断と偏見だが、最近の世の中というのは特に正解を求めがちな気がする。

小さい頃から常に正解をし続けて、間違えると点数が下がりテストが返ってくる。

そんなことを繰り返すうちに、正解は何だ❗️❓正解は何だ❗️❓と探す様になってしまった。

特に自分のいる業種は試験で高得点、高偏差値を出し続けてきた人間が多く集まる世界なので、試験に合格する為の正解を沢山してきた人が多い。

 

ただ、社会に出てからは正解か不正解かわからない問題や、どっちも正解、どっちも不正解、また時代や時期により正解が異なる等々、グレーな問題、答えが沢山ある。正解を出し続けている人にとってはこのグレーゾーンというのが非常に厄介で、白黒はっきり付けたい性分な為、正解か間違いなのかわかりたい訳である。

 

ただし、1つ思うのは、「これが理由で結婚をした」という理由がある場合にはその条件が外れた場合にどうなるのか、という所である。

 

例えば、年収が希望の条件を満たしていたから結婚をした場合、その人が病気やリストラで失業した時に結婚をする理由の根幹をなしている年収が下がったり無くなるが、その時に相手への気持ちというのは冷めないのであろうか、というところが気になる。

 

’年収’というのは結婚に至るにあたってはただの入り口に過ぎません、というのであればそれは結構でそこから愛を育んでちゃんと結婚生活が成り立っている為、問題ないと思う。

 

ただ、そうとも限らないのがこの世の人間の性だと思う。

男性→女性に対しては外見(顔、スタイル(胸、尻(すみません・・・)))

女性→男性に対しては年収、外見

上記しか挙げられず知識不足ですが、簡単にまとめると外的要因というべきものでしょうか。